京都で戦争と言えば、WWIIではなくて応仁の乱、とかよく言われるが、私が京都で聞いたことのある「戦争」と言えば、蛤御門の変と、会津小鉄vs.山口組の「京都戦争」である。「応仁の乱」云々は、いずれも現実の武力闘争を隠蔽するためのダミーだと思う。
思想・文学研究で「最新の研究」を参照せよとはあまり言わない。特にこの20年は世界中、粗製濫造論文が多いし、そもそも見ておかなければ成り立たない「最新の」論文などそうない気がする。むしろある問題について、どれくらいの「幅」と「深さ」で考えられるかが勝負だろうと思ってきた。
若者が政治参加しないと政治学者たちは嘆くのだが、大学のキャンパスでタテカンも立てられない、ビラも配れないような政治の弾圧を行っておいて、民主主義的熟議にはお行儀良く参加しましょうなんて、そんな都合いい話はない。 mita-hyoron.keio.ac.jp/features/2021/…
それはそれとして、真鍋氏には、気象学と軍事研究がどんなふうにかかわっていたのか、その具体的なところを少し話してもらえたら、と思う。
学術会議の軍事研究反対は、ある種「最後の砦」として死守すべきだと思うが、直接・間接に「軍事」にかかわらない科学技術などない。事態は「イデオロギー」としての人文科学にしてもそう変わらないと思う。
真鍋淑郎が地球温暖化メカニズムの解明でノーベル賞を取ったというので、60sからそんな問題に興味を持つなんて科学者って面白いな、と思っていたら、受賞コメントで、冷戦時代の合衆国は科学技術振興に積極的で恩恵を受けた旨の発言があり、一種の軍事研究でもあったのだな、と納得する。
大学に就職して初めて教授会に出たとき、出席している教員たちのほとんどが内職しているか、居眠りしているかで驚かされたことがある。しかしオンライン開催で、教授会中にアイロン掛けできる時代が来るとは思っていなかった。
しかも、フランスの極右の「移民問題がない日本」というイメージは、日本人の誤ったセルフイメージを反映している。「移民問題」が旧植民地から旧宗主国への人口流入を指すなら、同化政策の末に日本に居ながらにして外国人化された「在日」の韓国・朝鮮・台湾人は当然その範疇で考えられるはず。
日本は、ジャン=マリー・ルペンの昔から、フランスの極右にとっては、移民排除の「理想的」モデルケースだった。でも、その頃に加えて、日本ではさらに、労働基準法さえ適用されない「外国人技能実習・研修制度」まで作っているのだから、フランスの極右の理想のさらに上を行っている。 twitter.com/tommie116/stat…
ここで、三船敏郎が一人「快哉を叫んだ」と書いているのが、いかにも三船敏郎らしく突出しているなと思ったら、三船は玉音放送を熊本の特攻隊基地で聞かされたらしかった。 twitter.com/maGuremono/sta…
木村敏死去。ベルクソンを読んでいた学部生の頃、木村敏と中井久夫の分裂病論はとてもリアリティがあった。京都に着いた頃、東一条辺りのカフェで何度か見かけたことがある。人目を引くほどエレガントな老人で、何かこちらの背筋がすっと伸びるようだった。
小樽商科大学、小林多喜二の母校だが、フランス語の政治経済学関係の書籍が豊富で、Google Booksでたいていの本が見つかるようになるまでは、わざわざ北海道から本を取り寄せたりしたものだった。この国立大学唯一の社会科学系専門校が、北見工業大学・帯広畜産大学と統合予定であるのを知る。
バブル時代の子は、乱痴気騒ぎを拒否していた者も、なんらかの恩恵を被っている。何よりカネがあったから、面白いもの(映画・芝居・展覧会etc.)はたくさん見れた。先々の展望もないのに大学院にも進めた。いまや、学費の値上がりと貧困化の下、若い人は真面目であればあるほど大学院進学を躊躇する。
図書館に勤める人にとって、本が誰に貸し出されているかを第三者に伝えることは堅く御法度らしく、どれほど親しい司書も、たとえ貸出先が同僚でも教えてはくれない。そういう目立たない努力で思想・信条の自由は守られてきたのだが、今やデータベースにアクセスされれば、簡単にその砦は破られる。 twitter.com/yajipoi0810/st…
ここ数年、中国の報道官とか外交官の会見の映像を見ることが多くなった。ともかく眉目秀麗・頭脳明晰・冷徹無比といった国家エリートたちが続々と登場するので、文章がなかなか終わらせられない日本の老人政治家とか、TVキャスターあがりの合衆国の報道官などと比べて、まあかないっこないなと思う。
学生の時、一年生でフランス語文法学ぶやいなやボードレールの『悪の華』読まされたり、二年生でいきなりプルーストの『失われた時』を読まされたりした。大学院重点化で失われた、あのディレッタントでもある「パンキョー」の世界が、意外と「戦後民主主義」の支えでもあったのかもしれないなと思う。
いきなり「脱炭素」とか言い出したのは、まちがいなく原発再稼働のためだと思っていたが、それどころか、新設するっていうのか。どこまで旧時代の産業資本と心中するつもりなのか。 twitter.com/skasuga/status…
学術会議問題、首相・政府の学術任命に関する恣意的権力行使という政治問題こそが焦点であるのに、いつのまにか学術会議のあり方について、科学技術大臣と学術会議会長が「真摯に」話し合いを続けるさまを呈しているのは一体なんなのか。
政府答弁の如何にかかわらず、ここで実際になされているのは、政府と相容れない政治的立場に立つ学者たちに対する「嫌がらせ」であり、学者たちに対する「見せしめ」「威嚇」である。つまり国家による学問・言論の世界への露骨な権力行使である。
学術会議任命問題。法的に学者の代表権を持たされている団体が会員に推薦した人間を、政府が従来の法解釈、内閣答弁も無視して、任命しなかったとなると、この事実だけとってみても明らかな学者共同体に対する挑発である。
共産党政権崩壊後、かつてナチに担がれた昔の王様が帰ってきて、こいつが旧共産党と組んで政権を握ったという、驚くべきブルガリア現代政治の話も。空港までの幹線道路を走りながら、八九年にはここに百万人も人が出たんだ、としきりと言っていた。
夜の空港の周りには売春婦が群がっていた。ソフィアの中心部、スターリン様式の三角形の広場、昔は共産党本部と官庁が周囲を取り巻いていたらしいが、いまや国会議事堂と、大蔵省と、もうひとつ文科省が入った建物の一階にはカジノがテナントに入っていた。
ブルガリアの空港で乗ったタクシーの運転手が、大学で心理学をやった男だった。空港とホテルの間、行き帰りも同じ運転手にあたり、色々話を聞いた。昔は食えたが自由がなかったから、みんな蜂起した、でもいまや自由にはなったが、金がないから誰も外国には行けない、と言ったのをよく覚えている。
安倍退陣、twの白熱ぶりを見ると—自分もだが—、つくづくみんな安倍晋三が「好き」だったのだなと思う。というより、「安倍晋三」は<現実>の裂け目を塞ぐ対象aのようなものであり、それを弄ぶことで皆が<政治っぽい>ゲームを演じている気になれた特権的記号だったのだ。困難はむしろこれからだ。
この記事、文学教育擁護派さえ、エリート教育の手段位のことしか言えていない。いずれ、国文学がもはや国民的同一性の核ではないことの反映だろう。島と日本語に守られた我が国では、放っておいても国民は統治され、働くものと、支配層は高をくくっているわけだ。 diamond.jp/articles/-/245…