中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(リツイート順)

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国葬に来る方だって公費で来るのだから、民主主義国であれば議会の同意が必要になる。さほど国益に利するとも思えず、民主的正当性に疑義のある「国葬」であれば参加に国費は出せない。行きたいなら自費で行けということになるだろう。
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改めて、「正義」とは自己を律するものであって、他者に及ぼすものではないということを申し添えておきます。
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フランスで起きている年金改悪反対のデモを見ていると、彼の国では立憲主義がきちんと生きているということが知られる。国民の自由と人権を守ることが政府の責務であり、それに反する政策に対しては主権者は抵抗する当然の権利がある。これが権力に対する対抗力であり、その均衡で独裁が抑止される。
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日本の現状を見ると「迷走」という言葉が一番ふさわしいと思う。もうどちらに進むべきか、どこへ向かえば問題を解決できるのか、政治家も国民も誰も分からなくなっているのではないか。だから皆それぞれ勝手なことを言い、勝手なことををやり、国全体は一つもよい方へは動いていない。
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日本の政治は一貫して「虎の威を借る狐」政権だった。虎とは天皇のことであり、途中から張り子の虎にはなるが、虎は虎、政治はその威を借る狐によって行われ続けた。江戸時代にもなると徳川は自ら事実上の虎に近づいたが、それでも張り子の虎は残され、それが明治の面妖な狐政権を生む要因となった。
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マイナ保険証の強行の先にあるのはやはり国民健康保険制度の縮小ないし廃止、民間保険会社の参入と自由診療制度への移行だろうと思う。国は医療費負担から解放されるが、医療サービスは金持ちと貧乏人の間で差がつけられ、命の沙汰も金次第という時代が来る。
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致死性の未知の病気なのだから、一定数の人々が亡くなるのは仕方ないとは思う。しかし、政府はその現実に言葉ではなく行動としてどれだけ抵抗しただろうか。例えばオリンピックなどやってはならなかったのだ。その姿勢の感じられない日本政府を信用することはできない。
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本当に日本て愛のない国だなと思う。愛というのは優しいとか温かいとか思いやりがあるとは少し違う。もっと積極的、能動的、主体的に他者を守ろう、大切にしようという意志だろうと思う。この愛がなければ人間の尊厳とか、個人の人権とかは、ただ空虚な言葉だけのものになる。
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日本全体があえいでいるように見える。グローバル競争に立ち遅れ、世界からは引き離され、足元は少子高齢化で若い世代の負担は増え続け、突然のコロナ禍にも有効な手を打てず、状況は益々悪化するのに政府はどこ吹く風で勝手なことばかりやっている。崩れていく日本を立て直せる者は未だ現れない。
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日本には「人」という観念あるいは概念がないんだな。一切の肩書や属性、関係性を離れた「人」という観念が。
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「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ」(憲法97条)て鍛えられてきたものなのだから、今まさに自民党政府によって与えられている試練に対しても、必ず堪え抜くと信じている。
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治安維持法(1925年)、国家総動員法(1938年)から1945年8月15日までの約20年間、これは異常な時代ではなく、最も日本らしい、日本の素が現れた20年間だったのではないかと思えてならない。確かに形は違うけれど、今社会で行われていることと当時との本質はいったい何が違うのだろう。
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こういう時代だからこそ、自分の足元を固めなければならない。正しい人間にならなければならない。それは正しいか、何が正しいことなのか、正解はどこにもない問いの答えを求め続けなければならない。正しくあろうとすることから逃げてはならない。
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マスクをいつ着けていつ外すかも政府に決めてもらわなければならないのか。科学的合理的思考能力以前に、自分では何も決められない国民になってしまっていないか。
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手続き的にも理念的にも政治的にも何をどう考えても安倍「国葬」はあり得ない。これを強行すれば必ず後々に禍根を残すことになるだろう。今ならまだ引き返せる。「内閣・自民党合同葬」へ名称変更するだけで、中止の必要はないのだ。岸田首相の勇気と決断を望む。
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人間を見失ってしまった社会(これは日本だけではない)に、人間をどう取り戻すか。時代の流れに抗する覚悟で進めなければならない。
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そもそも人間は自己の主観を逃れることはできないのであって、どんなに考え尽くされた考えであっても、所詮それはその人の主観だといえばそれまでなのである。つまりは人の意見や言説を評価する基準は「感想」であるか否かではなく、その意見や言説に「普遍性」があるか否かでなければならないのだ。
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安倍晋三というのはまさに「裸の王さま」だったのだろうと思う。今もなお「素晴らしい衣装」を褒め称える取り巻きは少なくない。誰かこの虚仮の衣装を剥ぎ取ってくれる学者かジャーナリストが現れないかと思うのだが、今の日本人では無理だろう。そんな奇特なことをする外国人もいそうにないし。
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ぼくが自然とリベラリストになれたのは父がリベラリストだったからで、昭和4年生まれの父は、自由は命の次に大事なものだといつも言い、そのようにぼくらを育てた。
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民主主義の確立していない国が軍隊を持つことは国民にとっては自殺行為のようなものだ。そういう国の軍隊は国民のための軍隊ではなく、権力者のための軍隊であって、命令されれば国民にも銃口を向けてくる。
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ぼくの知り合いにも性的な話を聞いたり見たりすると本当に気分が悪くなって体調にまで影響が出てしまうという人がいるから、やはり性表現には配慮は必要だと思う。それは「表現規制」という問題ではなく、また性を楽しみたいという自由の否定でもなく、gentlyの問題だと思う。
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正直言うと、選挙の話題が盛り上がれば盛り上がるほど、気持ちは冷めていく。どう考えても多くの国民にとって悪い方へと向かっているのに、その政治を止める手立てがない。抵抗の力はあまりに弱く、孤立している。このまま崩壊が誰の目にも明らかになるまで墜ちていくしかないのだろうか。
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さすがに「れいわローテーション」には賛同できない。参議院議員の任期を6年とした意義を潜脱するものだし、有権者だって比例だとしても誰でもよいと思っている訳ではないだろう。同じ党にいても議員は個人として活動し評価されるべきだ。
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天皇は元首にして国政を総覧し、内閣は議会に責任を負わず、臣民の人権は政府が許す限度でしか認められず、臣民は天皇に忠を親に孝を尽くし、妻は単独で法律行為をなし得ず、男は兵役の義務を負い、戦争となれば天皇のために命を捧げなければならない。本当にこういう国に戻りたいのだろうか。
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自分の恣意的な「座り込み」の定義で実際に座り込みをしている人たちを揶揄しても無意味だ。そもそも「座り込み」に共通の定義などあるはずもなく、行為者が「座り込み」と言えばそれが座り込みだろう。毎日、一定時間、誰かが座り込んでいれば「連続◯◯日」と言うことに何ら不合理な点はない。