若松 英輔(@yomutokaku)さんの人気ツイート(新しい順)

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見えないことと存在しないことは違う。感じられないことと存在しないこともまた。希望が見えなくても、希望は存在する。生きる意味を感じられなくても、意味は確かに存在する。だが自分の目に、苦しみ、悲しむ人の姿が映じなかったとしても、世の中には独りひざを抱えて涙する人たちも、必ず存在する。
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朝起きて、天気が良い日は、今、世界が声にならない苦しみにあふれていることを忘れてしまう。だがしばらくすると、苦しみとは、苦しいとすらいえないことであり、苦しむ人はしばしば、人の目に隠れていることを想い出す。苦しむ人が声を失うことがあるように、悲しむ人は涙を涸らすことがあることも。
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学校がどういう場所かはともかく、若き日とは、様々な人生の問いに正面から向き合って、そこで苦しんでみることができる、そんな稀有なる日々ではないのだろうか。しかしいつの間にか学校は、「解答」や「情報」や「手段」を提供する場になっていった。なんと愚かな、そして決定的な欠落だろう。
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悲しみは「哀しみ」だけでなく「愛しみ」と書いても「かなしみ」と読む。悲しみとは、愛していた何かを見失った人間に湧き起る心情にほかならない。悲しみを語る口をふさげば、世界から愛が消えゆくのは当然だ。見失った愛を取り戻す道が見えなくなっても当然だろう。愛はしばしば悲しみの奥にある。
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「日本の新型コロナ対策は成功したと言えるのか─日本の死亡者数はアジアで2番目に多い」(菅谷憲夫)は一読してよいと思う。今、私たちは「開放」のときをむかえたのではなく、「準備」のときの真っ只中にいるのではないだろうか。⇒jmedj.co.jp/journal/paper/…
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亡くなったのは わたしが愛した あの人で 千人の中の 一人ではないのです もう抱き合えない あの人は 街を歩く 千人を  どんなに探しても 見つかりません 亡くなった人が 多いとか 少ないとか そうした話の奥に いつも 一つのいのちを喪った わたしのような 人間がいるのを 忘れないで下さい
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何を言うかも大事だが、言葉とは何かを考えなくてはならない。火が何であるかを知らない人に、火を扱わせてはならないように、刃は何のためにあるのかを知らない者に、それで遊ぶことを覚えさせてはならない。言葉をどう用いるか以前に、言葉の本質とは何かを考えること、それが教育の原点だろう。
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雨ガッパは、いずれ、「竹やり」と同じような比喩になっていくのだろうな。無知と無謀の隠喩。
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「布マスク」が届いたが、私はどこにも寄付しない。寄付するなら、ちゃんと機能するマスクを買って、しかるべきところに送る。今、目撃している愚かさを忘れないために書棚に入れておく。
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内村鑑三の『代表的日本人』で語られるリーダーにあるまじき性質は、①公私混同②弱者を見過ごすこと③待てないこと④ケチなこと、そして⑤正義とは何かを知らないことだ。大盤振る舞いする必要はない。むしろ質素であることは必要だ。しかし、物心両面におけるケチはだめだ。
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こうした危機のとき、もし、自分が所属する組織から「指示」と「方針」だけが伝えられて、ねぎらいの言葉もなければ、その組織への信頼は薄れていくだろう。危機のときに人間をいたわることを知らない者を信頼しても、その先はないからだ。こんなことは考えない日々がよい。しかし、それもまた現実だ。
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今、必要なのは、大胆であることではない。「思慮深く」あることだ。今の日本の政治に、最も欠けているものかもしれない。思慮深くあるためには、過去と今と未来を一つの「時」として認識できるような熟慮と洞察がいる。思慮深くあるために遠ざけるべきもの、短絡的思考といたずらな強がり。
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立ち上がれないことが弱さなら、そうならないことが強さなのではなく、立ち上がれない人に黙って寄り添うのが真の強さだ。自分もまた、おびえながら立とうとしていると「弱さ」において、人とつながろうとするのが本当「強く」あることだと思う。愚かな、あまりに鈍感な「強がり」はもういらない。
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街が平穏を取り戻したら、カフェで美味しいコーヒーが飲みたい。そこで、ゆっくり本を読みつつ、何かを書こうかと思いをめぐらせる。書けるかどうか分からないのだが、期待に胸は膨らむ。部屋ではなかなかそうはいかない。カフェは飲み物を飲むだけの場所ではない。まだ見ぬ自分に出会う場所でもある。
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実際の感染者数は10倍かも20倍かもしれない、と思いながら、根拠がないから発表の数字を優先させる。そんなバカなことがあるはずがない、と思うかもしれない。だが、この国は、少なくとも水俣病事件をめぐっては、今日に至ってもなお、そうした数字を「公式」としている。⇒msn.com/ja-jp/news/cor…
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「コロナ」後の世界はおそらく、時間と労力をかけて、これまで見過ごしてきたものを取り戻しに行くことになるでしょう。この前向きな旅は、後ろに向かって進むのです。読書も同じです。「古い」、しかし「古くならない」本を読みましょう。「新しい」とは不安定な、未熟なものの呼び名でもあるのです。
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これまで以上に「言葉」とは何かを真剣に考えなくてはなりません。あまりに言葉が軽視されているのです。食べ物を粗末に扱う人を快く思いません。しかし言葉はどうでしょう。食べ物が身体を養うように、言葉は私たちの精神の糧なのです。滋養のある食物があるように、叡知に満ちた言葉もあるのです。
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古書店の存在を忘れるわけにはいきません。古書店は、単に古くなった本を売る店ではありません。時代に忘れられつつありながらも、けっして消えてはならない本の「貯蔵庫」でもあります。古書の世界は、じつに楽しく深いです。何よりも歴史と出会う場です。私の夢は、小さな古書店を開くことなのです。
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常識のように語れてきたが、" win-win" の時代はもう終わりにしよう。勝者になるのはごく一部の人に過ぎず、見えない所で深く傷つく人がいる場合が多いから。これからは「お互い様」がよいのだと思う。助け合うのに理由はいらない。むしろ、利害があったらもうそれは「お互い様」ではありえない。
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第二次大戦中ファシズムと闘った人たちがいました。フランスではレジスタンス、イタリアでは「パルチザン」と呼ばれました。ミラノでパルチザンの列に加わった人たちが戦後、小さな書店を開きます。それが「コルシア書店」です。そこで働いていた日本人が須賀敦子です。須賀さんとはそういう人です。
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大学というところにまだ、あまり慣れてないのだが、文理を問わず、ある人たちにとっては、魂を売るというのもあまりハードルが高くないのだな。そっちの方に驚く。あるいは、売っていることに気が付きもしないのか。どちらにせよ、残念をはるかに超えて憤ってる。 #検察庁法改正案に抗議します
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このままであれば、今日の日を支えている、すべて亡き者たちと、これから生まれてくるすべての「いのち」を、はからずも愚弄することになる。私たちは、この世界を少しでもよい姿にして、後世に伝えていく義務がある。 #検察庁法改正案に抗議します
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「37.5℃」が誤解だったという話、まさか、このまま終わりはしないですよね。たぶん、メディアの皆さんは、これまでの言質(証拠)を固めているのだろうと思います。強くそうであることを信じたいと思います。もし、そうでないならこの国ではもう、言葉は信頼に値するものではなくなってしまいます。
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数十万人の感染者がいても、日に100件しか検査をしなければ人数はつねに二ケタだ。ウィルスの問題だから実感は難しい。容易に消えない「たいまつ」をもって街を歩く人を想像してみるがよい。近くにいる人に燃え移るかもしれないだけでなく、さらに大きな事件になることもある。検査が重要なのだ。
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今、全国民が、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んだらいいと思う。苦しむ人はいるのに「患者数」は増えない理由も、因果関係がないという言い逃れも、少額のお金で「いのち」にケリをつけようとする態度も、そして、批判する人をおとしめる動きをつくることも、今と全く変わらないのに驚くだろう。