なんで「ちん…」はよくて「ま……」はダメなのかというと、「それが社会・文化の『構造』であるから」というのが構造主義の発想で、じゃあ「そういう暗黙裡の構造は可視化して乗り越えて行かないと」というのが脱構築であったはずなのに、いつの間にか「えっちなのはいけないと思います」になってる。
「えっちなのはいけないと思いますと叫んでいい子になろうとする人達」が市民運動の類を主導するようになったのは、市民運動が真に幅広く、あまねく「市民」に解放されたからだと俺は理解している。不勉強な人が不勉強なまま市民運動に興じたらそりゃあそうなるだろうて。
確か湯浅誠だったと思うけど、市民運動から政権に入って中央官庁に出入りして、やべー中央の官僚って本当にマジモンで優秀じゃんってとこに気づかされて考え直したみたいなログ書いてたと思うんだけど、そういうインテリ主導であった2010年代から一段とギアが変わってるなとは思ってる。
今年ある中央官庁(の委託先)からこういうお願いをされて、「いやはや弱りましたなぁ」みたいな、のらりくらりしたように見えるようなことを歯を食いしばって言い続けてたら、「PDFでいいです」にまでなったので、みんながんばってのらりくらりしていこう。 twitter.com/stdaux/status/…
ただ、本件の場合は、単に委託先が俺の代わりに泣いたのではという気もしなくもないのでそこんとこ申し訳ない気もする。
北海道でレンタカー借りた時に「鹿が出るんで追加保険つけた方がいいですよー」と散々勧められたのを、「まあいつものレンタカー商売トークでしょ、要らんですわ」と思って断ったけど、実際走ってたら目の前を鹿に横切られたから、今度使う時どうするかは悩む。
「悪意のあるパロディ」というのはよく批判されるけど、制度としては是認しかない。「悪意」は他人の評価に過ぎず客観的な判断が行い悪い以上、何をどう描いても勝手に「悪意」と読まれるリスクがある。悪意を切り捨てて良いのだという制度下では、いつ自分の首が飛ぶかも分からん。
「パロディ」を描かないから大丈夫なんてことはない。「国家安康」「君臣豊楽」の故事を思い出してほしい。イチャモンは突然にやってくるからイチャモンなのだ。
日本のオタクに金髪碧眼へのコンプレックスがあるというのは何重にも捻れた主張だなあ。別に日本人はこれといって金髪碧眼になりたいわけじゃないんだよな。だって日本人の美人女優とされる人達の顔って、白人金髪碧眼美女、欧米で言うところの「金髪バカ」のステレオタイプから程遠いでしょう。
2020年代に顕在的にも潜在的にも最も内面化されてる価値観は、「えっちなのはいけないと思います」だろ。まほろさんがこれを繰り返すのがギャグになってたのは、まほろさんがアンドロイドだからなのに、今これは限りなくベタでみんなが真顔で思ってる、文化人類学で記述されるレベルのタブー化だ。
しかも「えっち」とみなす対象がどんどん増えてる。フィクション中で高校生同士のセックスを表で描けないくらいにまでになってる。日でも米でもそうなってる。そして、なぜ「えっち」なことがいけないかという理由が「女性差別」とかになってる。年配のフェミニストはブチ切れるべきなのに喜んでる。
「取り上げると本当に面倒くさい価値観の内面化」を本気で解きほぐそうとせずに、道徳の教科書の朗読を繰り返して権威を守ろうとするから、鬱憤の溜まってる大衆やネット上で隠遁してるインテリから刺されるのだ。こいう批判を全部「バックラッシュ」「反動勢力」とする古の進歩史観も止めるのだ。
「『バックラッシュ』ってお前、今どきそんな進歩史観を掲げるのは、勉強ができなくなった年寄りか勉強ができない若者だけだよ。止めなさい恥ずかしい、1950年代の本多勝一かよ」的な批判を受けても、この批判の意味は何一つ分からないし一切学ぶ必要もないと思っていて、「だって私達は正しいから」。
東大ですら、授業中に議論ふっかけて「今年も弁が立って活きのいい若者が入りましたなぁ」なんて教員がニマニマするような世界はとっくに崩壊していて、「あいつの過去発言かエロ動画の履歴掘り返してすきあらば吊るし上げよう」みたいな政争を恐れてそうね。だから互いに不勉強でも褒め合うという。
オリンピック合わせで政治的に浄化してしまいたいのは、ギリギリ攻めてる水商売の「いかがわしい」飲食店なんだろうけど、真っ先に死んでるのは他人のお願いを真剣に聞くタイプの真面目な飲食店なんだよな。
技術書典11、新刊のテーマは、 3原色言い始めたの誰? です。マクスウェル?ヘルムホルツ?ヤング? いやいや、100年違うんだねこれが!今回もニッチで真面目な先行研究調査になりました。日本でこれらの論文に触れているの俺が初ですね! 俺しか研究してないからね! techbookfest.org/product/555409…
俺は10年くらい前に現地の調査に行ってて、ブロッキングのコード書いた人とも警察の偉い方とも一通り会ってるんだけど、基本的に現場の技術屋さんが真剣に「これやったら権利侵害だろ」ってラインを考えてそこで止まってたんだよね。イケイケドンドンなのは政治家と活動家でさ。 twitter.com/ogi_fuji_npo/s…
DNSファーミングみたいな対応を「ブロッキング」だって表現したこと自体が政治的駆け引きの結果よ。
技術者の現場対応のみが権利を守ってるっての、おっそろしい人権侵害進行中なわけなんだけど、誰もそれを満足に言えなくなってる。
「えっちなのはいけないと思います」がすべてを押し流し、仮定の極論を出して議論することすら処罰してくるような母体は、議論の場としての体を成してないし、そういう組織ではまともな仕事出来ないので、さっさと辞めた方がいいという気はする。でもすぐ行ける場所がないんだろうな、優秀なのに。
本件は、近代国家における法哲学の基本的な理解があるかないかで大きく意見が二分されるので、かなりよいリトマス試験紙だと思ってみてますね。大声で言い難いが、近年見た中では最も優れた「バカ発見機」だと思っている。
ひええええ、いま普通に技術職に就いているような人ですら、「1995年当時の日本人がどうやってインターネットにつないでいたのか」がパッとは想像つかないものなのかぁぁぁ。
アカン人物がアカン言動をするフィクションで作者や演者を叩いてはいけない。まあ多くの人がこの区別をつけられないのは分かっているけれど、いま辿れる限りでみる発信源のre-geinouというよく分からんサイトと、名前を検索しても何も出てこない「竹下恭一」という記者について、誰か少し掘って。
re-geinouはすぐまとめアフィサイトに転載されてそれがTwitterに乗り始めて、決定的に炎上したのは高橋浩祐氏がYahoo!に記事を書いたところかな。経緯をみる限り、仕掛けられてるように見えますね。