教育界ではよく『成功体験』が重視されているけれど、 それよりも大切なのは、「失敗しても大丈夫、なんとかなる、誰かが支えてくれると感じれる『失敗の安心体験』」。 自分が成功した時の喜びを強調するよりも、失敗したときの怖さを小さくする方が、人は新しいことにチャレンジする。
教育界ではよく『成功体験』が重視されているけれど、 それよりも大切なのは、「失敗しても大丈夫、なんとかなる、誰かが支えてくれると感じれる『失敗の安心体験』」。 自分が成功した時の喜びを強調するよりも、失敗したときの怖さを小さくする方が、人は新しいことにチャレンジする。
「一度学校を休ませると学校を休むことがクセになりますよ」とよく聞きますが、クセになるんじゃなくて、学校が苦しい場所だったと気づくんですよ。 学校のすべきことは保護者や子どもを脅すことじゃなくて、他にあるでしょ。
『社会に出ると理不尽なことが多いから、学生のうちに理不尽に慣れておいた方が良い』みたいなことを耳にすることがありますが、学校で理不尽に慣れるから理不尽がまかり通る社会が変わらないんですよ。 本当に必要なのは、理不尽な社会を変えようとする力では?
お子さんが小学校へ入学する親御さんへ 2021年に発表された小・中学生の不登校数は約20万人です。 また、不登校傾向にある子は中学生だけで33万人とも言われています。 今後さらに増えると予想されます。 今のうちから不登校について、学校教育について考えておくことをおすすめします。
オンライン授業が「できるか?」「できないか?」ではなく、 本当は公教育としてオンライン授業を「やらなきゃいけない」だと思う。 子どもたちにはあるのは『学校に行く義務』ではなく、『教育を受ける権利』なのだから。
今の日本の学校教育は誰がなんと言おうと時代遅れですよ。 子どもたちの学び方はもちろん、先生たちの働き方も時代遅れ過ぎる。 時代は刻々と変化しているのに、現状維持はむしろ退化ですよね。 何も変えれないことを『伝統』なんて言葉で誤魔化さないでほしい。
日本の学校では、インフルエンザや怪我など目に見える体調不良で学校を休むと何も言われないが、心の調子が悪くて学校を休むとズル休みだと言われる。 若者の自殺が多い国だというのに、心の健康が未だに軽く見られている。
人と比べるのを止めよう!って言うけどさ、 テストに、部活に、運動会に、合唱コンクールに、その他諸々の学校行事のほとんどは順位が出るものばかりじゃん。 そんな環境の中で人と比べずに自分に価値を見出す方が難しいよ。
文科省「学校を休むことを認めます。フリースクールなどと連携を取りましょう。」 保護者「そもそもフリースクール近くにないし、通わせる金銭的余裕もないよ。」 文科省が休むことを認めたなら、ちゃんと制度・環境も整備して下さいよ…。
若者の死因の1位が自殺の日本。 10代のうちに「もう、人生詰んだ…。」と思わされる社会なんて絶対におかしい。 10代のうちに教えるべきは1つの正しい道じゃなくて、色々な楽しい道ではないだろうか?
教育界ではよく『成功体験』が重視されているけれど、 それよりも大切なのは、「失敗しても大丈夫、なんとかなる、誰かが支えてくれると感じれる『失敗の安心体験』」。 自分が成功した時の喜びを強調するよりも、失敗したときの怖さを小さくする方が、人は新しいことにチャレンジする。
『社会に出ると理不尽なことが多いから、学生のうちに理不尽に慣れておいた方が良い』みたいなことを耳にすることがありますが、学校で理不尽に慣れるから理不尽がまかり通る社会が変わらないんですよ。 本当に必要なのは、理不尽な社会を変えようとする力では?
「学校に行かずにどうやってルールを守ることを教えるんですか?」みたいなリプがくるときがあるけど、 どうしてルールは学校でしか教えれないものと思っているんですか? 学校に依存しすぎじゃないですか?
コロナ感染拡大初期は『不登校は少数派だから学校はこれまで対応してこなかったんだ』と思っていたけれど、そうではなかった。 全国の子が強制的不登校になる中で何も対応できない3ヶ月を見てよく分かった。 ただ単に、学校は『登校させる』以外の手段を何も持っていなかったのだ…と。
「一度学校を休ませると学校を休むことが癖になりますよ」と言われることありますが、癖になるんじゃなくて、学校が苦しい場所だったと気づいただけ。 むしろ、嫌なことでも何も言わず我慢し続けてしまう癖がついてしまう。
18万人もいる不登校の子に対して学校以外の学び場の選択肢も提供できなくて、何が多様性社会だ。 教育が多様化しなければ、多様性を認め合える社会になんてなるわけがない。
『社会に出ると理不尽なことが多いから、学生のうちに理不尽に慣れておいた方が良い』みたいなことを目にすることがありますが、学校で理不尽に慣れるから理不尽がまかり通る社会が変わらないんですよ。 どうして教育を理不尽な社会なんかに合わせなきゃいけないんですか。
よく「逃げて良い」っていうけど、別に学校に行かないことは逃げでもなんでもないよ。 「学校に行かないことは逃げ」みたいな考えが不登校をネガティブに捉えて、彼らの自己肯定感を奪う。 『逃げて良い』じゃない。そもそも逃げですらない。 立派な選択だ。
『社会に出ると理不尽なことが多いから、学生のうちに理不尽に慣れておいた方が良い』みたいなことを耳にすることがありますが、学校で理不尽に慣れるから理不尽がまかり通る社会が変わらないんですよ。 本当に必要なのは、理不尽な社会を変えようとする力では?
18万人も不登校がいるというのに、今の学校教育が制度疲労を起こしていることに気づいていない人が多すぎる。 「不登校」を無くすのではなく「不登校という言葉」を無くすための改革が必要。
日本では「逃げ癖がつく」と言って我慢させることを『教育』や『指導』と言うことがあるけれど、 そのせいで「我慢ぐせ」がついてしまい、最後まで追い込まれ、自殺という手段を選択してしまう。 日本では逃げる練習が足りていない。
教師「もう学校で働けない」 子ども「もう学校で勉強できない」 保護者「もう学校を信用できない」 いつまでこの悪循環を続けるの??
オンライン授業が「できるか?」「できないか?」ではなく、 本当は公教育としてオンライン授業を「やらなきゃいけない」だと思う。 子どもたちにはあるのは『学校に行く義務』ではなく、『教育を受ける権利』なのだから。
約20万人もいる不登校の子に対して学校以外の学び場の選択肢も提供できなくて、何が多様性社会だ。 教育が多様化しなければ、多様性を認め合える社会になんてなるわけがない。