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朝ドラで母を訪ねてネタ。前にもここで書いたかもしれないけど、サンライズの1スタで当時、富野さん(母をのコンテ担当です)との会話。
わたし「フィオリーナの人、へただよねー(信澤三惠子さん、すみません。若禿の至り発言です)」
富野「うん、へただー」
「でも、そこがすごくいいよねー」
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トリトンなどのいきさつ、裏話もサンライズ社長だった山浦栄二さんから詳しく聞いていますが、すべて伝聞なので、永久に公開できません。これは、諦めてくださいね。(^^; twitter.com/SHIROKUMA86/st…
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付記です。
事前に書いたように、これは恨みつらみとかではありません。こういうことがあった。いまとなっては、ちょっとなつかしいくらいの話。その程度のことです。いい経験をさせてもらえましたよ。この仕事をやったおかげで、ぬえはいまでもヤマトにかかわっているみたいですし。知らんけど。(^^;
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今回もまた、引きました。仕方がないです。その瞬間に、「さらば」における、わたしの担当が終了しました。読んでわかるとおりです。これはわたしが西崎Pに惨敗したという思い出話です。みごとに負けました。気持ちいいくらいです。強敵でしたねえ。さすがです。てなわけで完結です。終わりますね。
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「話は聞いた」と松本さんは言われます。「約束をないがしろにした西崎Pがよくない。しかし、いまOPをつくり直すのは無理だし、EDであっても、目立つようにする工夫はできる。ここは、わたしの顔を立ててもらえないだろうか」。
松本さんにそう言われて、尻まくれる人はいません。わたしもそうです。
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夜中です。サンライズに頼めば弁護士を紹介してもらえるかなとか考えていたら、電話が鳴りました。でると、「松本零士です」と言われました。反射的に、そうきたかと思いました。西崎Pは自分じゃかけてこないんです。吉田達さんとか、松本さんとか、わたしが配慮するだろう人にまかせてしまうんです。
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さすがにわたしも切れて、西崎Pに電話しました。「OPに名前を入っていないのは納得できない。あした、裁判所に約束不履行を理由として上映差し止め請求をださせてもらう。通るかどうかはわからないが、公開直前の請求は、いい宣伝になることでしょうね」。本当にそう言って、電話を叩き切りました。
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これがわかったのが試写の前か、そのときなのかを覚えていないのです。とにかくOPクレジットに名前をという約束も反故にされていたというわけです。お金は俗な駆け引きの話です。しかし、クレジットはデザイナーの矜持の問題です。最高の仕事をした。それを認めろという話です。簡単には譲れません。
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「さらば」は無事に完成しました。ここで、ちょっと記憶が判然としません。試写会は大泉の東映撮影所であって、わたしもそこに行き、久しぶりに西崎Pと会いました。がっちり握手しましたよ。お互いに睨み合いながら。(^^; 問題はそこからです。OPクレジットに「スタジオぬえ」の名前がありません。
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しかし、現実世界でそれは言えません。言ったら、逮捕されちゃいます。マジに詰めかねないし。なので、もはや引き下がるしかありません。こりゃ、値切られるなと思いました。実際、要求額の半分くらいになりました。とはいえ、額が額だったので、半値でも元はとれました。そういう交渉なんですよ。
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吉田さん、会うなり「申し訳ない」と言われました。「西崎Pを舐めてました。あんな人とは思っていなかった。契約書はだせません。吉田達、一生の不覚です」とつづけ、深々と頭を下げられました。冗談じゃないですよね。映画だと河津清三郎さんが「指詰めて、出直してこいや」と凄む場面です。
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制作はどんどん進んでいきます。しかし、契約書は一向にきません。ぬえがどれだけデザインしたかは、映画を見た方がご存知でしょう。どうしたものかと思いはじめたとき、また吉田達さんから連絡があり、再び会うことになりました。
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そんなこんなで、やむなくデザインがはじまりました。そういう実作業はわたしの担当ではなく、松崎くんになります。あとで聞いたら、松崎くん、発注打ち合わせのときにけっこう例の会議に巻きこまれていたみたいですね。知らんけど。まあ、許容範囲でしょう。たぶん。
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うわ、この人、生きている昭和残侠伝だよ。高倉健さんともこうやって対峙してたんだろうか。こういうの嫌いじゃないんだ。BGMに「唐獅子牡丹」を流してくれないかな。←最後のは嘘。でも、そういう心境になったのは事実で、わたしも結局「では、吉田さんを信じて作業に入ります」と答えちゃいました。
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「いきさつ、わかりました。西崎Pの問題であることも理解しています。しかし、現場が困っているので、何とかしてほしい。西崎Pに不信感があるのなら、この東映の吉田達を信じていただきたい。わたしが責任をもって契約書を届けます」と吉田さんはつづけ、わたしをまっすぐに見ました。
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やばいなあと思いました。が、断るわけにもいかないので、喫茶店で会うことにしました。吉田さんは「ぬえがデザインしてくれないので、スケジュールが立たない状態です。やってもらえませんか」と言われます。わたしは事情を話し、契約書を交わしたら、すぐにでもはじめますと答えました。
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ある日、わたし宛に電話がかかってきました。「東映のヤマト担当プロデューサーの吉田達です」と名乗られました。「話をしたいので、ぜひ会ってほしい」という依頼です。びっくりしました。吉田達さんといったら、わたしが東映の映画でもっともリスペクトしている「昭和残侠伝」シリーズのPですよ。
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しかし、いつまでたっても契約書は届きません。逆にそろそろ描いてくれという要請は松崎くんを通じてやってきます。無視しました。やらなくても、うちは1ミリも困りません。いいから、さっさと契約書をくれとだけ返事してました。
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契約書についても了承を得て、その日の会談は終了しました。ぬえに戻って、報告です。やっぱり「やるのかー」という空気になったのですが、この条件ならいいやということもあり、契約書の到着を待つことにしました。契約書を交わしたら、わたしの仕事は終わりです。「さらば、宇宙戦艦ヤマト」ですね。
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合意はしましたが、それではいはいと言ったりはしません。「では、この内容で契約書をつくってほしい。その契約書に両者が署名してから作業をはじめます。それまでは、何もしません」と付け加えました。アニメの仕事でまず契約書なんて、かつてなかったのですが、口約束では受けられないのです。
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言い終えて、しばらく細かいやりとりがありました。こちらは、何も譲りません。無理なら、断ってくださいと言いました。で、最後に西崎Pは「わかった。その条件でやってもらう」と応じたのです。やるのかーと思いましたが、これは仕方がありません。もっと不遜な条件にしておけばよかった。(^^;
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西崎Pと「さらば」の交渉のため、京王プラザホテルの樹林に赴いたところからです。とりあえず一方的に条件を伝えました。ひじょうに失礼な態度ですが、断ってもらうために行っているのですから、遠慮することはできません。西崎Pは憮然とした表情で聞いていました。当然ですね。
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そろそろつづきを書きますね。もう1度記しておきますが、これはただの思い出話です。何十年の前のことですから、感情的なものはほぼ消えました。もちろん、資料でもありません。老人が「昔こんなことがあったなあ」と縁側でつぶやいているようなものです。その前提で読んでください。
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