「弁護士チーム」が授業をする際にも、法的な解説にとどまらず、事例サンプルを提示しながら、「いじめ」の範囲についてディスカッションします。同じ行為でも解釈が分かれること、しかしストレスを味わう被害者がいる以上、改善することが望ましいこと、およびその改善方法を説明するのです。
私が代表を務めているNPO法人「ストップいじめ!ナビ」には「弁護士チーム」がいて、複数の弁護士が学校に出張し、法的には何がいじめとして問題化されるのかという授業を行なっています。その場合でも、「いじめは犯罪」とは言いません。法的にアウト<だから>いじめはいけない、とも言いません。
他方で、刑事罰にはならないが、民事で問う、といういじめは多くあります。民事で言えば、加害者には、不法行為責任(民法709条)が問われる場合があり、学校側には管理責任(同415条等)が問われる場合があります。それでも、民事で勝てるかどうかはケースや争いかたによって変わります。
日本のいじめは、暴力系ではなくコミュニケーション操作系が主流です。そのうち例えば「シカト」「無視」が、6つのどれかで刑事事件化可能なのかどうか、問うてみればわかるでしょう。
番組では古谷経衡氏が、「実はいじめなんていうものは存在しない。この6つの刑事事件のどれかに一致する、あるいは複合的に一致するのがいじめであると」と説明していました。これは法的にも実態的にも誤りです。まず、刑法に該当しないいじめ、刑事事件化されないいじめは多くあります。
例えば「いじめは犯罪」は、スローガンとして政治的に用いるのはともかく、字義としては誤りです。「刑事罰に該当するいじめもある」であれば正しいですし、「いじめは犯罪的」という比喩なら分かります。しかし、「"いじめ"は存在しない。あるのは刑事罰のみ」は明確に誤りです。
僕自身は、必要に応じて司法と警察が、要請に応じて学校に介入するのはケースにより重要、スクールロイヤーのあり方も要検討だと思いますが、そもそもの前提が間違っていると具体的対策が構築できません。パネルを掲げたのはおそらくいじめ実務に関わる法律家ではないのではないでしょうか。
この画像を提示したのはどなたでしょうか。動画を確認できませんので発話意図はわかりませんが、画像としては、一人歩きすると問題ある事実誤認を含んでおります。 twitter.com/SHZYUVs0GR7z3g…
ストレスマネジメントや環境の改善方法についても伝えることが理想です。理不尽に慣れることは「適応」かもしれませんが、理不尽さを見直すスキルを身につけることこそが「成長」ではないしょうか。社会の理不尽を改めるスキルを身につける訓練を、むしろ学生の頃にしておいて欲しいです。
つまり、理不尽な校則は、子供のストレッサーになる上に、子供からストレス発散手段を奪うという側面もあるわけです。市民社会とは別の「オキテ」が支配する学校を、より過ごしやすくするためには、「秩序のための校則」を押し付けるのではなく、自由や権利はもちろんのこと(続
子供にも過労やストレスがあります。ストレッサーの増加はいじめも増やします(『いじめを生む教室』参照)。大人なら休憩時間の飲食やスマホ、喫煙や外出などがありますがら、「持ち込み禁止」「他の教室に入っては行けない」「五分前行動」の子供には発散手段が乏しいのも問題です。
スカートの長さについて、「痴漢対策」をあげる人がいます。しかしスカートの長さを「短くしない」ことの効果は限定的ですが、「私服」よりも「制服」および「通学時間の長さ」の方が被害を増加させます。記号化している制服そのもののリスクを直視することも重要です。(画像はBuzzFeedより)
他方で「ソフトな管理」の全国的な拡大には、地域の要求や、教員の多忙化も無縁ではないでしょう。社会的議論と同時に、教員の「働き方改革」、特に現在の中教審の案には「入っていない」人員増や給特法撤廃など、余裕をもって児童と向き合える環境づくりも必要。教員叩きをしたいわけではありません。
「体罰」「連帯責任」を行う教員の元ではいじめが増加する、「羞恥刑」は周囲の人間も含めて集中力などのパフォーマンスを低下させる。『いじめを生む教室』でも紹介しましたが、こうしたデータがなかなか「怖い先生」のところに届いていません。
「連帯責任」のほか、人前で叱咤する「羞恥刑」も改められる必要があります。生徒の自尊心を大きく傷つけ、周囲からのレッテル貼りにもつながります。 理不尽校則は、不適切な指導とセットで行われがちですが、見せしめ、吊るし上げといった行為については、否定的なエビデンスが複数出ています。
校則をどう改めるか。2つのアプローチをとってほしい。一つは、生徒などの議論を踏まえた改善。生徒の改善の試みを「つぶす」のはやめる。もう一つは「さすがにそれは」という異常事例について、体罰同様、文科省が通達を出す。理不尽な校則は、心理的な体罰・虐待に等しいものもあります。
中学時の教員からの理不尽指導を年代ごとにクロスした結果、理不尽指導にも「はやりすたり」があることがわかります。強く叩く、廊下に立たせる、正座させるなどの指導経験は若くなるほど減少していますが(これらは全て文科省の定義している「体罰」にあたる)下着チェックや反省文は増加しています。
中学校と高校での体験を比較してみると、中学校のほうが校則が厳しくなりがちであることが分かります。他方で、毛髪指導については高校の方が経験率が高いため、校則にあることと、具体的指導の経験は、分けて考える必要があるでしょう。
日本の学校は制服を導入するだけでなく、多様なファッションを「平等原則」「おしゃれ禁止」「盗難などトラブル防止」「授業の妨げ」「地域の目」といった理由で抑圧する傾向が強くあります。それぞれの理由で子供達を「再画一化」する動きが出てきている。これを「ソフトな管理主義」と呼んでいます。
中学時の校則について、種別と年代別にまとめました。例えば「水飲み禁止」については、若い世代になればなるほど、経験率が下がっています。他方で、「スカートの長さ指定」「下着の色指定」「眉手入れ禁止」「整髪料禁止」などは、多くの項目が近年になって増加傾向にあることが分かりました。
ただし、校則改善については、教員主導のものが多く、生徒や保護者へのアンケートや生徒会を通じての民主的な取り決めが課題です。生徒会で問題提起しようとした生徒を大人が「つぶす」事案もあるため、自治の空間をサポートする意欲が必要となります。
「校則は見なおせるの?」→1991年に文科省が調査したところ、半数以上の学校が校則を見直した経験があり、服装(60.7%)や頭髪(29.5%)の規定も改められてもきました。その多くは、教員の話し合いによって決められ、見直したことの影響については肯定的意見が多数を締めていました
また、学校のみならず、企業や国家についても「嫌ならやめろ」「嫌ならでてけ」という声も聞きます。抗議方法にはvoice(要求)とexit(退出)があり、所属メンバーが声を上げて改善を求めるのは正当な手段。「でてけ」と他人が言うのは、自らを既得権と位置づけ、抗議を矮小化する抑圧行為です。
「校則を知った上で入学したのだから納得しろ」という意見も。ただし、国立教育政策研究所の報告では、全国の高校で、指導基準について周知していない学校が6割を超えていました。理不尽な校則のように、「事前説明のない指導基準」が多々あるため、校則の説明はさらに少なくなります。
すでに校則などとのミスマッチで不登校になってる児童が年間延べ一万人ほどいるのであれば、「嫌なら行くな」で解決論議を放棄するのではなく、ミスマッチを生む学校のシステムを改善する=校則などを見直すことが重要と考えられます。