まあなんだかんだ言って夏野氏の「角川のコンテンツはGAFA基準に合わないから変えてこう」という趣旨の部分が文字媒体での記事から落とされているということは、関係者が「おいヤベぇなこれ…」とは思ったわけですよね。少なくとも、「アホ」「クソ」発言くらいのヤバさは感じたから落としたと。
生身の児童を守るためということならば、「非実在児童ポルノ」を入れる必要もないし、「アニメ、ゲーム(を)規制の対象としていませんが…踏み込んだ対策を…勧告されています」も要らない。ソフトローであれ規制を目指すとする政策を掲げたことをはっきり認めた上で、撤回するべきだったと思います。 twitter.com/BlauerSeelowe/…
Netflixの『エミリー、パリへ行く』。アメリカの広告業界からパリへ来たエミリーが米仏でのポリコレの違いを体感するシーン。 「男性の眼差しの何が悪い? マン・レイやコクトーを知らないのか?」 「いや、アメリカで受け入れられないかもしれないと…」 「私は女なの。フェミニストじゃなくて」
「オマエラは△△へのバッシングに反対しなかったから□□が燃やされても助けない」みたいな発想が湧いてくるのは、特定の表現を規制し自粛・遠慮させたいからだろう。そもそも民主主義国家の成熟した構成員は、他人の表現に対して容易に規制しろ・自粛しろ・遠慮しろ論を唱えたりなどしないのです。
日本が「サブカル」に見える視線自体が欧米製の文化観で、なのになぜかそれが日本人の自分にインストールされてるという、今の自分の価値体系を疑え、みたいなのがまず価値相対主義的な発想のスタートラインじゃねえの? 般教でどういう「社会学」やってんだろ、昨今は。
イギリスの料理が「まずい」って言ってる日本人、チーズやバターの乳臭さとか、肉のケモノ臭さとか、野菜のドロ臭さとか、あまり日本人が使わない(胡椒に比べれば)ローズマリーやタイムの香りを指して、「まずい」と言ってる気がしてきたな。それらは「まずい」ではなく単に「馴染みがない」だよな。
通称でシャドウバンと呼ばれる状況は発生させるけれども、我々はその状況をシャドウバンとは呼んでおりませんという主張の作文がお上手過ぎます。「行ったこともありません」とまで言うのは限りなく嘘に近い。率直に言って不誠実だろう。
若者が、労組より経営者の方に心理的距離近いの、当たり前じゃん? だって定年まで永続的に労働者の地位が保証され年金貰えることも保証されてる人、どんだけおるん? そして、恵まれた大企業ですら一瞬で吹き飛ぶ事例を山程観てきたでしょう。そらみんな心性がだんだん個人事業主になってきますわな。
「何が性的かは私が決める」と言われたら、絵描き的には「自分が描いたものを猥褻だの何だの他人からは文句言わせねぇってこったな!」の意味で捉えるけど、まさか「これは少女に見えるからおまえは少女の権利侵害者!」みたいなこと言い出されるとは思わないですよ。あとそれ男の娘なんだスマンな。
「悪意のあるパロディ」というのはよく批判されるけど、制度としては是認しかない。「悪意」は他人の評価に過ぎず客観的な判断が行い悪い以上、何をどう描いても勝手に「悪意」と読まれるリスクがある。悪意を切り捨てて良いのだという制度下では、いつ自分の首が飛ぶかも分からん。
「罪のない者だけが石を投げよ」と言われたら2000年前の人でも「そう言われてみると自分にもなぁ……」と自省して思いとどまることができたのに、いまのTwitterで「ヤァヤァ正義は我に有り!」になって延々と他人に石投げ続ける人達、さては2000年くらい前から来たローマ帝国市民だな?
「リアリティがない」っていう映画関係者の批判を俺は山程聞いてきたんだけど、大体それは知識の不足と想像力の欠如からその人には理解できなくなってる表現への罵声を、何とか知的に見せようとラッピングした稚拙な修辞だったけどねえ。
オタク、チョロくて結構。チョロいと思って騙しにかかってくる人すらいなかったので、まず適切な要求と利益配分で社会が動いてきたことを理解することが大事だし、実際騙せるならチョロいオタク共を籠絡していただこう。面倒くさいオタクなら掃いて捨てるほどいるんだ。こっから先は長いぜ。
だからアニメ・マンガの類を容易に「サブカル」呼びする人は真面目に勉強している社会学徒ではありえない。
「アニメ絵が街中にあるのは不愉快」という方達は、「公共の場で不愉快になることで、自分と異なる他者の存在や思考を知ることが出来る。不愉快があるから民主主義を実現出来るんだ」という憲法学者に対してどう応えるんだろう。自身の不快感を癒やせというだけで護憲派を名乗られるのは本当に迷惑だ。 twitter.com/mishiki/status…
そうか、特に知財・経験財関連の転売屋問題をミクロ経済学のフレームで考えるなら、完全競争市場じゃなく独占市場での価格決定問題になるのか。だからP=MCは成立しないし、生産者と消費者の需要関数が別の形で決まってるから、総余剰が最大化するエコシステムを壊す転売屋はダメ、は成立する、か。
この言い訳で文中に書いてないけど確実なのは、ジェンダーのセクション書いた人より上位の地位にいる「優秀な」男性が書いたなってこと。それはもうよく分かる。 jcp.or.jp/jcp_with_you/2…
今は、だいぶそうでもなくなったと思うがね。世代が変わったんだと思うが、それでも、この発想を海外の人相手に喋る時には注意が要るよ。「つまり日本は未だに軍国主義・帝国主義であるのか」みたいな批判を招くからね。
もしi2iを使っているならば、StrengthとNoiseを意図的にありえないほど低く設定していないとこうは出力されないので悪意があるとしか言いようがなく、依拠性・類似性も明らかでこの出力には創作性はないので、翻案ではなくもう複製権からしてアウトになるでしょうね。 twitter.com/mikan_spi/stat…
こういう態度の先に待っているのは、「映画でネオナチを演じていた白人俳優をぶっ殺したが、反差別行為だから無罪」みたいな世界な、理性とも知性ともほど遠い、正に「中世」の世ではないのか。
賢いはずの人を集めた官庁とか学校とか大企業が、恐ろしいほどマヌケな業務フロー、例えばハンコ大好き病みたいなのを続けていられるかというと、その場の人の知的レベルがまあまあ高くて平等な場になってるせいで、手間を減らすよりも「無駄な作業を高速にこなす」方に優秀さを割いてしまうのだ。
一番私が良くないと思うのは、「シャドウバン」されている人は自分のツイートが普段と変わらずTLや検索に出るけど、フォローしている人のTLには一度載るだけで、返信も通知されないし検索にも出て来ないしリプライからも見えないという非常に不透明な仕様。そういうのを「シャドウバン」と言うんだよ。
だいたい「ホモソーシャル」の用法おかしいだろう。「男社会での言葉」くらいにまで多少譲って理解してやるにしても、「チンチンということ」が権力の発露ではなかろう。「チンチンと言ったら恥ずかしい」「まんこと言ったら恥ずかしい」という羞恥を維持している仕組みこそが「権力」ではないのか。
自転車が登場したときなんて上流階級の皆様からめちゃくちゃ怒られてるし、女性が自転車乗り出したりしたときもめちゃくちゃ怒られてて、それこそ真っ当だったフェミニスト達が「女性が自転車に乗ってもいいんだ」という運動をやってきたわけですよ。 hdl.handle.net/10112/14323
素人意見で恐縮なのですが、絵を一枚見ただけで日本はおろか社会に悲憤慷慨するような状態は、心の病気だと思うぞ。いま正に質量を持った高速な実弾が飛び交っている世界で何を言ってるのか。