貴重資料は、デジタル化してコピーを提供しています 原本を貸し出して返却されたのはNHKだけでした 過去に、個人ライターから民放まで、色々な資料を貸出しましたが返却された事は「一度もありません」でした 今は現物貸出依頼には、運び出しから返却まで、当方のスタッフが立ち会う条件にしています twitter.com/gogotea3/statu…
4月13日JRが「えきねっと」のアクセス集中対策としてJR駅の「みどり窓口」の利用を呼びかけた 「みどり窓口」がどのように開発されたか、そのルーツを紹介します 1957年までの座席予約は各駅から東京駅まで電話連絡して手作業で処理していました 写真は中華テーブル型の回転する座席指定台帳を使う職員
日本の公立図書館では書籍のデジタル化を書画カメラにて手作業で行います 欧州では、自動的にページをめくり、密着型のイメージセンサーで左右ページを同時にスキャン出来る機材が導入されています 自動スキャン速度は、1時間に最大3000ページです 非破壊型の自動ブックスキャナーの開発が必要です twitter.com/aquirax01/stat…
寄贈品ご紹介 スティーブ・ジョブズ氏が設立した「NeXT Computer」社が1988年発売した最初の製品NeXTcube 奇跡の動作品 BSD系OS「NeXTSTEP」を開発搭載 NeXTSTEPの技術は、その後のMacOS、iOSに受け継がれている ご寄贈感謝いたします 私蔵・処分以外の第三の選択として寄贈のご検討をお願いします
戦時中の模型飛行機を作る必修科目のために、日本全国に模型店が1万9千軒作られた 現在のコンビニ店と同じ密度なので、日本中の小中学生が徒歩で模型店に行けた 戦後も残った模型店は、玩具店とは異なり、模型工作材料から科学教材までを扱った 写真は1964年の科学教材社店内 模型店の総本山的な場所
1964年の科学教材社店内 模型店は玩具店と異なり「おもちゃ」は扱わない 扱うプラモデルは、軍用機、戦車、軍艦に人気が有った 模型材料は、バルサ材、ヒノキ板や角材、金属材など タイガーロケッティも人気だった 工具も扱い、マニア同士の交流も出来たので正にメイカームーブメントの発信拠点だった
1964年の科学教材社店内 手前のショーケースは鉄道模型を展示 下段はOゲージ 中段はHOゲージ 上段はパワーパックを展示している この時代は、HOゲージの車体キットが500円から1000円で買えた ペーパーボディー車体キットは200円 直線レールは1本140円 小中学生でも、お小遣いで鉄道模型を楽しめた
1964年の科学教材社店内 模型店では電子工作部品やラジオキットも販売していた スーパーヘテロダイン式の受信機の調整には測定器が必要なので科学教材社では測定器を備えた「ラジオ無料相談室」を提供していた 小中学生でも本格的ラジオ製作に挑戦した時代 技術立国の推進役は国策ではなく模型店だった
1960年代の模型店で子供達に人気が有ったのは、本物のロケットエンジンである「タイガー・ロケッティ」 タイガー製作所が開発した 推力15g程度でバルサ製のジェット機模型を飛行できた 茶色の円筒が石油系燃料で、火薬は使用していないので安全だった 噴射時間は15秒だが飛びすぎて見失う事が多かった
1960年代後半から1970年頃の模型店の花形は、小型エンジン機に制御ワイヤーを付けて、円周飛行を行う「Uコン」飛行機だった 値段も安く小学校高学年なら自分で機体を自作して参加できた 各模型店ではUコンクラブを結成して、飛行競技会を開催した 全国的に大ブームになり子供達は空への夢を膨らませた
80年代に入ると、子供達の興味と、お小遣い支出の対象が、アニメや、新登場したゲーム機へ移っていった その後に、受験勉強の時間も多くなり、子供達の模型工作、電子工作との関わりが少なくなった 模型工作雑誌や電子工作雑誌が無くなり、模型店も減少した そして、日本の技術立国の優位性が低下した
戦争中に文部省は、国民学校で、1年生から今の中学まで、模型飛行機作りと、模型飛行機を飛ばす事を必修科目とし 全国に模型店を1万9千軒作り 教材として、模型飛行機を1千万機供給した この巨大な教育計画は、戦争には役立たなかったが、戦後に、日本が技術立国として、急速に復興する原動力となった
日本の模型店の黎明期を探ると、雑誌「飛行少年」大正5年7月号掲載の模型広告に行き着く ゴム動力飛行機、ヨット、スチームエンジンとボート、家庭用幻灯機兼用の活動写真機、電気モーターなどを掲載 「伊東屋玩具店 銀座三丁目」とあるのは、現在の銀座 伊東屋 文具店のルーツにあたる店舗と思われる
模型作りから技術者へ 「模型とラジオの博物館」では、2022年の夏休みに「親子で体験する模型工作クラブ」を開催します 模型飛行機作りから航空力学を学んだり、電気自動車模型作りから電磁気学を学びます 対象は小学4年から中学3年生まで 参加費は部品代のみ:400円~2000円 7月から詳細を公表します
日本の情報技術を高めたいなら、受験科目にITを入れるのでは無く 小中高校、もしくは地域に、自由参加のITクラブを作り 電子工作部品から、ハイエンドPC、高価な周辺機器、クリエイティブ・ツールを揃えて 相談できる専門家の指導員を置いて 好きな生徒に、好きなだけ没入させる方策です twitter.com/misoguri/statu…
小中学生の高度な技術趣味が日本の技術立国を支えていましたが60~70年代がピークで、無くなりました 現在は 電子工学科に電子工作未経験が進学 航空学科に模型飛行機未経験が進学 大学教員は頭を抱え 就職先の企業でも指導者が頭を抱えています 小中学生の技術趣味が無くなった原因は何でしょうか?
60~70年代は、手引きになる模型誌、電子工作誌があり、小学校高学年が フルスクラッチでラジコン飛行機を自作 短波送受信機を自作 8bitマイコンを部品レベルで自作して完成させる など、今の大学生でも難易度が高い模型工作、電子工作を行っていました これらは何故無くなってしまったのでしょうか?
「子供の科学」の読者は小学生がメインで、中学生も居ました 「初歩のラジオ」の読者は中学生がメインで。小学生も読んでいて、電子工作に挑戦していました これらの難易度レベルは、現在の大学工学部レベルでした これをSNSで説明しても信じてもらえず、「子供の科学」の読者は学生だと反論されます twitter.com/yatanavi/statu…
「指導者達は頭を抱えている」とソフトに表現したのですが、今の日本の開発現場は「現場ネコ」以上にカオス状態です 電子工学科卒で「子供の科学」レベルの回路が書けない 模型飛行機経験が無いので、空中分解する機体を設計する 各技術系企業の指導的立場の方から「悲鳴」レベルの惨状を聞いています twitter.com/noranyan2000/s…
アポロ計画で宇宙飛行士の生還を実現したのは、軌道計算を担当したフランシス・ポピー・ノースカットだった ポピー・ノースカットは数学者でプログラマーでした この時、彼女は25歳 人間の前頭葉の能力が一番優れている時期は20歳代前半と言われている アポロ計画では万人単位の若い技術者が大活躍した
1980年代前半、多くのCG制作会社でレンダリング用に利用されたDEC VAX 11/780 無く子も黙る32bitスーパーミニコン 1台1MIPSで1億円 900Mbyteのディクス装置(イーグルディスク)が1台で600万円した時代 VAXが使えれば技術屋で一生飯が食えると言われた 今のラズパイはVAX 11/780の1千倍の能力が有る
究極のオーバークロック 1億円1MIPSのVAX11-780に続いてDECは、VAX11-750を発売した 750は、4千万円で0.6MIPSという絶妙な設定だった 750は新型なので使用ICの性能は780より上だった 米国の大学では750をクロックアップして1MIPSに改造するユーザーが出て来た 6千万円分のメリットが有る魔改造だった
テレタイプ社のASR-33を、CQ出版 トランジスタ技術 編集部 小串様より寄贈いただきました ASR-33は 1970年代のミニコンやマイコンの標準的なコンソール端末でした ビル・ゲイツ氏もASR-33でプログラミングを学びました ASR-33の収蔵展示は、マイコン博物館の念願でした ご寄贈をいただき感謝いたします
1970年 文部省は、何故か、文部省基準の高校向けプログラム卓電の仕様を策定して各電卓メーカーに製造させた 全国の高校が導入してくれるので、各電卓メーカーは基準に合わせた電卓を開発した その仕様は、専用キーを押して、記号の羅列でプログラムを行うので、プログラミングの学習には不向きだった
文部省が普通高校にプログラム電卓を導入した1970年 工業高校と商業高校には写真の実習用ミニコンが導入された プログラム言語としてアセンブラとFORTRANが提供された CPUの内部レジスタの動きがパネルに表示され、プログラムの動きから、コンピュータ・アーキテクチャまでを学習できた 今でも欲しい