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日本には「人間の尊厳はいかなる場合でも守られなければならない」という確固たる規範がないから、犯罪を犯したり不法滞在となったりした人は言うまでもなく、年を取ったり病気や障害で働けなくなったり、政府や多数派に反対したりする人までも、そんな人間の人権は奪われてもよいと考えられている。
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これが食事かと思うような貧しい給食の画像が上げられているけれど、そのうち「給食をあまり豊かにすると、(給食に頼って)家で食事を作らない親が出てくるからわざと貧しくしている」とか言い出しかねないのが日本の役所。
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政治はまず社会の助けを必要とする弱者のためにあるのであって、強者は政治に頼ることなく、自由に活動すればよいのだ。政治も彼らの活動の自由は保障しなければならないが。日本はそれがまるで逆で、政治は強者を保護するばかりで、弱者は常に厄介者扱いされる。全く不正常な政治が続いているのだ。
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日本は様々なマイノリティーと平和的に共存してきた、昔から多様性を認める差別のない国だと言う人がいるけれど、それは単にマイノリティーが黙って耐えて耐えて耐えて耐えてきたことに気づいていないだけの話だ。
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狭い島国の中だけにいて、世界の人々が何を考え、どうしてきて、どうしようとしているのかもよく知らず、ただ戦前は軍事力、戦後は経済力だけで先進国と勘違いし、しかしそれらも借物だから長続きせず、それでもいまだに自分たちは優秀で最高の国だという独善に陥っている祖国が哀れで仕方ない。
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日本の「軍事大国化」だって、決して日本国民が主体的に望んでいることではなく、ただひたすらアメリカに従い、アメリカに見捨てられたくないという政府のために、国民生活が一方的に犠牲にされているという一例なのだ。
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「差別は絶対にだめ」「戦争は絶対にだめ」「原発は絶対にだめ」「死刑は絶対にだめ」等々は言い続けることが重要なのだ。それで現実がすぐに変わることはないだろう。変わらないどころかもっと酷くなるかもしれない。しかし、それは敗北ではない。正しいことは言い続けなければ変わらないのだから。
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マイナンバーカードの場合、制度的には「選択的保持制」だったはずなのに、事実上の「強制的保持制」にされようとしている。どうしてここでも個人の自由でよいというあり方が否定され、政府が決めたあり方に皆従わなければならないとなるのか。本当に不思議。
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自民党支持者は政府に依存してそこからおこぼれを頂戴する体制が理想だから、普通の民主主義国家にしようとした民主党政権が「悪夢」であったというのは当然で、筋が通っている。
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襲われたり、時に息苦しくなることもあって、やはり未だによく分からない嫌な病気だと思う。今日から5類だといって、自分も人も同じ目に合うことがないように、まだ気を抜く訳にはいかない。
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ぼくも昨年暮れにコロナに罹ったが、幸い症状は高熱ぐらいで軽症で済んだけれど、ぼくより若い人で、ほぼ同じ頃罹患して2日目に亡くなられた方がいることをTLで知って、やはりこれからどうなるのだろうかという不安は免れなかった。今もはたして後遺症かどうかは分からないけれど、急に激しい咳に
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社会への貢献度をどうして納税額で比較するのだろうか。社会への貢献は労働だろう。労働こそが社会に富を産み出すのだから。納税額ばかり高くても労働らしい労働をしていない者もいるではないか。
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「普通の人は拷問されないから何も困らない」と言いたいのだろうが、それが実は「拷問」の効果なのだ。拷問を置いておけば人々は拷問を避けるような行動しかしなくなる。それによって権力は手を汚さずに国民をコントロールすることができる。そうして権力に従う「普通の人」ばかりの国が出来上がる。
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コロナが5類になるというとまたぞろ経済効果がどれぐらい期待できるかという予測が出てくるけれど、それは金が右から左へ動くだけで社会全体では少しも豊かになりはしないのだから、もうそういう考えはやめて、真面目に社会有用な新たな価値を産み出すことを考えるべきではないのか。
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日本人は元々自由は欲していないのだろう。確かに自由はすべてのことを自分一人で決めなければならず、失敗しても誰のせいにもできない。その厳しさに耐えられないから「自由からの逃走」が起こる。それは西欧社会では大問題とされたが、日本ではデフォルトだから、何が問題なの?ということになる。
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自民党改憲案のからくりは、人権条項にすべて「公益及び公の秩序」という条件がついていることだが、「公の秩序」を具体的に成文化したものが法令である。つまり憲法が保障する人権は法令により制限できると憲法自身が規定しているということだ。これでは明治憲法の「法律の留保」と同じことになる。
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自民党政権では、未来永劫政権を執り続ける、政権交代は絶対に許さないということが自己目的化している。改憲もそのための手段に過ぎない。政権の座にあり続けるための政策が他のすべての政策より絶対的に優先される政権なのだ。しかし、それによって何がしたいのかさっぱり分からない。
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自民党とそれを支える日本の「伝統」を保守する思考が、日本を世界から遅れた国にし、日本国民の多数が豊かで自由で幸福な人生を送れるようになることを一番阻害しているということに早く気づくべきなのだ。
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MAZDAの一件を見て思うのは、人が見ているから、人から何か言われるからきちんとしなさいという教育を行っているうちはダメだろうということだ。規範的共同体の消えた現代社会では「恥の文化」は通用しない。自己の内に確たる規範を持つためにはどうすればよいか、日本の教育の大きな課題だ。
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しかしよく分からないのだけれど、別にトランスジェンダーは性自認だけでよいと思うのだが(客観的に判断しようがない)、トイレ、風呂、更衣室など通常肌を露出する場には入れないとするのは受忍するべき合理的根拠があり、そこから排除されても、決して不当な差別ではないだろう。
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どうして外国人を同じ人間として見られないのか、その方が不思議。日本人だって日本を出れば外国人だ。紛争中の敵国ならいざ知らず、外国人であることを理由に人権や生命まで奪われても「それは当然でしょう、仕方ないね」とどうして思えるのだろうか。
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国民の政治に対する関心が低ければ、優れた政治家も現れない。何事もそうだけれど、社会の裾野が広ければ広いほど、頂きも高くなるものだ。もっと多くの人が気兼ねなく自由に政治に参加し、議論できる空気を育てていく必要がある。遠回りのようだけれど、それが日本の政治を変える最短の近道だろう。
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日本が人権に冷たい国であるということは世界中にすぐに知れ渡るだろう。それで損を被るのは日本自身なのだけれど、外国人が来なくなってせいせいするという人間がまだ多数なのだから仕方がない。日本がちやほやされたのは金があったからで、それがなくなれば誰も見向きもしなくなるだろうに。
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お行儀のよい優等生の答えのような順張り意見に大衆はうんざりしている。そこに「ちょっと違うタイプの知識人」が出てきて、優等生をやり込めると大衆は喝采するのだ。そこにマスコミが目をつける。逆張りがはびこる背景にはこうした大衆言論消費社会とでもいうような世界が存在するのだ。
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昭和の初めのファシズムと侵略戦争を国民に帰責するのは酷だと思う。主権は国民になく、教育の機会も内容も不十分で、マスコミは統制され、思想や政治活動の自由もなく、反戦・反ファシズムは口にしただけで投獄され、命の保証もなかったのだから。しかし、今は違う。そうした言い訳は一切通用しない。