中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(新しい順)

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もし中国が本気で日本に軍事侵攻しようとするならば、当然日本のウィークポイントを突いてくるはずで、わざわざ沖縄に突っ込むようなことはしないと思うけどね。
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無能な政治家たちによる馬鹿げた政策が国を衰退させていくということ。これが自分の国の出来事でないならば、他山の石として貴重な教訓となるのだが。
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山口県教委は、半旗にしなかった校長に対し、「正当な理由」がなければ処分するそうだが、「正当な理由」のない命令を出す方は処分の対象にはならないのか。
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リベラルは嫌い、インテリは嫌い、老害は嫌い、左翼は嫌いという憎しみの四重奏にさらされている😂
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そもそも何に対してであれ、揶揄、冷笑、侮蔑をする相手にまともに取り合う必要はないのだ。彼らにその何かをよりよくして行こうという意思など微塵もないのだから。理想を持つ人間は、自分をその理想へ少しでも近づけるように、粛々と事を進めていけばよい。
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governability(統治能力)というのは確か福田赳夫の造語で、本家英語にはないそうだが、今の自民党は完全にこのgovernabilityを失っていると思う。今後もただ「丁寧な説明と国民のご理解」と言うだけで、何一つ有効な解決策を打ち出すことはないだろう。理念がないのだから当然のことだ。
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元々規範意識のない人間がたまたま金や権力、あるいは腕力を手にして全能感を得ると、本当に何をしでかすか分からない、最も危険な存在となる。それは個人だけの話ではない。集団でも国でも同じことだ。規範意識のない人間ほど恐ろしいものはない。
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しかし、「他人の命より自分の金の方が大事」だとなぜ言い切れないのだろう。皆そう思っているのだし、そういう政治が行われているのだし。あ、そうか、「いちばん大切なことは言葉にできない」のか。
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いやしくも知的であろうとする人が現政権に批判的にならないのはおかしい。よしんば自分自身は現政権によって利益を得ていたとしても、それによっては利益を得られない人の存在を考えることが知的であることの当然の証だからだ。もちろんこれは知的であろうとしない人には関係ない話だが。
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政治は多数決、多数決で決められたことに反対することは民主主義の否定だというロジックにごまかされてはならない。議会によって行われる多数決は政府へ向けられたものであって、政府の行為のみを拘束する。国民は多数決には拘束されない。政府への批判や反対、不服従の自由は依然国民のものなのだ。
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論理的であることも重要だけれど、倫理的であることの方が遥かに重要だ。
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「それってあなたの感想でしょう」というのが「論破王」の決め台詞らしいが、感想であるか否かではその言説の当否を決めることはできない。個人のほんの思いつきで発した言葉が深く人の心を揺さぶることはあるもので、それは個人の感想でありながらその個人を超えた普遍性を持っているからだろう。
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そもそも人間は自己の主観を逃れることはできないのであって、どんなに考え尽くされた考えであっても、所詮それはその人の主観だといえばそれまでなのである。つまりは人の意見や言説を評価する基準は「感想」であるか否かではなく、その意見や言説に「普遍性」があるか否かでなければならないのだ。
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自分の恣意的な「座り込み」の定義で実際に座り込みをしている人たちを揶揄しても無意味だ。そもそも「座り込み」に共通の定義などあるはずもなく、行為者が「座り込み」と言えばそれが座り込みだろう。毎日、一定時間、誰かが座り込んでいれば「連続◯◯日」と言うことに何ら不合理な点はない。
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縁故主義というより、身内ぐらいしか言うことを聞く秘書官のなり手がいないのではないか。
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沖縄の人々がもうこれ以上辛い思いをさせないでくれと訴えているのに、いやいや日本(実は私の安心)のためには必要なのだ、それぐらい我慢できるだろうと言える人々の神経が分からない。
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北朝鮮だって日本の領土領海にミサイルを撃ち込めばその後どうなるかぐらいのことは重々知った上でミサイルを発射している。政府は発射の政治的意図、彼らの要求を冷静に分析していればよいのであって、国民は日本政府がいたずらに不安を煽ることの政治的意図の方を冷静に分析するべきなのだ。
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自民党の議員(国、地方)の言動を見ていると、もう知的崩壊が起きているように見えて来て、空恐ろしくなる。
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自分の頭で考えて判断し行動するという「主体性」を身につけることは、決して容易なことではない。相当な努力や忍耐も必要だろう。だからこそそこに「教育」が必要なのであり、教師は子供の主体性を育てるために、道を示し、励まし、時には叱咤する「同伴者」とならなければならないのだ。
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日本の反知性主義の要因の一つに、子供の意向を一切無視して、学校が権力的に強制してくる教科学習への反発という側面があることは否めないだろう。この「苦行」に堪えた者のみに社会的栄達の道が開かれ、そうでない者は人生を諦めるよう言い渡される。これでどうして学ぶことの喜びが得られようか。
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カルト信者はそれぞれの人生の苦難に出会い、迷い悩んでカルトに救いを求めてしまうのであって、もっと社会に人にやさしい仕組みがあれば、カルトの付け入る隙は減るはずだ。ところがあろうことか政治がそのカルトを利用しているのだから、自民党政権の続く限り、そういう社会は望むべくもないのだ。
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山縣有朋なんて、日本の右翼、国家主義、軍国主義の鼻祖として、その後の日本を誤った道に導いた、最も忌むべき人物という印象しかない。
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そもそも政治に「正解」などないのであって、普通の民主主義国であればそれを政権交代によって模索していくわけだが、日本ではその模索そのものが不可能になっている。日本に二大政党制は馴染まないというのなら、せめて二大政治グループが形成されないと、ますます政治が「正解」から離れてしまう。
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所詮人間には思考の自由などなく、皆囚われ思い込まされ洗脳されているというのであれば、悪意や冷笑で洗脳されているより、善意や良心に洗脳されていたいと思う。
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これこそ憲法13条の精神。国会議員、閣僚、全ての公務員が自覚していなければならないことで、そういう国であれば国民だって国のためにできることはしようと思うだろう。 twitter.com/izumi_akashi/s…