翼賛体制下、いかにまんが家自身が自らを動員し、かつ、読者を動員することに加担もしたか。この本や「大東亜共栄圏のクールジャパン」で描きたいのは戦争の被害者としての漫画家でなく、協力者、もっと厳しく言えば「加害者」としての漫画家です。 人事ではないんだよ。 book.asahi.com/jinbun/article…
休業要請で消費の対象を「生活必需品」とそうでないものに分け後者を規制の対象とするが「贅沢品」「生活必需品」の区分そのものが総動員体制に向けた経済統制の思考法なのに。つまり、今やっているのは「経済統制」 だということ。 「贅沢は敵だ」の標語はこの時のものだと忘れずに。
かつてワイドショーネタの定番だった統一教会の今回の「報道のされなさ」は、その周辺で指摘されてきた政治との関わりを含めた問題が元首相との関係の検証以前に丸ごとが、正々堂々と不問にされていくとても気持ちの悪い光景を見せつけられている。
「挙手していない記者(スマホ中)が指名され、さらに、その記者が質問を始める前に菅首相が答弁原稿を探し始めるという“珍事”がみられた」 もはやヤラセさえできないのか首相も官邸マスコミも。 nikkan-gendai.com/articles/view/… #日刊ゲンダイDIGITAL
旧統一協会と政治も電通がらみのオリンピック利権も後になって出てきて「やっぱりなあ」との声の後に「今更とやかくいってもなあ」と言う世論が作られる。しかし「今更とやかくいう」ことでしか「歴史」は描けないし、政治や政治的イベントの評価はできないんだけどね。
ロシアのウクライナへの侵略に憤る人らが必ずしもかつての日本のアジアへの侵略に想像力が及ばないのが不思議でならない。侵略された側の憤りは同じはずなのだが。普遍的であろうとしない戦争を語る言葉は信頼できない。
ロシアの侵略にかつての自国のアジアへの侵略を重ね合わせることも思いつかず、ウクライナや中立の理念を捨てる選択をする北欧に自分たちを都合よく重ね、戦後社会や憲法の理念を放擲しようとする理由付けとし最後まで自国の歴史に向かい合おうとしないで戦時下戦後が清算されていく姿に愕然とする。 twitter.com/MiraiMangaLabo…
ゼレンスキー演説、ひたすら情緒に訴え、反核に連なる広島長崎でなく「サリン」「原発事故」で戦争の記憶を代替し、日本をロシアの侵略戦争にアジアで最初に抗議した国と持ち上げる。まるで日本を侵略戦争の歴史から解放しアジアのリーダーと持ち上げるようでもあり、実に巧妙。
「ホロコーストはガス室から始まったのではなく、はるか以前に ヘイトスピーチ から始まったのです」 これに尽きるんだが。 twitter.com/UNIC_Tokyo/sta…
渡辺電気(株)さんがnoteで公開している回想記の中で石森章太郎先生が一晩で100pぐらいペン入れすると書いているが僕は石森担当だった編集者時代、目の前で他社の原稿だった「マンガ日本の歴史」一冊が一晩でペンが入るのを呆然と見ていた記憶がある。note.com/w_denki/m/m2db…
自民勝利、立憲惨敗をもっともらしく野党共闘の失敗として論じているが要は時代錯誤の「反共」キャンペーンを与党が仕掛け報道・維新・国民が乗っかり有権者が生理的に動いたというレベルの問題で、政策や体制選択などという大仰な立論や論争があったと言い繕うのは殆ど歴史の捏造ではないか。
志位和夫が演説で厚生省の内部文書に言及している。「PCRの拡充は医療崩壊につながる」という喧伝されたロジックの発信元の一つが厚生省であったとわかる。 jcp.or.jp/akahata/aik21/…
五輪開会式、良くも悪くも「国家の自画像」なんだけれど「伝統」というより「観光」の表象としての歌舞伎や火消しがある程度であとは「ゲーム音楽、スポーツイベントのスタンダードポップミュージシャンによる国歌含むサブカルチャーでさえない何かTV界隈のもの」で自画像のかけない国なんだと再確認。
不思議だよな。誰一人、別に菅個人を忖度しているのでなく、しかし、菅以外の選択肢が次々閉じられていく。 出来上がるのは安倍抜きの安倍政権か。 news.yahoo.co.jp/pickup/6369796
なるほど独裁政権は必ずしも恐怖政治でなく、共に弱者を足蹴にする悦楽や冷笑で担保され、支持されるんだなあ、と。
「戦争には反対ですが」と数文字いうだけの担保で発せられる「戦争支持」の言葉がいかに多いことか。そして増えつつあることか。
しかし、戦争になったらどうする、という恫喝は政権にとってなんでもやりたい放題のカードだな。しかも、ならないように外交を積み重ねるという本来の政治の地道な使命をサボタージュもさせてくれる。
学者の中にはどうしようもない人もいるが、しかし、「学者を理不尽に叩く愉悦」を人々に与えた先に大げさでなく地続きで文革やクメール・ルージュとかが待っているんだよ。
ワクチン接種が政府の予想を追い越したように行政でも末端は機能し、医療も現場がかろうじて支え、しかし、丸投げの果ての現場ではそういう支えも不可能になってきている。SDGs以前に社会が人的組織の部分で持続不可能になっている。
つい一週間前のオリンピックをめぐる憤りさえ忘れようとする中で、この、東京新聞の「忘れないよ」「忘れちゃダメだよ」と言う報道姿勢はとても正しい。 twitter.com/tokyonewsroom/…
Twitter見てると安倍が批判されたり、間違っていることを認めたらその人の自我が崩壊しかねない程、安倍に自分を仮託している人がいて、それがこの人の最後のしかし最も強固な支持基盤なんだろうな。枝野とかにはよくも悪くも自我を仮託する人はいない。
SNSやYahoo!ニュースの投稿を見ていると、このファシズムの到来を予兆させさえする気配に「息苦しさ」や「恐怖」「絶望」を感じる人と、ある種の「愉悦」「高揚」や「歓待」の感情を持つ人の双方があるのを感じる。それは1945年あたりのもの書きの文章をまとめて読んだ時感じた気配にとても似ている。
花森安治の婦人雑誌。翼賛思想の鼓舞は一切なくゲートルも防空服も全て手仕事で「作り」「着る」ことでイデオロギーを言葉でなく日常化身体化する。こんなこと出来た花森や報道技術研究会や東方社など戦時下プロパガンダの先端にいた人にとって戦後の大衆なんて本当にちょろいもんだったろうなあ。
よく、国を愛して何が悪いという人がいるけれど、国は愛するものでなく、愛と関係なく適切な運用に参加すべき制度です。その参加と運用の方策を民主主義という、とてもシンプルな問題。