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さて、3月末で勤めていた博物館を定年退職いたしました。このアカウントは、これまでももちろん個人的見解だったのですが、担当した企画展示の私的広報から始めたこともあって、仕事関係のことも含んでいましたから、けじめをつけて、更新はここまでにしたいと思います。
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信長や秀吉は、客観的に見れば、侵略戦争を行なった残忍な独裁者に違いなく、こういう人物を「偉人」「英雄」などと呼ぶのは、本当にもう止めた方が良いです。江戸幕府や大日本帝国の歴史観ならそうなるでしょうが、そんなメンタリティーを今日受け継ぐ必要は無いです。アップデートしましょう。
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やはり「不在史料」が視野に入っていないからではないでしょうか。勝った側の史料は都合良く残る、ないし作られるが、負けた側や、戦火に巻き込まれた人々の史料はまず残らない。実在史料に基づいて歴史を描けば、そしてそれを読めば、戦争は正しいことで、自分も同じように勝てると錯覚するでしょう。
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そして、この種の認識の歪み、妄想を持つ背景には、やはり歴史が絡んでいるかもしれません。歴史叙述は、だいたい戦に勝って権力を握った人物を成功者として讃えるから、つい、自分もそれが出来ると思い、それになぞらえて行動したくなるのでは。そして、なぜそういう歴史叙述になるかというと、(続
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核武装の主張や、「敵基地攻撃能力」などというのも、おそらくそれと同じなのでしょう。実際はそのことによって、かえって攻撃の的にされ危険になるのに、それを忘れてしまう。プーチンも、武力を投入すれば電撃的な勝利を収められるという妄想を抱いていたらしく、同じことです。
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この錯覚、つまり武器武具を身につけると強くなったような気がしてしまう、というのが戦争の原因なのかもしれないと思うのです。負けて殺されると分かっているなら、わざわざ戦などしないでしょうが、武装すると、なぜか自分が勝つ、勝てると思い込んでしまう。
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「鎌倉殿の13人」の脚本も担当している三谷幸喜氏が、以前面白いというか、怖いことを書いていました。鎧を着せてもらったら、不死身になったような気がした、というのです。勿論実際はそんなことは無くて、鎧を着たまま殺される図なら、歴博佐倉「中世武士団」展のはじめの方にいくらもあります。(続
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弥生時代に稲の穂を摘んだのは女性、に見えますが、『新書版 性差の日本史』によると「田植え労働において女性の割合が増えるのは早くとも9世紀後半以降」で、弥生時代には男女共に田植えを行なっていたはず。穂摘みもおそらくそうでしょう。思い込みジェンダーでは。
www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/tra…
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そう言えば、中世武士団展のキャッチコピーは、「武力だけで人を支配できるのか?」でした。ロシアのウクライナ侵攻で、不幸な予言のようになってしまいましたが、日本なら鎌倉時代に、もう結論は出ています。できないのです。
twitter.com/rekihaku/statu…
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歴史をどう認識するかは、その時その時の営為です。客観的な歴史認識を持つことは本当に難しいですが、でもしなければならないし、そこで誤ると、世の中がとんでもなく間違ったものになってしまう。そのことは心しなければ、と思います。
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「二次史料」はそれを書いた者の立場で作られている、というのは分かりやすいですが、でも「一次史料」だって、特に伝来した文献史料は、残した者の立場で残っている訳ですから、やはりバイアスがかかっている訳です。「不在」の部分を考えずに利用すると、その論理を上書きすることになってしまう。
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もちろん、「不在史料」のことは「実在史料」からしか分からないのですが、でもそれを視野に入れることで、「実在史料」の危うさ、そこから書かれた歴史の限界を考えることはできるでしょう。
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自分の話は、歴史資料を読み解く、というテーマにしています。歴史は史料からしか分からないので、史料をどう読むかは究極の課題です。ただ、それだけでは実は不十分で、最近ツイッターで書いている「不在史料」を考えることが、やはり必要なのかもしれません。
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一つ思い当たるのは、歴史叙述が政治史や国家史に偏っていること。戦争の話や、勝って権力を握った話がとても多く、それが正しい事、すべき事のように思えてしまいます。そしてそれをやっているのは、まず例外なく男性です。そういう価値観は、もうアップデートしないといけないのではないか。
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歴史は本当に恐ろしい物で、簡単に人を誤らせ、世の中を破滅に導いてしまう。歴史の蓄積と学習が不十分なのに違いないのですが、では、どんな歴史を学べば良いのか、今までの歴史研究と叙述はそれで良かったのか、ということを考えねばならないでしょう。
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田中角栄は「戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない」と言っていたそうですが、人間は言葉によって体験を伝え、積み重ねて歴史とすることで、全体としての知恵を作るはずです。しかし、実際にはそれが機能しないどころか、しばしばねじ曲げられ、都合の良いように悪用されてしまう。
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「信長の教科書」と言っているのですが、信長は何を学んだから信長になったのか、という問題。人は、必ず先人の行動を参考に、あるいは根拠にして行動します。だから、誰かがなぜそういう行動を取ったかには、どんな歴史を学んだか、が少なからず影響しているはずです。
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プーチンにしても、こんな有り得ない行動を起こした背景には、「歪んだ歴史認識」があるらしい。何を読んだのか、「歴史的に見て」ウクライナは独立国家として存在すべきではない、と自らの行動を正当化できると考えたのでしょう。人の行動の背景には、たいていそのような認識や思想があります。
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近く、大学で言う最終講義のような話をすることになっているのですが、恐ろしい戦争が始まってしまい、こんな時に何を話せば良いのか、分からなくなってしまいました。中世の歴史の話がいったい何の役に立つのか、考えざるを得ません。でも、歴史学に意味が無いとも思わないのです。(続
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「#戦争反対」と言うと、意味が無いと冷笑する人がいる様ですが、魔法の呪文じゃないから、何か一つの事で物事が解決する訳はない。でも何も言わなければ、そういう意見は無いことになってしまうし、集まれば力になるのです。歴史の当事者として、すべきだと思うことをします。意思表示、大事です。🇺🇦
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その反省に立って、二度と戦争はしません、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(日本国憲法第9条)と誓うことで国際社会へ復帰したことを忘れてはいけない。最近聞こえてくる「敵基地攻撃能力の保有」などという話は、全く論外です。
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ロシアのウクライナへの侵攻は勿論強く非難されるべきですし、いったい人間は何時になったらこういうことを止めるのだろうと考えてしまいますが、顧みると、明治から戦前まで、日本がアジアの国々にしてきたのは、つまりこれと似た事だったのだ、と思わざるをえません。(続
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世界遺産申請をめぐる「歴史戦」報道でも感じましたが、NHKは政権側に立ったプロパガンダを平気でするようになってしまった。事実は捏造してもかまわない、「あるべきニュース」を報じるのが使命だ、と本当に考えているのではないか。もはやとても公共放送とは言えません。
twitter.com/fzk06736/statu…
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何度でも言わねばなりませんが、報道機関がデマを捏造して放映する、などというのはおよそあってはならない、それなら無い方が良いという問題で、雑誌なら間違いなく廃刊でしょう。五輪反対デモと参加者を貶めるという意図が明かなこの問題は、形ばかりの謝罪と軽い処分で済むことではありません。
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NHKが番組で、五輪反対デモの参加者が金をもらって動員されていた、というデマを流した件、ようやく「誤り」であったという会見があった由。しかしこれは「誤り」などではなく、存在しない事実をでっちあげた「捏造」です。それについての反省が全く見られません。(続
tokyo-np.co.jp/article/159515 twitter.com/kojima_sakura/…