576
いやしくも知的であろうとする人が現政権に批判的にならないのはおかしい。よしんば自分自身は現政権によって利益を得ていたとしても、それによっては利益を得られない人の存在を考えることが知的であることの当然の証だからだ。もちろんこれは知的であろうとしない人には関係ない話だが。
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今日も「ああ、嫌だ嫌だ、主権者なんかになるのは嫌だ、国のことを自分で考えるなんて嫌だ、政治は偉い人に任せればいいんだ、日本の政治家は西洋とは違って民のことを一番に考えて、俺たちに悪いことなんかしないんだ、悪く言うのはサヨクだけだ」という声が聞こえる気がする。
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多くの日本人の思考には、自分が自分を大切にするように、他者も他者を大切にしているのであって、そこには何の優劣もなく、自分が大切にすることを認められるためには他者が大切にすることも認めなければならないという相互性の原則がすっぽり抜けている。
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世界中の一人でも多くの人が、生まれてきてよかった、生きていてよかった、と思える社会にすることが政治の要諦であり、自分の思想やイデオロギーの実現、ましてや自己の利益の実現のために政治があるのではない。日本に本当の政治が生まれるのはいつのことになるのだろう。
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岸田がアドリブで言ったとされる「社会が変わってしまう」という言葉は、図らずも当人の本意を超えて問題の本質を明らかにしてしまった。まさに彼らの望む社会を維持するために個人の自由や権利が抑圧されているのであって、変わるべきはその社会の方なのだ。社会にこそ問題があるのだ。
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困っている人を救済するための給付金を性風俗業には不支給にしても問題ないとされる一方で、それを困ってもいない国家公務員が平然と騙し取るというのが日本の現実だ。いったいどこに正義があり倫理があるのか。規範を失えば社会は機能しない。まるで日本は正しい遺伝情報を失った細胞のようだ。
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天皇は「日本国民統合の象徴」とされているけれど、安倍は「日本国民分断の象徴」だった。
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共産主義さえ撲滅できれば日本を売り渡してもいいと、健康のためなら死んでもいいとは似ている。
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慰安婦像を撤去したからって事実は何も変わらない。「なかったこと」にできるのは内輪の世界だけだ。全世界が忘れ去ってくれるまで、撤去を続けていくのだろうか。
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結局、日本で相対的に最も多い塊は「自民党が何をやっても決して逆らわない」人々であって、自民党以外はじめから視野の外だから、選挙になれば当然自民党が第一党になるわけで、ことさら独裁を意図しなくても、自然と独裁が完成してしまう国なのだ。
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日本という国は、生まれつきの家庭環境、能力、適性、性格、容姿、体型等々、何であれ優れたものしか評価しないから、ほとんどの人から希望や生きる喜びを人生の早い段階で奪ってしまうのだ。根っから裏返しの差別主義社会と言ってよいだろう。これが日本の国力を奪っている大きな要因だと思う。
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政治家というのは国民の委任を受けてその契約を履行する責任を負っているのだから、その義務はカントの言う「完全義務」であって、やるべきことをやっても決して褒められず、やるべきことをやらなければ責められる存在なのだ。どの政党の政治家であれ、反対党からは一方的に責められるのは当然のこと。
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「最大多数の最大幸福」に対して菅直人元首相は「大小少数の最小不幸」と言ったけれども、目指すところは同じだと思う。この世から一人でも不幸な人をなくし一人でも幸福な人を増やす。政治の目的は極めてシンプルにそれ以外にはあり得ない。自公政権にはそういう考えは微塵も存在しない。
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子ども食堂に補助金を出したり、塾代を助成したりというのは、例えば警察が人が足りなくて泥棒を捕まえられないからって家に鍵をつける補助金を配るようなおかしなことだ。
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内閣支持率も自民党支持率もともに急落しているのは、ようやく目が覚めた人々が増えたのだと思いたい。しかし、この敵失を生かせないのが立憲民主党。まだまだ楽観は許さない。
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立憲民主党には実質的な社会民主主義政党となることを期待していたのだが、どうやらそれは初めから無理な注文だったようだ。まあこれは個人的な期待だから言ってもしょうがないことだけれど、共産主義は遠い目標であって、すぐに実現できる社会民主主義的政策を実行できる政党は欲しいと思う。
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戦後民主主義が可能だったのは戦争の記憶がいまだ鮮明だったからだろう。戦争を止められなかったのは日本の民主主義が未熟だったからだという認識は、よほどの極右を除いては、広く国民に共有されていたと思う。しかし、その世代が消えていくと民主主義の重要性・必要性に対する意識も消えていった。
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野党はどの政党をとっても一党で自民に対抗できる政党はないのだから、与野党拮抗の国会を作るためには野党共闘以外に方法はない。端的に言って「共産党と手を組めるか」がネックなのだろうが、いくら共産党が嫌いでも、それを我慢する方が自民の独裁を許すより遥かにマシなはずなのだが。
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迂遠な道だけれど、自民党政治を終わらせ、日本を救うには「一身独立して一国独立す」を実行していくしかないと思う。一身が独立するというのは自分の頭で考え、判断し、行動するということだ。独立した個の間では誤りはおのずから修正されるが、依存した関係では人間は誤りの方へ流れ下っていく。
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自分と異なる意見、価値観、支持政党、生き方、好み、性、職業、学歴、地域、民族、国籍等々に対する耐性や寛容のある人がどんどん減っているように思う。違うこと=敵がデフォルトとなって、常に防衛的かつ攻撃的構えで人に相対する人が増えている。人間の器が小さくなったのだろうか。
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福祉、医療、教育、労働の権利は社会権に属するが、日本では社会権の認識や理解が不十分なように思う。社会権の保障は決して国家による慈善事業ではない。社会の再生産と強化、ひいては経済成長や安全保障にも繋がる重要な社会経済政策なのだ。
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これこそ憲法13条の精神。国会議員、閣僚、全ての公務員が自覚していなければならないことで、そういう国であれば国民だって国のためにできることはしようと思うだろう。 twitter.com/izumi_akashi/s…
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続々と現れた新政党は皆右派ポピュリズムという点で共通している。どこまで支持が伸びるのかは分からないけれど、その数値は日本の病理を表示するものだろう。
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そもそも自分の政策に確固たる自信があるならばメディアを手懐ける必要はないわけで、どんな反論に対しても堂々と説明責任を果たせばよいだけのことだ。それができずにメディアを支配しようとしたのは、自分の政策に説明できない後ろ暗いところがあるからだということを自ら告白しているようなものだ。
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政治家に倫理性を求めるのはないものねだりかもしれないが、せめて合理性だけは強く要求したい。政治から合理が消えれば国に未来がないということは、80年前に経験しているではないか。