すずもと(@aruto250)さんの人気ツイート(古い順)

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これはものすごく、性行為をめぐるヒトのオスとメスのプリミティブな争いという感じがするな。セックスと庇護や扶養は交換であるという原始的な取引のルールが暗黙の前提として心の深いところに埋め込まれていて、オスもメスもヤリ逃げや托卵で何とか一方的に利益だけ得られないかと暗闘するわけだ。
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しかしなあ、そうした心の動きを自覚して、抑制するなり、そうした状況を避けるなりしない限り、恋愛はあっという間に「好きを人質にした搾取」という認識に落ち込み自由意志など無くなって(無いとしか感じられなくなって)しまう。気持ちに流される「だけ」の人間に自由意志を持つことはむつかしい。
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最近のTLは中学校の同窓会で聞いた話を思い出してしまう。自分はずっと「交際してるカップルも1、2組しかいない純朴な中学校だったなあ」と思っていたけど、同窓会で女性陣が「あの子は女子トイレにとっかえひっかえ男子を連れ込んではHしてた」「あの子は4股をかけてた」と暴露していて仰天した。
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私は人間は差別せずにいられない生物だと思っていて、「差別反対」と叫ぶ人も、既存の差別に代えて「有能/無能」や知能の高低による差別を普及させようとしているように見えるのだが、それを指摘しても「無能な人が頑張った人より報われるのはおかしいでしょう。どうしろと」とか言われてしまうのだ。
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自分のTLで、ある男性が偶々手に入れた大量の花を「他に貰ってくれる人が思いつかなかった」という理由で知人男性のところへ持ってきたという素敵なエピソードが「BLみたい」という一言を添えて紹介されていて、「これがBLだ。淡く名前のない関係性を恋愛に回収していってしまうのだ」と思わされた。
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まあBLだけでなく百合にも同じことが言えると思っていて、どうもこう「それは恋愛ということにしてしまっていいのか?」みたいな繊細な関係を「BL/百合だー!!!」とブルドーザーのようにズゴゴゴと恋愛に寄せていってしまうのは残念だし、同性愛をダシにしているだけではないか、みたいな気になる。
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「BL/百合にも色々ある」という意見も多いけど、それならもうそれはBL/百合と呼ばなくていいじゃん…と思うのだが、みんなどうしても名前を付けたいのだな。名前のないモヤモヤしたものを名前のないモヤモヤしたもののまま取り扱うのは疲れるのだろう。BL/百合という箱に入れてスッキリしたいのだ。
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日本は未婚男性の幸福度が低いという話が出るたびに、進歩的な人々から「結婚しなくても幸福と思えるように男性の意識を変える必要がある」みたいな意見が出てくるけど、何を幸福と感じるかという意識を変えることが可能だとして、そこを変えることを解決策にしてしまって良いのか?という疑問がある。
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「人間が全員合理的になればなるほど社会が解体される方向に向かい、野生に接近していく」というのは本当にそうだと思う。結局は「何を実現しようとするための合理性なのか」という話なんだよな。欲求や目標が野生のまま、その追求方法にばかり合理性が発揮されるのではそりゃなあ。
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富野由悠季が宮崎駿について「学識の幅とか、深みが圧倒的に違う、僕では競争相手にならない」と語ったという話を思いながら『未来少年コナン』を観ると、ああこれは、これが作れる人間を目の当たりにしながら『機動戦士ガンダム』を作ったというのは、悔しかったろうなと考え込んでしまう。
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富野由悠季も宮崎駿も怪物ではあるのだけど、その『育ちの良さや、生まれ持ったあれこれに勝てない』ことに歯ぎしりしている富野由悠季の苦悩にどうしても感情移入してしまうんだよな。いや凡骨の能無し如きが歴史に名が残る監督を理解したと思うなど思い上がりも甚だしいとは思うのだが、それでも。
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富野由悠季が働くようになってから半分ほど読んだ本を、宮崎駿は「大学時代から堀田善衛氏の本を読んでいて、アニメ作家になってからはその人とも付き合いがあったようです」という。自分がようやく最近読みかけた本をとっくに読んでいる。それどころか作者と付き合いさえある。この覆しがたい差よ。
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経営者の一族で会社役員の子供という宮崎駿に対し、富野由悠季も父親は戦時中に与圧服の開発をしていたということでインテリの家に生まれた身分なわけで、このあたりは最近話題になった「地方出身の東大生の嘆き」みたいな話なのだろう。まあどちらも自分から見れば雲の上の話ではあるけれど。
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「マトモな政治家が少ない」のは「マトモな人間なら政治家を志さない・なれない社会だから」だと思っているのだが、育児放棄で子を死なせる親が目立つのにも類似の構造を感じる。「責任感の強い人間は子を持たない」に加えて「マトモな人間なら他人の育児に口を出さない・出せない社会だから」という。
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「育児は地域でするものだったが、地域が育児の負担を嫌がった結果が育児放棄で死ぬ子供だ」という話を見てその通りだと思ったのだが、同時に「育児で他人に口を出してほしくない」という欲求が、育児を「他人の助けを借りずにするもの」「他人が口を出してはならないもの」にすることを後押しした。
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そうなれば、それなりに適切な心配や手助けができるマトモな人間は、他人の育児に対する関心を失ってしまうのですよ。現代でわざわざ他人の育児に口を出すのは「情け深さとコミュ力が異常値の超希少な人」「育児分野で自分の地位向上を目指す人」そして「ポテサラおじさん」みたいな異常者だけだ。
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話題沸騰の「ポテサラおじさん」も「遊び歩いて子供を餓死させる女」も、我々の社会が他人の育児に口を出すことをタブーにしてしまったことに追従できなかった人間なんですよ。我々がそういう方向に社会の舵を切ったことで振り落されてしまった人々を、我々は嘲笑したり叩いたりしているわけです。
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自分たちが行動の変化を求められている時は「私に○○して欲しいなら先に私が○○したくなるような環境と報酬を用意しろ、そしたら考えてやるよ」と要求する人ほど、他人の行動を変えたい時には「取り締まれ」「罰則を設けろ」「厳罰化しろ」「相互監視しろ」と恐怖政治万歳になるのは何なんだろうな。
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Twitterでもよく「団塊」という言葉が今の60代や50代を指すのに使われてしまっている(1960年や70年生まれは団塊世代ではない)のを目にするけど、ここ最近は明らかに80年代的デザインや文化を指して「90年代」と言ったり90年代を指して「昭和」と言ったりしているのを見掛けて世代観の溶解を感じる。
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これは安楽死の事件が起こるたびに言わなきゃならないが「社会の役に立てない、何も生産できないから潔く死ぬ」なんて行為を認めたら、そこから「あなたは社会の役に立ってない、生産性が低いのになぜ死を選ばないのか納得いく説明をする責任がある」と言われる社会までは0.5歩くらいしかないですよ。
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この「女性にとっては8割の男性が『普通』未満」という分布がもし容姿以外にも適用されるなら、よく言われる「普通の容姿、普通の身長、普通の収入、普通の社交性、普通の学歴で普通に常識的な人を求めてるだけなのに…」が0.5×0.5×0.5×0.5×0.5×0.5どころか0.2×0.2×0.2×0.2×0.2×0.2ということになる。 twitter.com/SteveStuWill/s…
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ワーケーションというやつ、どうしても昔の出張の「出かけた先で仕事して、交通費は会社持ち、宿泊費も会社持ち、遊興費は自腹(場合によっては会社持ち)」が、「出かけた先で仕事して、交通費は自腹、宿泊費も自腹、遊興費も自腹」に劣化したものに思えるな。
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これは先日の「女性から見ると8割の男は『普通』未満」という話そのものに見えるのだけど、この漫画が発端だったりするのか?というレベルだな。「8割の男は『普通』未満」という女性の目からは世界がどう見えているのか分かる作品だ。 普通の人でいいのに! - 冬野梅子 comic-days.com/episode/139336…
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「かつては村ごとに愚か者がいた。インターネットが彼らを一つにした」という話があり、確かにその通りなのだけど、インターネットが一つにしたのは愚か者だけじゃないよなあ。「かつては村ごとに賢い人間がいた。インターネットが彼らを一つにした」という、こっちの方がよほど深刻な問題に思える。
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「自分らしく」なんて、ほとんどの人間には呪いだよな。ごく一部の例外を除けば、自分らしさなんて、極限まで自分らしさを殺そうとしたときに最も濃度の高い一滴が絞り出されるもののように思うのだが、それが分からないから自分らしさを水増しして、水のように薄い自分らしさで膨れ上がってしまう。