しろちち@C102日曜東ヒ14b(@shirochichi0707)さんの人気ツイート(いいね順)

だが同時に自身の愚かさに自覚的でもあった。常に道化を傍に置き、自らについてすら辛辣に批判させながら咎めず、最期には自身の遺言の証人にまで指名したことがその証左である。
「とにかく目の前の戦闘さえ止まればいい」という視野狭窄の末、結果として親露派の片棒を担ぐような声明を満天下に晒すことになるとは。二度と平和主義なり「諸国民の公正と信義に基づき」などと口にしないで欲しい。 asahi.com/articles/ASR45…
オープンレター(あ、言及しちゃいけないんでしたっけ?)界隈、まんまこの状態。「正義」の名の元に正当な手続きも何もなく暴走していけば、その結末は焼け野原というか、これからの学生に語るべき人文「知」を本当に喪いかねないように思われる。
もしソレが真実であればとんだ虚仮脅しだし、実際にはその力がありながら先の庇護者を見捨てたのだとすれば、墓所の主とやらの真の意図は何なのか。ヴ王の一見理不尽な逆切れがこうした思考に基づくことは続く台詞でもうかがえる。いわく「王が要るならもっと気の利いた条件を示すがいい!!」と。
この前段でヴ王は墓所の主の偉大さを説ヒドラ(人造人間)に対し不信を顕にしている。墓所のもつテクノロジーを分けてやるから協力しろ?今までの庇護者が消滅した途端に随分調子がいいではないか、と。これに対するヒドラ達の答えは「我々を擁護する限りは協力する」で、実は答になっていない。
かくてナウシカと墓所の主の対話(対決)後、ヴ王はナウシカの側につく。それどころか思いっきり肩入れし、最後には自身の命すら賭けるのだが、かかるベタぼれぶりも、ヴ王とナウシカの見る世界・考えが一致した(少なくともヴ王はそう感じたから)こそであろう。
こうして見てみると、長期政権末期のgdgdぶりというのは、老年になって急に劣化したというより、それまでの長年の積み重ねによって「起こるべくして起こった」「組織/現場でのフォローが限界を超え決壊した」と言えるのではないでしょうか。
そんな自身(と自身を含む人間全体の)愚かさに自覚的であったからこそ、墓所の主の欺瞞=全能の自分を崇める限り失敗はないとする宣教の裏の意図には敏感であり、また許し難いものがあったのであろう。人間の愚かさを切り捨てておいて何が救済だ?と。
そこで更に王は問う。では何故今までの庇護者は滅びたのか?と。それに対する答えが「失政」、つまり土鬼王の自滅であり、我々のせいではないと。これまた見事な責任転嫁である。
この後にナウシカと墓所の主の対話が続くが同じようにナウシカも主の欺瞞を見抜き真実を語れ!と迫るのである。そう考えれば主の声を聞くナウシカの不快感あらわの表情と「否!」の叫びは先のヴ王の反応に重なってくるのである。
因みにヴ王が名君かと言えばやはり暴君に近い。本作の背景となる「トルメキア戦役」を引き起こした張本人であり、子供たちを常に疑い、自らクシャナ暗殺を命じさえした。墓所の主が嫌う、「愚かで醜い人間」の代表とさえいえる人物であるとさえ言えるかもしれない。
GoToトラベルは、観光地・宿泊施設が受入体制を整え(自助)、余力ある人が観光地へ旅行し(共助)、これを国が後押しする(公助)という三位一体で日本中にお金を「回す」ことが主眼なので、つまるところコレ(↓)になると思われる。 #GoToトラベルキャンペーン
我が社の場合、トップから「大丈夫なのか!?大丈夫なのか!?大丈夫なのか!?」と詰められます。これも酷いやり口で、NOと言えば「そんな話持ってくるな!」で、YESと言えば「失敗したらお前の責任払い」とされるわけです。かくして、権限に見合う「責任」を一切持たない、無敵の体制が完成します。
日本ではエンタメに社会批判入れるのが嫌われる?単に社会批判、というかやっっすいイデオローグに無理矢理エンタメ要素絡めて大衆受け狙った挙句失敗したのを、エンタメファンのせいにしてるだけでしょうに。要はエンタメを愚民向け宣教ツールと舐めてかかって失敗したのを逆恨みしているだけ。
まず、トップの在任が長くなると細部の細部まで精通し、下手すると年数の浅い現場担当より詳しくなります。そうするとトップは、だんだん下からの―特に耳障りの悪い話を―聞かなくなります。自分の方が詳しいし上手くやれるんだ、オマエラはただ儂の言うことに黙って従えばよい、と。
この訴えの巧みなのは、ロシア国民とロシア指導部を切り離している、その上で「それでも戦うなら容赦はしない」と啖呵を切っている点で、元より何のために戦っているか分からないロシア国民には極めて響きそうです。…もしロシア国民がゼレンスキー大統領の訴えを耳にすることが出来れば、ですが。
現場からの意に沿わない提案に対し「本当にそうか?もっとよく考えろ!」として跳ねつけ、現場から「自発的に」トップの意に沿う提案・報告をさせるわけです。そうすると、万一失敗したときは「お前がこうしろと言ったんだろ!」と責任転嫁できるわけです(勿論、上手くいったときは手柄を総取りです)
件の財務省プレゼン資料を読むと、「厳しい経済財政状況下でなんとかしなければ」という財務省サイドの理想と使命感は読み取れるのですが、その「自分達こそが国の柱だ」という自負と裏腹の、「その査定の結果起きることにどれ程責任を取れるのか」という点との落差には、正直ゲンナリさせられます。
そうすると、側近は「トップが聞いてくれ易い」形に情報を統制するようになります。悪い話は伏せ、いい話は成果を針小棒大に拡大し…かくしてトップにはますます耳障りのよい話しか入らなくなります。世界の全ては我が意の儘に!(笑)というやつです。
…が、こんな無茶苦茶が無限に通じるのはあくまで「内輪」だけです。内輪の論理が通用しない、外部(それも自分達より強力な)という「現実」に直面したとき、それまで糊塗され、現場に押し付けてきた無惨な現実が一気にトップに付きつけられます。
こうなると何時ものように部下を怒鳴りつけようが責任転嫁しようがどうにもなりません。「どうにかできる他の可能性」をトップの独善と側近の忖度で全て潰してしまった以上、怒鳴ろうが殴ろうが「粛清」しようが、現実は無常なまでに覆らないわけです。正にインガオホー。
これほどトップ(と側近)の権力が強まると、ヘマしたときの反動=責任追及が大きくなりそうですが、実はここにもカラクリがあります。有体に言えば「責任だけ現場に押し付ける」なのですが、どうするかと言うと「具体にこうしろ」という命令・指示をトップや側近からは一切出しません。
漫画版 #ナウシカ で最も謎めいた場所の一つである「庭園」ですが、改めてそこに貯蔵・保管されているものを見直すと中々うそ寒いものがあります。それは端的に言うと「人間不在なのに何処までも人間本位」というエゴとなります。
リマン防衛戦にスペツナズが投入された挙げ句壊滅したと聞いて、素人ながら「ナウシカ」で捨て石にされたトルメキア第三軍の壊滅を思い出した。
ただ、現実には財務省が予算編成権を握り、そのチェックを通らないと政府予算にならない以上、財務省査定のお眼鏡に叶わないと予算化できない―にも拘わらず予算化の過程で「犠牲になったもの」については財務省が責任を負えないーのでは、現場サイドは「やってられない」となるでしょう。