Shotaro TSUDA(@brighthelmer)さんの人気ツイート(リツイート順)

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上野千鶴子さんが結婚していたというのが話題なのだが、『おひとりさまの老後』(文春文庫)は別に「一人でいること」を薦めている本ではない。たとえば、こんな一節がある。(続)
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大学院生のころ、学部生の後輩から「私の友達は高校時代からニーチェとか読んでいて、学問には飽きたって理由で大学院には行かないんですよね」と言われたことがある。その言葉からは「本当に頭がよい人は大学院などには行かないのだ」という含意が感じられて、嫌な気分になったことは覚えている。
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「フェミニスト系アカウントはなぜ日常的なことをつぶやかず、政治的なことばかりをツイートするのか」という趣旨の揶揄に対する反応。このような脅迫がまかり通っているなかでの防衛策だという指摘には説得力がある。 twitter.com/naka___35/stat…
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この映画では、学生の抗議に対して、教員が自分のコーヒーをかけて黙らせるのだが、現実でそれをやったら教員は懲戒処分だと思う。
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おすすめツイートで、「社会を支配したいやつが社会学を専攻する」みたいなのが流れてきたのだが、そんなやつおらんやろ。
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まとめると、戦争時における憎悪のコントロールは至難の技で、長期化するほどに暴走しやすくなる。そうならないことを祈るよりほかない。(終)
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というわけで、何が言いたいかというと、「一次史料」に目を通しているからちゃんとした研究だというわけでは必ずしもなくて、むしろ先行研究をきちんとおさえているかどうかがより重要なのではないか、ということ。
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結局のところ、「『正義の側に立った』と思ったときに人は加虐のブレーキが壊れるのだ!」的なネットミームも、自己相対化じゃなくて、他人の「正義」を攻撃するためだけに用いられるんだったら、たいした意味はないんじゃないか。
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流行りを無視するというのは難しいのだが、流行だけを追いかけて、ちゃんと基礎を固めておくことをしないと、気がつけば「ズレちゃった」のは自分ということにもなる。なんてことを思った。
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チェンバレンの宥和政策が「弱腰」の外交姿勢を責めるさいの常套句として日本でもしばしば用いられるが、歴史家のアーネスト・メイによれば、その「教訓」がアメリカをベトナム戦争の泥沼へと突入させるうえで一役買ったという(『歴史の教訓』)。歴史の教訓は慎重に使わねば、という話。
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一口に「平和」といっても、いろいろな解釈があり、それが何を意味しているのかをきちんと考えないと何も言っていないのと同じだということだろう。なお、石田先生の「平和」概念分析は『日本の政治と言葉(下)』(東京大学出版会、1989年)でも行われている。終
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その一方で、アイデンティティポリティクスとしてみるなら、この手の新しいカテゴリーは、気に食わない声を封じ込める上で大変に有用だと言わねばならない。ぼくが仮に主張を封じ込めたい側に回るなら、こういうカテゴリーを積極的に活用すると思う。
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第3層、第4層の資料をその背景まで含めて理解するのはかなり難しくて、第1層や第2層をすっ飛ばすと、逆に「分析者の思想に合致するよう、読みたいように読んでしまう」という可能性が高まるんじゃないかと思う。
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この記事「森喜朗氏胸像建立で募金集め」(digital.asahi.com/articles/ASQ96…)と、この記事「《音声入手》角川の競合を排除『私は絶対認めない』森喜朗『天の声』音声(bunshun.jp/denshiban/arti…)がほぼ同時に上がってくるというのは、何とも言えないタイミングではある。
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人々のあいだに引き起こし、バッシングにつながりかねない。言い換えれば、同情が続くのは被害者がずっと下をむいて、憐れみの対象になる限りにおいてだということ。もちろん、みながバッシングに走るわけではないけれども、そういう動きは発生しやすくなる。
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大学でのジャーナリズム教育とメディアへの就職とが強く結びついている米国ならではの指摘という感はあるけど、あちらを立てればこちらが立たず、という感じだろうか。
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日本に入国できていない留学生を対象としたオンライン授業で、スケープゴーティング現象について説明した。受講者にスケープゴートの事例を何か思いつくかを聞いたところ、「日本に入国できない留学生」という見事な返答が返ってきて、何も言えなかった。
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1970年代において女性解放運動の主張が真面目に受けとめられず、マスメディアによって「からかい」の対象とされたのはなぜかを述べた論考。本論を読んでいると、ネットでのやりとりが次々に浮かんでくる。メディア環境の激変によって内容の妥当性が揺るがないどころか、さらに強まった感もある。(2)
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しかも、レトリックとして「高齢者」や「ワクチン」を人質にとる論法。はっきり言って卑怯では。
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講義の準備をしていて思ったことなのだが、社会科学の概念や理論の多くは、アイデアだけみるとものすごくシンプルで、中学生でも理解できそうなものが多い。だから、パッと見、ごく当たり前のことを言っているだけのようにもみえる。でも、その見方には二つ、見落としがある。
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相手からその呼称で呼ばないで下さいと言われているのに、そう呼び続けるというのは嫌がらせの一種だと思うが、そういうのに躊躇しない人たちばかりがその言葉を使うようになることで、結果的に差別語としての性格がさらに強くなっていく感がある。
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ツイッターで衆院選候補者の殺害予告(削除済)をした人のホームを見ていたら、「自分たちは正義だという思い込み」を批判するツイートをしていた。そういう発想は頭にあっても、自分の「正義」の暴走をくい止めることはできないんだなあと思う。
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今日の授業で、台湾について日本の一部の層のあいだに「台湾は歴史もひっくるめて日本の全てを肯定してくれる存在」という誤謬があるのではないかという話をした。それはたぶん、韓国や中国に対するネガティブなステレオタイプをそのまま裏返したものでしかない。
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いわゆる「リベラル派」がマイノリティばかりを「えこひいき」しているようにみえるという話は、たぶん社会問題の語られ方とも関係しているんじゃないかと思う。外国籍やセクシャルマイノリティの方々がメディアで取り上げられる時には、「外国人研修生」「女性」「LGBTQ」といった明確なカテゴリー
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個々人にとっての処世訓がそのまま「貧困は自己責任なので支援の必要はなし」「制度に頼らず人は自分の力で生きるべき」「競争があってこそ社会は進歩する」等々のマクロな話に読み替えられてしまう。そこは本当は分けて考えるべき話なのに。