すずもと(@aruto250)さんの人気ツイート(いいね順)

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しかし昨日あたりからこっちの「自分は誹謗中傷ではない批判ができる」と思っている人達の多さはすごいな。それってつまり、自分の批判は正義に立脚しているという正当性を疑っていない・疑えない人の数なわけでな。もうほとんど全員そうなんだということが可視化されてしまった。
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やはり転居の自由というものは、近代において決定的に社会を変えたものの一つなのだろうな。土地ごとに異なっていた多様な文化が分解消滅し、日本という大きな括りでも成立(共有)できるような、ゆるくて曖昧な「日本文化」になってしまった。夫婦別姓の導入で多様性はまた一段と失われるのだろう。
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まあ実際、その時代時代の「感動」を前面に押し出した作品に心から共感できる人ほど、時代が変わってから過去の作品を見たとき「価値観が合わない。楽しめない」となるだろうな。時代の価値観と一体化する能力は重要な社会性だ。戦時下で非国民の糾弾に熱心な人ほど平和な時代には戦争反対を叫ぶのだ。
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人はどこで反出生主義になるのかという嘆きを見たが、自由と責任を真面目に教育されれば誰でも反出生主義になるのが当然だろう。「子供を作るかは100%自分の自由」「100%の自由の責任は100%自分にある」「命は地球より重い」ならば「地球より重い命の幸福を100%保証できないなら作るべきではない」と。
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『僕の心のヤバイやつ』は自分も買ってるが、あれは恋愛よりも災害に見える。非対称すぎる力関係に配慮しない山田さんの圧倒的パワーに無力な反抗を繰り返す市川くんが哀れになってしまうし、関係が終わる時も無配慮と無力なのだろうと想像してしまう。市川の残骸に目もくれず驀進する山田が見える。
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氷河期が境遇を嘆くツイートが多すぎてか遂に下の世代の怒りを買ったようで「新卒がダメだったとして何十年もあったのに努力が足りない」的な意見が向けられるようになってしまった。まあでも氷河期世代が特別バイタリティがなかったわけではないですよね。公正世界信念的には認められないでしょうが。
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根無し草の人間には「多様性」なんて作り出せないのですよ。例えば単身アメリカに渡った日本人に、一人で日本文化の全てを担保できるかと言ったらできないわけです。2億人の中の1人ではほとんど何の文化も守れない。ただ東アジア系の人間であること(それは身体に刻まれているから)しか残らない。
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これ女性の視界に入っている(入れる)男は暴力性のある男ばかりで(その上で「男に暴力性なんてなければいいのに」と言っている)、暴力性のない男(いじめられる=社会参加できていない男)は視界にも入っていないから、生き抜くための暴力性の重要さが分からないんだよな。 twitter.com/yoppymodel/sta…
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「ネットで狂人枠をやっている女性は実際に会うと美人率が高い」という話だけど、京大東大早慶みたいな難関校の学生ほど大手を振ってこれみよがしにバカをやるのと同じ構造だよな。自分の価値というものが安堵されている、「美人バリア」で嘲笑や侮蔑を無効化できるから安心して全力で狂人を楽しめる。 twitter.com/8emkoubou/stat…
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例のキャンセル公開書簡周りの動き、自分たちで勢いよくオープンと銘打ったにも関わらず、都合が悪くなるや遮二無二情報を削除や非公開にして事実を見えにくくし、あとは自分たちの証言だけを(その声の大きさで)流通させれば経緯を都合よく書き換えられるという態度はロシアと同じ不誠実さを感じる。
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妻が夫以外の子を産んで夫に育てさせる、いわゆる「托卵」の問題は、男性にとっては悪夢である一方、少なからぬ女性が「托卵は女の権利」みたいに認識しているのは興味深いけれど、当の子供の反応も男女で異なるのだろうか。事実を知った女児は自己の出生を真実の愛と捉え、男児はトラウマになるとか。
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プリキュアが「自分を犠牲にしてまで自分を搾取しようとする人間を助けなくても良い」と言ったという話、「よくぞ言ってくれた!」の大合唱なのが怖いんだが、これ凡人が自己像を投影するためのヒーローという矛盾の表れなんだろうな。「私は救うに値しない者を見捨てる。だけど私はヒーロー」という。
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「自分らしく」なんて、ほとんどの人間には呪いだよな。ごく一部の例外を除けば、自分らしさなんて、極限まで自分らしさを殺そうとしたときに最も濃度の高い一滴が絞り出されるもののように思うのだが、それが分からないから自分らしさを水増しして、水のように薄い自分らしさで膨れ上がってしまう。
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だけどそうしたことが、「いま・ここ」にしか関心のない人々には分からないのだ。自分の生きている「いま」・自分の住んでいる「ここ」に、外国人の登場人物が増える、それを「多様化」だと考えてしまう。自分の人生を花束みたいに沢山の種類の人間で飾りたてることが「多様性」だと思ってしまう。
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何らかの物語・出来事を理解するための枠組み(認知フレーム)が「強者と弱者」「加害者と被害者」という形に最適化されており、その上で「弱者」「被害者」の視点から物事を解釈する、というのが現代の標準的な物事の受容方法になっているのだよな。現状の社会においてもはそれが最も適応的なので。 twitter.com/marxindo/statu…
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イメージとして念頭にあったのはアメリカの学生やビジネスマンの中にはSSRIやらアンフェタミンを服用してハードワークに耐えることが常態化してしまっている人がいるという話なのだけど、人間が何というか「競争の器」になってしまう、しかし社会がそれを求めれば応じざるをえないという構造を感じる。
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「マトモな政治家が少ない」のは「マトモな人間なら政治家を志さない・なれない社会だから」だと思っているのだが、育児放棄で子を死なせる親が目立つのにも類似の構造を感じる。「責任感の強い人間は子を持たない」に加えて「マトモな人間なら他人の育児に口を出さない・出せない社会だから」という。
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先日「オーバーニーソックスは単純に可愛いと思ってたけど、ソックスとスカートの隙間を見て性的に喜ぶ男性が多いと聞いたので良くないと思うようになった。男性を喜ばせないで欲しい」という旨の意見を見て、実に端的に女性の心理が表れていると思った。性表現の「女性の主体性」もこれが鍵なのでは。
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現在はオタクが市民権を得ているけれど、これっていつも言ってるようにオタクの経済消費が旺盛なのもあるけど、「オタクはすごい」論、すなわち「オタクはプロフェッショナル・有能・創作者」みたいなメリトクラシーの産物でもあるよな。だから「消費しかしないオタク」みたいな蔑称が生まれたりする。
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マイケル・サンデルの『実力も運のうち』を買わなければ…。 しかし多くの人がずっと訴えて無視されてきたことが、この本が出た途端「こんなこと考えたこともなかった。目を開かれる思い。検討する価値がある」みたいに騒がれるというのも酷い徒労感がある。いや、ようやく日の目を見たということか。
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自分のTLで、ある男性が偶々手に入れた大量の花を「他に貰ってくれる人が思いつかなかった」という理由で知人男性のところへ持ってきたという素敵なエピソードが「BLみたい」という一言を添えて紹介されていて、「これがBLだ。淡く名前のない関係性を恋愛に回収していってしまうのだ」と思わされた。
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こういうことを言うと「排斥を正当化している」とか指摘されてしまうのだろう。だけど、排斥の行き着く先は征服であり併呑なんだよな。むしろ混ざってしまう。とすれば、真に多様性を守る行動というのは、きっと集団の間に立って、互いを混じり合わせることなく対立を調整し続けることなのだろうな。
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これは障害者の話だけど、今ネットで山ほど目にするような男性嫌悪をこじらせた「お一人様」女性達が老人になって介護を受けるようになった時、男性介護士に対してこれと同じ意見が吹き荒れるようになるのだろうなという予感がある。それともそんな意見を取り上げる余裕もない社会になってるだろうか。 twitter.com/nhk_heart/stat…
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今の日本に「おばちゃん」が不足しているという話だけど、おばちゃんになるためには特定のライフステージに達している必要がある。例えば独身男性に気軽に近づけるのも、男性を選別するステージを既に通過したからなのだよな。「いくつになっても美しく」が良しとされる現代では到達できない境地だ。
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「かつては村ごとに愚か者がいた。インターネットが彼らを一つにした」という話があり、確かにその通りなのだけど、インターネットが一つにしたのは愚か者だけじゃないよなあ。「かつては村ごとに賢い人間がいた。インターネットが彼らを一つにした」という、こっちの方がよほど深刻な問題に思える。