運命を感じるゲームを見つけた。自分が今後時間があるときに作りたいと思ってシステムだけ考えてたゲームが、100%を超える精度でゲームになってた。 パクられたとかじゃなくてさ、これ自分が遊びてえって脳内だけで妄想してたゲームなんだよ! それがそのまんま遊べてしまうのがめちゃくちゃ感動的。
AIポートピア触ってみた。不評な理由が良く分かる。 - AIが迂闊な発言してしまうのを恐れて言葉の生成機能を削除した状態でリリース - 結果、シナリオに含まれたセリフしか喋れない状態に - ポートピアは最小限のセリフしかなく、特に足されていないっぽため、喋れないことがかなり多い
本業の傍らでゲーム開発する行為はやっぱり文字通り命を削ってる。 本来ならば仕事の余暇は「運動その他の健康維持活動」「自炊を含む家事」「人とのコミュニケーション」「何もしない時間」「睡眠」などに割くべきで、それらを捨てるとどこかでそのしわ寄せが来る。
「100点のゲームだと思ったら120点のゲームが出てきた!」というのがゼルダティアキンに対しての自分の期待だったっぽいんだけど、実際のティアキンは240点のゲームで、あまりにも良すぎたせいで感情がバグって「期待してたのと違った…」みたいな気持になっている。
ゼルダティアキンにガチャがあるのはなぜか、という質問をされたとき、それまで全く考えていなかったのにスラスラと 「まずゾナウギアは使い切りにする必要がある。回収可能にするとその場で使わせる想定のギアを終始抱え込まれてしまうと選択肢が増えすぎるしリソース管理としても機能しない、あと
でもゼルダティアキン、ゲーム体験が濃すぎるゆえにプレイしてると短時間でもかなり強い疲労感を感じてしまうのは実を言うとかなり危機感を感じている。 その上でやみつきになり止め時を失って延々と遊び続けてしまうので、結果としてすごく体調が悪くなっていく。
あと「リンクが家にいる状態でその家の人が帰宅したとき」に自動発生する会話があるところもある。 村人Aと話すとフラグが立って村人Bの会話が変化するとかもある。 そのNPCと会話した後、しばらく経ってから話しかけたときに専用のセリフを言うパターンもあった。
やっとパーツが揃ったのでちゃんと歩く二足歩行ロボ上半身も作った。 #ゼルダの伝説 #TearsOfTheKingdom #Zelda #NintendoSwitch
メタバースのことについて思ったこと。もしかしたら「コミュニケーション」というものはそれ自体が主役になることはないのかも? と。 おしゃべりするのは楽しいけど、そのために媒介となるものが必要なので、「はいじゃあ場を作りました。コミュニケーションを楽しんでくださいね!」じゃあダメで。
UE5での水の表現すんごいな。これは「水」ですわ。
ゼルダティアキン、日の位置によって「逆光で見にくいですが」と一言添えるコマコマ芸。
デカくて重い重量級のゲームキャラ、どうしてもゴツいキャラデザになりがちだけど、かわいい重量級も欲しい! となったとき、それを叶えるデザインとして「ロボと少女」を用意している作品は多い。 一方任天堂は明確な理屈なく普通の女性であるロゼッタを重量キャラにしたの、相変わらず自由すぎる。
マリオワンダー、敵を踏む「すこし前」の段階でマリオの表情やポーズが変化してる。数フレーム先でマリオが敵を踏むということを予測してやってるんだろうけど、実装大変だよこれ落下速度とか計算しなきゃいけないし。
少なくとも自分にとってのTwitterの価値は「長年かけて獲得したフォロワー」と「長年かけてメンテして作り上げた良い人ばっかり集まっているタイムライン」であり、機能とかじゃないんすよね。 仮にTwitterを遥かに超えるような便利で新しいSNSが出たとしても、意味がないんだよなあ。