かつての戦時下に向かう中での物書きの転向は特高にボコられるのではなく「いや主義主張はおいてこういう仕事あるんだけど」などと先方が肩に手を回してくるケースがとても多いことが当時の資料からいくらでもうかがえるし、結構自発的にあっちに行った人も少なくないのは今も変わらない。
東スポの「トンデモ」で終わればいいがタカくくっていると、「反アベ」狩り世論一色の世界は一瞬で出来上がる。
「いつも私のことを守ってくれた」 私人であれば美しい夫婦関係だが、公人である元首相が昭恵氏を「守る」ために歪められたり犠牲になったことはなかったかと有権者は記憶の糸を手繰り直す準備だけはしておかないと。 news.yahoo.co.jp/articles/27176…
今は誰が何を書いても罵倒されるだけだし、世代論に還元しきれるものでもないが、少年A、ネオむぎ茶、加藤、青葉に山上も加えた1980年初頭生まれの同時代の精神史を誰か用意しておいてもいいのでは、と思うが、そんなことを微塵も思わないのが「今」なのか。
教団は元首相との関係を勘ぐる陰謀論者の流れ弾に巻き込まれた善意の第3者、という絵図か。統一教会に大手の報道がお墨付きを与えた感じで、しかし、これがおかしなことだと微塵も思わない人らが今や報道なのだから何をかいわんや。
元首相が「教団の会員として登録されたことや顧問になったことはない」のに容疑者が「陰謀論鵜呑み」に犯行に及び「団体への恨みから殺害に至るまで距離があって困惑」していていて教団も一種の被害者だが「警察から要請あれば全面的に協力」するまっとうな団体だ、と、いうのが各社協力の落とし所か。
こう露骨に「報道しないこと」についてのコンセンサスが作られてくのはなんだか、と思いつつ、それが可能な議席を私たちは与党に与えたばかりなのだから当然か。
かつてワイドショーネタの定番だった統一教会の今回の「報道のされなさ」は、その周辺で指摘されてきた政治との関わりを含めた問題が元首相との関係の検証以前に丸ごとが、正々堂々と不問にされていくとても気持ちの悪い光景を見せつけられている。
政治家と統一教会のお付き合いは普通のことなんですよ的な産経新聞の有名記者の呟きを目にする。そういう永田町の普通、に染まった報道が何を見えにくくしてきたかもこの件のみならず問われることはあるのだろうか。
教団への私怨が動機と仄めかされる事件に対し、犯行が言論の自由や民主主義への挑戦だという論調の作られ方やその語り手の一部を見るにつけ、政治とカルトの不用意な接近や癒着が問われべきなのに事件を教団からミスリードするためのいささか都合のいい大義として使われていないか、と危惧する。
ああディストピアなんだ、今。 杞憂でも比喩でもなく粛々とした事実として。
宮崎事件で事件の関連付けられ強引な報道がなされたのは犯行声明の仮名と偶然同じ名のキャラが出てきたまんが(宮崎は読んでいない)でエロでもなんでもない。彼の部屋にあったのはロリ系でなく人妻系エロ劇画誌が一冊。それも含め裁判でもメディア表現の影響は全く争点になっていない。以上、事実。 twitter.com/t_wak/status/1…
高齢者の年金カットや福祉の縮小というと世代間の問題として支持する若い世代がいるが、現実に困るのは自分の親なり祖父母なりで、本人や親や祖父母に資産が相応にあるならともかく、そうでない場合、介護やその費用に追い詰められ個人的に立ち尽くすのは自分なんだよ。
節電呼びかけから原発再稼働という民意が自然と下から湧いてくるように見えるけれどこれを翼賛用語で「下意上達」といい政治の意思が民意に従う形をとる民主主義によく似たファシズム。左派やリベラル叩きも含め「下意」が自発的に「上意」を実践してくれる社会の構築がファシズム設計の肝なんだよな。
バーゲンは仕方ないが赤松健と一緒の安売り告知は勘弁してください。 twitter.com/comic_checker/…
ああ、あの時投票に行っていればなあ、後で後悔しかねない選挙になる可能性が今回はとても高い。
小説「木島日記 うつろ舟」の正式発売日が 7月26日(火)に決まりました。電子書籍は翌日7月27日(水)です。 「カドミス」版の「木島日記」未刊行長編小説、最終章書き下ろしで雑誌初出より20年ぶりの「新刊」です。 刊行はカドカワでなく講談社系の星海社です。森先生のカバー書き下ろしです。
結局、国民は全員、株や仮想通貨で自己責任で稼げ、その税収がバイデンに約束した防衛費増その他の財源だ、というのが「新しい資本主義」としか聞こえない。「骨太」というより「血も涙もない」感じだが安倍や菅でないとその印象が薄いので気にしないのか。 news.yahoo.co.jp/articles/50ea2…
朝の各番組、北朝鮮のコロナ対策が塩水でうがいや気合いで治せ政策にマウントを取るのに熱心だがイソジン推奨したり気の緩みを叱責する類の首長担いでいた側は嗤えない。科学的と言いながら科学的でないコロナ行政に住民が難儀するのはどの国も変わらない。
新聞批判というのはネット以前からあり、しかし、問題は多くとも新聞は記者や記事の総合的な質で最低限信頼しうると思おうとしてきたが、この数年の記者のレベルの崩れ方はちょっと酷いと愕然とする。新聞は最後まで信じようとしてきた人々に見捨てられつつある自覚はあるのだろうか。
ロシアの侵略にかつての自国のアジアへの侵略を重ね合わせることも思いつかず、ウクライナや中立の理念を捨てる選択をする北欧に自分たちを都合よく重ね、戦後社会や憲法の理念を放擲しようとする理由付けとし最後まで自国の歴史に向かい合おうとしないで戦時下戦後が清算されていく姿に愕然とする。 twitter.com/MiraiMangaLabo…
記者の人、ガリガリの歴史修正主義とか会社の方針に従っていってるとかでなく、普通にそう思わなかった、目から鱗的な反応でそっちに驚く。 twitter.com/MiraiMangaLabo…
大手新聞社のウクライナ戦争に関する取材受ける。記者の人、「ロシアのウクライナ侵略を戦時下日本の中国への侵略と重ね合わせる発想は自分には全くなかった」と本気でおっしゃるのに唖然とする。 戦時下についていくら本書いたって世の中に届かないのは当然か。
情報系の人と話すと哲学や最近なら文化人類学、現代アートと言った「共時的」で理論が際立って見えるものに応用性を見出し関心を示すが「歴史学」のような「通時的」で具象的な人文学は忌避する傾向がある。政策決定に情報論系の影響力が強くなる中で人文系にどう影響を与えるのか気にしたほうがいい。
税金は散々とっておいて、自分の暮らしや先々は株やって自分でどうにかしろって究極の自助だなあ。これ、政策なのか?mainichi.jp/articles/20220…