高千穂遙(@takachihoharuka)さんの人気ツイート(古い順)

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あと、友人の縁で所属しているチーム稲城という自転車レースチームですが、そのジャージには大河原さんデザインの稲城なしのすけというキャラの絵が入っているので、大河原さんのお宅に行き、サインを入れていただきました。夏は、ほぼこのジャージで走っています。いいでしょ。(^^;
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ぬえにきちゃだめですね。池袋でやっていたクリコンにこないと。ただ、あそこでは当時大学生だった河森くん、美樹本くん、細野不二彦くんらと競うことになったと思いますから、それはそれでたいへんだったかもしれません。詳しくは細野くんの「1978年のまんが虫」って作品を読んでください。 twitter.com/7ZYlpE8hRJqJcU…
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キャプテン・ハーロックのアニメ企画書は、松本零士さんに依頼されて、わたしがつくりました。SF大会で鑑定団の収録があったときだして1万円の評価をいただいたいのですが、東映さんが放送を拒否したため、オンエアでは出演シーンをカットされてしまいました。 twitter.com/Virgodolphin2/…
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ダンバインは、わたしのミスです。富野さんと下井草でお茶してたら「つぎの作品のデザインどうしよう」と言うので、「いま宮武くんメカデやってないから、かれでどう?」と応じてしまい、富野さんも「それいい、頼むわ」ってことでぬえに戻って話したら、すっげー迷惑そうな顔をされたんです。つづく。 twitter.com/KIYOSAITOH1230…
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そのとき宮武くんは河森くんたちとマクロスの企画をやっていて、超多忙だったの。でも、マクロスのことを知らないわたしは、約束しちゃったからと言って宮武くんにまかせたんですが、結局、マクロスが本格的に動きだしてパンク。富野さんにも宮武くんにも、迷惑かけました。深く反省しています。
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なんか、マクロスじゃなくてオーガスのときではというコメントきてます。とにかく知らなくて、スケジュールあいていると思っていました。(^^;
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たしか、パンクしたことも知らなくて、あとで「おまえのおかげでひどい目に遭ったぞ」とみんなに叱られて、ようやく事態を認識したというお粗末さでした。で、これ以降、きっぱり営業から足を洗ったんです。(^^;
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違いますよ。ホルスなどのセル画を鑑定してもらった人も、放送不可でした。東映は自社アニメ作品のグッズ鑑定をすべて拒否していたようです。いまはどうかわかりませんが、でてきたのを見たことがないので、たぶんまだだめなんでしょうね。 twitter.com/Zerobuster_g/s…
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豪ちゃんから、この宇宙船はぬえでデザインしてくれって依頼がきてデザインしました。「三つ目がとおる!」でも、手塚治虫さんから「潜水艦シーンを描いてくれ」と依頼され、数ページ作画したことがあります。そのときも、雑誌にはクレジットが入りましたが、ぬえではなく、CASだったかもしれません。 twitter.com/PPPppppppQQQ/s…
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爺、ここはたしか「姫様中心で投稿しています」ってとこよね。 ぎくぎく。 最近、あたくし中心になってなくて、しかも、あたくしよりも、アニメネタの投稿のほうが人気があるような気がしているのですが。 ぎくぎくぎく。
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そろそろつづきを書きますね。もう1度記しておきますが、これはただの思い出話です。何十年の前のことですから、感情的なものはほぼ消えました。もちろん、資料でもありません。老人が「昔こんなことがあったなあ」と縁側でつぶやいているようなものです。その前提で読んでください。
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西崎Pと「さらば」の交渉のため、京王プラザホテルの樹林に赴いたところからです。とりあえず一方的に条件を伝えました。ひじょうに失礼な態度ですが、断ってもらうために行っているのですから、遠慮することはできません。西崎Pは憮然とした表情で聞いていました。当然ですね。
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言い終えて、しばらく細かいやりとりがありました。こちらは、何も譲りません。無理なら、断ってくださいと言いました。で、最後に西崎Pは「わかった。その条件でやってもらう」と応じたのです。やるのかーと思いましたが、これは仕方がありません。もっと不遜な条件にしておけばよかった。(^^;
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合意はしましたが、それではいはいと言ったりはしません。「では、この内容で契約書をつくってほしい。その契約書に両者が署名してから作業をはじめます。それまでは、何もしません」と付け加えました。アニメの仕事でまず契約書なんて、かつてなかったのですが、口約束では受けられないのです。
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契約書についても了承を得て、その日の会談は終了しました。ぬえに戻って、報告です。やっぱり「やるのかー」という空気になったのですが、この条件ならいいやということもあり、契約書の到着を待つことにしました。契約書を交わしたら、わたしの仕事は終わりです。「さらば、宇宙戦艦ヤマト」ですね。
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しかし、いつまでたっても契約書は届きません。逆にそろそろ描いてくれという要請は松崎くんを通じてやってきます。無視しました。やらなくても、うちは1ミリも困りません。いいから、さっさと契約書をくれとだけ返事してました。
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ある日、わたし宛に電話がかかってきました。「東映のヤマト担当プロデューサーの吉田達です」と名乗られました。「話をしたいので、ぜひ会ってほしい」という依頼です。びっくりしました。吉田達さんといったら、わたしが東映の映画でもっともリスペクトしている「昭和残侠伝」シリーズのPですよ。
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やばいなあと思いました。が、断るわけにもいかないので、喫茶店で会うことにしました。吉田さんは「ぬえがデザインしてくれないので、スケジュールが立たない状態です。やってもらえませんか」と言われます。わたしは事情を話し、契約書を交わしたら、すぐにでもはじめますと答えました。
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「いきさつ、わかりました。西崎Pの問題であることも理解しています。しかし、現場が困っているので、何とかしてほしい。西崎Pに不信感があるのなら、この東映の吉田達を信じていただきたい。わたしが責任をもって契約書を届けます」と吉田さんはつづけ、わたしをまっすぐに見ました。
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うわ、この人、生きている昭和残侠伝だよ。高倉健さんともこうやって対峙してたんだろうか。こういうの嫌いじゃないんだ。BGMに「唐獅子牡丹」を流してくれないかな。←最後のは嘘。でも、そういう心境になったのは事実で、わたしも結局「では、吉田さんを信じて作業に入ります」と答えちゃいました。
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そんなこんなで、やむなくデザインがはじまりました。そういう実作業はわたしの担当ではなく、松崎くんになります。あとで聞いたら、松崎くん、発注打ち合わせのときにけっこう例の会議に巻きこまれていたみたいですね。知らんけど。まあ、許容範囲でしょう。たぶん。
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制作はどんどん進んでいきます。しかし、契約書は一向にきません。ぬえがどれだけデザインしたかは、映画を見た方がご存知でしょう。どうしたものかと思いはじめたとき、また吉田達さんから連絡があり、再び会うことになりました。
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吉田さん、会うなり「申し訳ない」と言われました。「西崎Pを舐めてました。あんな人とは思っていなかった。契約書はだせません。吉田達、一生の不覚です」とつづけ、深々と頭を下げられました。冗談じゃないですよね。映画だと河津清三郎さんが「指詰めて、出直してこいや」と凄む場面です。
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しかし、現実世界でそれは言えません。言ったら、逮捕されちゃいます。マジに詰めかねないし。なので、もはや引き下がるしかありません。こりゃ、値切られるなと思いました。実際、要求額の半分くらいになりました。とはいえ、額が額だったので、半値でも元はとれました。そういう交渉なんですよ。
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「さらば」は無事に完成しました。ここで、ちょっと記憶が判然としません。試写会は大泉の東映撮影所であって、わたしもそこに行き、久しぶりに西崎Pと会いました。がっちり握手しましたよ。お互いに睨み合いながら。(^^; 問題はそこからです。OPクレジットに「スタジオぬえ」の名前がありません。