Shotaro TSUDA(@brighthelmer)さんの人気ツイート(リツイート順)

201
大学4年生のころ、めちゃくちゃ優秀だったサークルの同期と大学院進学について話をしたことがある。彼女は「私は大学院に行くほど学問が好きじゃない」と言っていた。学部が違うとはいえ、彼女よりはるかに成績が劣るにもかかわらず、大学院進学を決めていたぼくは、
202
この話。特定政党から資金を一時的でも受け取っておいて「公共メディア」を名乗るというのは、やはり問題だだろう。フェイクニュースの氾濫に問題意識があったとのことだが、結果としてメディア不信をさらに強め、フェイクニュースへの対抗をより難しくしたと言えるのでは。buzzfeed.com/jp/yoshihiroka…
203
要するに、実際にバッシングや時に嫌がらせを受けながらも、それでも発言している側と、公共性や理性的対話を掲げてあらゆる意見は批判に開かれているとする側。この両者のあいだで認識の相違が生まれるのは不可避なのではないかと思う。
204
とすると、「なぜリベラルは嫌われるのか」よりも「なぜお互いが嫌い合うようになったのか」という問いのほうがフェアではあると思う。
205
その是非とは別に、「出産すれば奨学金の返済を減免」というとグロテスクに聞こえるが「子育てに必要な経済的負担を考慮し、子どものいる家庭には奨学金の返済を減免する」だと、内容的には同じでもグロテスクさが減るというコメントに「たしかに...」と思ってしまった。b.hatena.ne.jp/entry/s/www.ji…
206
自分は社会学者だとは言えないけど「オンライン授業をやるのは楽そうだ」→「だから大学教員はコロナでわざと大騒ぎするのだ」といった乱暴で通俗的な思い込みを覆すのに、社会学という学問はわりと有効だと思う。news.yahoo.co.jp/articles/c461d…
207
そこから、「えこひいき」されていると思しき存在をいじめることで、不公正なリベラル派の面目を潰そうとする戦略に出るという。同書を読んだときにはちょっと大げさではないかと思ったが、嫌な形で納得度が増してしまった。
208
しかも、空襲にしても軍事施設だけをターゲットにするという建前はあったものの(実際には当時の技術では極めて難しかった)、英国本土での空襲被害が拡大するとそういう建前もどんどん形骸化していき、相手側の市民に死者が出ようが知ったことか、みたいな雰囲気になっていく。(続)
209
自分と同じような意見の人ばかりをフォローした結果、別の見方や意見が目に入らなくなり、エコーチェンバー化するというのは、仕組みとしてはよく分かるんだが、説明としてはそれだけだと何か足りない気がする。敵対性が高まる理由が説明できてないというか。続
210
マジョリティが直面する問題は、失業、過労死、介護、住宅難、インフレ等々の形で社会全体の問題として報道され、議論される。だからマジョリティが苦しむ問題が無視されているわけでは決してないが、マジョリティというカテゴリーが直面する問題としてはあまり語られない。
211
そうして、ドイツ人がいかに野蛮な存在なのかという著作がベストセラーになったりして、ドイツ人そのものが悪であり、ナチスの所業に対しては一般のドイツ人にも責任があるという論が展開されるようになった。(続)
212
秦正樹先生の『陰謀論』(中公新書)を読んでいたら、日本のリベラル派にとっては「まるで、選挙というものが、自分の政治的意見が常に少数派であることを自覚させる装置と化してしまっているような状況」(pp.135-136)という記述があり、そうだよねえ...としみじみ思う。続
213
尋ねたりしていた。いくつか指摘されると、刊行された著作ではちゃんとそれが反映されてもいた。研究者として見習うべき姿勢だといまでも思っている。
214
「『理論を持たぬ歴史家は、その空白を自分の偏見で埋める』とハンコック教授は申しております。声高に公平中立を宣言する歴史家こそ、最も疑わしい歴史家であります。」(p.150)
215
一つは、多くの人がなんとなく感じていることと、それを明確に言語化することの間には結構な溝があるということ。いったん言語化されると、すぐにそれが当たり前の話に聞こえるようになる。でも、言語化は誰にでもできるわけではなく、かなりの時間と努力が必要だったりする。
216
どの順番で仕事をやってよいのかが分からなくなってきたので、とりあえずツイッターを見ているのだが、これが正解でないということだけはわかる。
217
こういう問題も、何十年か経ったら「実習生もちゃんと契約に合意しているのだから、問題はない」「いつでも逃げ出すことができた」とか言われちゃうのかなあ。www3.nhk.or.jp/news/html/2021…
218
この点が議論を大変に難しくしている部分であって、議論の公共性を重視する側からすれば、被害者が「特別扱い」「批判されない権利」を求めているようにみえるのではないか。もちろん、被害者側が本当にそれを求めているか否かは別の話。
219
この記事の話だが、報道も当事者の一員なので、無関係の第三者ではない。実際、この記事で取り上げられている一人の名前を朝日新聞と毎日新聞のデータベースで検索するとそれぞれ何件かヒットする。となると、報道のあり方についても反省を迫る事態ではないだろうか。 digital.asahi.com/articles/ASR4X…
220
概念や理論の概要だけ聞いて「当たり前すぎてつまらない」と思ったとしても、そこで引き返してしまうと肝心の面白い部分を見逃してしまう可能性が高いということ。概念や理論というのはゴールではなく、実はスタートにすぎない。(おわり)
221
授業準備のためにバラク・クシュナー『思想戦 大日本帝国のプロパガンダ』(明石書店、2016年)を読んでいるのだが、ちょっと面白いと思った点。本書によると、戦時期日本のプロパガンダは政府や軍の一方的な押し付けではなく、一般民衆も戦意高揚を目的とした宣伝活動に積極的に加担していた。(続)
222
NHKの放送を受けて、DHCが会長名義で出した反論(?)文書を読んだのだけれど(リンクは貼らない)、認知の歪みが凄まじい。苗字で出自を決めつけるようなことをやっていたら、至る所に陰謀の痕跡を見出してしまい、ああいうパラノイア的世界観に行きつくのは必然的だろうとは思う。
223
海外のメディアから自国内の隠蔽を指摘されて「お前のところはどうなんだ」と言いたくなる気持ちは分からないでもないが、それを突き詰めると「お互いに都合の悪いことは黙ってたほうがよく、それを外から指摘するのもやめましょう」という国を越えた隠蔽体質の完成という話にしかならないのでは
224
学問というのは、必要だとか役に立つという以前に、ついつい人間がやってしまう業のようなものではないかとも思う。単純な好奇心や面白さから始まったものが、知識が積み重ねられ、体系化されていくなかで知らないうちに学問になっている。続
225
のもとで報道や議論がなされる。だから、誰について取り上げられているのかが明確になる。他方、マジョリティは「当たり前」「普通」の存在として、社会のなかでは良くも悪くも不可視化されており、自分の属性についてさほど意識せずに生きていける。その反面、