26
四回目接種の私と接種会場に出かけた4歳は、普段小児科で自分がそうされているものだから、いざ接種という時突然「ママがんばれ!せんせいがんばれ!」とその場の大人を鼓舞し始め、先生からは
「俺、こんな風に応援されたことないなあ、なんか緊張しちゃうなあ」
フフフって笑われたとです。
27
ふらっと高速に乗って思いつきで立ち寄ったSAで大して美味しくない醤油ラーメンとやや割高のソフトクリームを食べてから特に必要ないキーホルダーを眺めたりするって、そういう退屈な旅行がしたい、よくある地方都市の一望できる小さな展望台で双眼鏡を覗きたい、1回100円のやつ。
28
駅からすぐのバレエ教室にむかって、長い髪をほつれ毛ひとつないシニヨンにくるりとまとめた女の子達が普段着に白いタイツを履いて秋の雑踏をくすくす笑いながら駆けてゆく姿を四歳と見ていてつい
「妖精みたいね」
と呟いたらその子達の何人かがへへって笑って振り向いたのでやっぱり妖精ですか。
29
子どもも13歳になり夕食に好物が並んだところで「お母さんのご飯は美味しいね」なんて微笑むことがなくなるかわりに妙に低い声で厳かに
「いいね、シェフを呼びたまえ」
と言うのに私がその場で立ち上がり
「お楽しみいただけましたか」
と笑顔で一礼する茶番が楽しめるのでこれはこれで
30
毎日毎日2歳児娘②に粘着され、宿題に落書きされ、本棚を荒らされ、switch操作の手元を常に付け狙われている息子が
「娘②ちゃんは可愛い、けどずっと一緒はしんどい、しんどいけど可愛いでもずっと一緒なのはーー!」
とか言い出して凄いなオマエ11歳の癖に何育児の真髄に触れようとしているんだ。
31
園で内科検診があってうちのは特殊な子だし少々面倒だろうと「娘には心疾患がありますが専門医に定期受診していますので大丈夫です」と問診票に書いて出したら園医の老先生は娘の手術痕をひとめ見て
「ようがんばったなあ」
と仰ったそう。熟練の小児科医をみくびるような事をしてはいけなかった。
32
お腹の赤ちゃんの心臓が大変な事になっていると診断された翌日の運動会
お腹にいる妹は生まれて来ても運動会で走ったり出来ないかもしれないんだよと伝えたら
「僕が背負って走る」
そう言った息子
ありがとう
あの10月8日からもうすぐ3年、あと1度手術を超えたら夢が叶うよ
#ありがとうの手紙
33
私がよく朝に晩に、4歳に向って言っている「可愛いねえ、産んでよかったなあ」なんて末っ子に極甘の、年寄りの親のらしい文言の口真似なのか、今寝っ転がってアンパンマンを見ている4歳が突然
「うまれてよかった!」
と言いまして、ありがとう、わたしも産んでよかったです。
34
ランドセルの展示場って、次の年の春への希望に胸膨らませたぴかぴかの笑顔のちびっ子だけのいる場所なのかなと思っていたんですけれど
「保育園やめへんし、小学校なんかぜったいいかへん」
といって売り場のスミにしゃがみこんでいる子がいてたいへん愛しいと思いました。
35
娘②は24時間酸素を使用しているので、外出時は私の担いだ酸素ボンベにホースで繋がれてそれをちょっと事情がわからない方から
「なんやあの子、犬みたいに繋がれて」
と笑われる事が稀にあるんですが、それに対して今日
「ウルシャイッ!」
ってキレてましたね患児本人が。
36
娘②本日、人工呼吸器を無事抜管。普段の酸素よりすこしゴツめのネーザルハイフロ―・高流量酸素療法に補助されながら完全な自発呼吸に切り替え。これまで担当してくれたナース達と主治医2人と執刀医が代わる代わる現れて
「よかった」
と笑ってくれた今日を、出来るならこの子も覚えていて欲しい。
37
体調不良が続いて幼稚園をお休みしたところにGWがやってきて休み明けの通院もあって完全休園状態だった5歳がとうとう今日
「ようちえんやめるわ」
と言い出して、幼稚園中退ってそんなロックな生き方をするつもりなのか君は、ちょっと考え直せと、今家族のみんなで説得しているところ。
38
知人の、1ドル360円の時代にご遊学すらしていた本気の元お嬢様が「昔NYのヴィレッジヴァンガードに行ったのよね…」と仰ったから、あの面白書店ってNYにもあんねやと思ったらそれは老舗ジャズクラブで、全くかみ合わない会話の後、その人を第6派が開けたら面白書店の方に連れて行くことになりました。
39
「唐揚げが手抜きでジャンクフード」の文言が放映されたその時テレビの前にいた、弊夫(フェアリー)と弊息子が
「唐揚げが..手抜き..ウソだろあの神の食物が...」
「あんな美味いのに..この人は一体普段何を食べて..」
11歳と38歳が2人で驚愕に震えていて君らはいい奴だ、だから今日は唐揚げです。
40
音楽シーンの記録を90年代で止めた夫が「米津玄師」ってなに食えんの?と聞くから
「太宰治の耽美と虚無と中原中也の叙情と芥川龍之介の世界への酷薄を足して3で割ってデジタルリマスターした令和の歌う帝国文学」
と言ったら「ああ俺は変な女と結婚してしまった」みたいな顔して会社に行った。
41
『魔女の宅急便』を11歳と見ているのですがキキ修行で家を出る日の前日、キキの父親のオキノ氏が
「上手くいかなかったら帰ってきて良いんだよ」
と娘に告げる言葉の響きの底知れぬ優しさを、子供の立場にあるものの底なしの安心を、気づいて理解したのは44歳の今日です。長生きはするものです。
42
4歳は心臓の病気があって本来あまり運動はできない子ではあるけれど、運動会の秋の思い出は今しか作れないのだし、主治医も「ある程度はええ」て言うし、運動会は少し走って楽しもうと思っていたら本人が
「その日、先生トーチョク?」
当日主治医は当直かと聞いてくるもので、真剣すぎないですか。
43
朝、土日ママと付き添い入院を交代して一日お子さんと遊んで、病院のベッドで眠り、当然夜泣きにも付き合って、それで病院からスーツを着て大荷物で出勤するパパを見た。
多分相当にお疲れだろうけれど、病棟の扉を出たあの瞬間、世界で一番恰好いいサラリーマンの姿がそこにありましたよパパ。
44
これまで数回10時間超の手術を越えて来た子の親である私にとって、あの献血車の列の中にいた人々がどんな存在かというとですね
「ありがとうございます見ず知らずの方」
そう言って手を取ってお礼申し上げたくなるような人々なんですよ。ありがとうあなたの行為があの日のうちの子を救いました。
45
46
仮に育休中の『リスキリング』という概念が「当然のこと」としてふんわり重たいガスのように定着した世界になったとして、すると真面目な人ほど泣いては乳を欲しがる赤ちゃんに勉強の手を止められることに焦って苛立ちいずれ「この子さえいなければ」という思考に繋がってゆく危険を孕むと思うんです。
47
幼稚園、娘②は初めて自分と少し違う、健康な子ばかりの環境を目の当たりにして不思議そうにそしてずっと緊張していたけれど、半日登園したその帰り道
「タノシカッタネエ」
と言った。
そうでしょう。お母さんも病院の先生達も娘ちゃんをずっとここに連れて来てあげたくて、結構頑張ったんだよ。
48
インターフォンを押せば
「国税局査察部です」
電話をかけてきたと思ったら
「俺だよ、オレオレ」
それが鉄板の持ちネタの息子、本日誕生日。本日の晩餐については
「俺の誕生日ケーキは娘②の退院まで保留」
バースデーケーキの『ろうそくフー権』を入院中の妹に譲るらしい。誕生日おめでとう。
49
今ちょっとした会話の中で
「お母さんなんてババアだよ」
と言ったら息子が
「ババアって言うのは江戸時代生まれの人でしょ153年前だからお母さんは違うでしょ」
現世を生きる女は全員ババアでは無いと断言してどうしよう私、実は凄い格好良い男の子を産んで育てているのでは。
50
娘は幼稚園のお友達を
「マタネノオトモダチ」
と呼ぶ
入院中できたお友達は退院や転院があるともう会えないし、障害児デイサービスのお友達は体調不良や急な入院でいつも会えるとは限らない。天国にお引っ越しした子もいる。でも幼稚園はそうじゃないね、マタネで次もいるね、そういう意味らしい。