現実のデザインと類似したアパレルを、マンガの中で用いないで下さいと知財を主張されたとき、マンガへの影響、かなりありそうですよねぇ。
他者の人権とバッティングしないように実際の性交渉を封印して、イラストなりドールなりでの性的充足をはかる道を踏み出した人々について、イラストやドールとの人生を祝福してあげることは、犯罪化や病理化による対処よりも、賢明な社会のあり方だと思うけど、まぁ、遠い夜明けになるだろうね。
見てて思うんだけど、小児性愛者じゃないのに、世間から小児性愛者とラベリングされて、自分で自分を小児性愛者だと頑なに信じてアイデンティファイしてるタイプのオタクの人が一定数いて、その人たちが、いわゆる「2次元」を擁護するロジックで、小児性愛障害自体を語ろうとして、混乱しているよね。
子ども型ドールのオーナーが、何かのはずみに実在の子どもに手を出す心配をするよりも、大人を性的対象にしている人たちが、何かのはずみに実在の子どもにも手を出す危険を心配した方がいいと思うんですけどねぇ。
文化庁さん、違法ダウンロードの対象拡大に反対した専門家を、ほとんど著作権法を検討する会議から外しちゃったけど、そういう極端に恣意的な人選をしてしまうと、信頼を損なうのではないかねぇ。
小説についても、登場人物の年齢が18歳未満であることを理由に、児ポ法制を参照した緒制度によって規制するという動きが、一部の国やプラットフォームで出始めましたね。今のところは、日本のラノベ周辺で問題になってますが、文章が対象になると、これまでよりかなり広範囲の表現で萎縮も起きますね。
最近の西洋社会、何と言うか、「センシティブ」であることを皆が競い合って、他人よりも鈍感だと悪者にされて袋叩きにあってしまうという恐怖に支配されている側面もありそうで、ちょっと心配ですね。
こんな位置にいたら運転席から死角になって危ないという批判や、バナナや服装が小児性愛的に見えるという批判など、色々と言われてしまい、結局、企業として鈍感だったことを謝罪した、と。ちょっと、どうなんだろうか……
どうもこの広告が小児性愛的だと非難されて、アウディが釈明に追い込まれている模様。いささか連想ゲームが過ぎるのではないか…… twitter.com/welt/status/12…
ネットバトルで恥をかいたことがきっかけで意固地になり、無頼の拠所みたいな感じで、反セックスワークや反ポルノに傾倒し、自分の心を守るためにどんどん意見を極端化させ、結果、トランス排除に傾いたり、セックスワーカーへの憎悪を深めたりしちゃう人、増えたよね。まさにネットの闇というか。。
セックスドールに詳しい人々と、意見交換の機会を持ったのですが、「女性・女児(実在人物)の代用品としてのドール 」という見方には割と皆さん懐疑的でしたねぇ。
本物の鉄砲がしっかり規制されている安全な日本社会だからこそ、エアガン(虚構の銃)をわだかまりなく掲げることができるというのは、大切な教訓のような気がする。 chunichi.co.jp/article/86083
現在進行してる「ゾーニング」というのは、あるテーマを取扱ったマンガや小説をスティグマ化して、「まともな業者」では「取扱い」をできなくする方向でのゾーニング。不意打ちで見ることのないようにするといった意味合いのゾーニングとは、性質が決定的に違うものだという認識をもった方がいい。
「ゾーニング」によって、流通をポルノ業者側にどんどん移行させることで、本屋さんが力を失っていけば、そのうち、本の流通だけでなく創作までもが、ポルノ屋さんの都合に沿ったものになってしまう危険があるわけで、そういうことまで含めて、ゾーニングのあり方や是非は考えるべきだと私は思うよ。
ダメなんだよ、こういうのは。 book.dmm.com/detail/b900skd…
金田一少年の続編コミックのあらすじ説明で「高校生」を伏字にしてしまうようなことは、「本屋」としてやってはいけないことなんだ、という意識をなかなか持てないんだよね、彼らは。
DMMはポルノ屋さんとしての卑屈な態度が改まらず、そういう姿勢のままコンテンツ流通の一大プラットフォームになってしまった結果、意味のない表現規制を自分たちで作りだして、更なる危うい規制を招き続けている。アップルやAmazonの危ういプラットフォーム仕草とは、また別軸の危うさがある。
勃起したペニスの選挙ポスターから、マスクで作ったブラジャー姿の選挙ポスター、投票日の候補者名を連想される餃子の話題まで、今回の都知事選挙は、選挙法による表現規制のあり方が、いきなり変な形で注目されてしまうことが集中してしまいましたねぇ。
子どもの頃は、芸能人のくだらないアレコレばっかのワイドショーや週刊誌をしょうもないと思ってたけど、今思えば、しょうもない人たち向けのしょうもないメディアなんだから、しょうもないネタで当然と反省してる。しょうもないメディアが政治やコロナなんてやったら大変なことになるとよく分かった。
まぁ、暴力革命ゴッコをやりたくてしょうがないダメな人たちが、マイノリティの周辺を徘徊して、都合よく利用できるものはないかと、何でも漁ってくるわけですよ。 そういうのから逆恨みされないよう、上手にあしらって距離を置く賢明さまでを、マイノリティは不当に要求されとるわけです。
バンドエイドの色とか、美白化粧品がどうのこうのみたいな話ではなく、警察官が人の首を膝で押さえつけて窒息死させちゃうみたいなのは普通はダメだよねぇ、という元の話に戻ってほしい。
今の「非実在系」の性表現規制問題の本質は、「セックスポジティブの規制派」による「セックスの押し付け」問題なんですよ。 「空想でオナニーしたい」と望む人に、「そんなはずない。お前はセックスがしたいはず。セックスをするんだから、それに適応する欲望を述べろ」と迫る間違いを犯してるわけ。
言いたくないけど、大阪維新さんのノリを、東海地方には持ち込まないでほしいんですよね。 東海地方は、真面目に物を作って世界で稼いで真っ当に食っていきたい経済構造の地域なので、百田先生や高須先生に口出しされても、ちょっと困るんですよ。 河村さんも、そろそろレッドカードでしょう。
セックスドールが法規制が必要なほどに危険だと本当に思うのだったら、まずは性交等を一切止めた方がいいと思うんですよね。どう考えても、そっちのせいでトラブルが頻発して、誰かを殴ったり刺したり殺したりなんてことが日常的に起きているわけで、危険極まりないですよ。
著作権の場合もそうで、実際に著作権を理由にインターネット上の情報を削除するように大量の申し立てをしているのは、クリエイターの方々ではなく、宗教団体とかなんですよね。 例えば脱会した信者が教団の内部資料を公にして告発すると、その資料の著作権を根拠に口を塞ごうとかしてくるわけで。