Shotaro TSUDA(@brighthelmer)さんの人気ツイート(古い順)

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今日の授業で、台湾について日本の一部の層のあいだに「台湾は歴史もひっくるめて日本の全てを肯定してくれる存在」という誤謬があるのではないかという話をした。それはたぶん、韓国や中国に対するネガティブなステレオタイプをそのまま裏返したものでしかない。
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録画したままだったNHKスペシャル「ドキュメント太平洋戦争・開戦」をみたのだが、日中戦争の死者に引きずられてさらに多くの死者を出すことになる対米開戦に突入したというあたり、カール・ドイッチュのナショナリズム論を思い出さずにはいられない。
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死者はすでに亡くなっているがゆえに反論が許されない。「死者を冒涜するのか」「無駄死にだったというのか」という主張に対する反論はたいへんに難しい。だがその結果、死者が新たな死者を招き寄せる状況が生まれ、壊滅的結果に至るまで止まることができない。
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ドイッチュによれば、19世紀以降のヨーロッパでは、ナショナリズム言説において「死者」が登場し、使命の完徹を求める国民意思のシンボルとして活用されるようになったという。そこでは、方針の転換は死者に対する裏切りとして激しく糾弾される。
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上野千鶴子さんの「ギャルゲーでヌキながら、性犯罪を犯さずに、平和に滅びていってくれればいい」という発言は、オタクへの誹謗としてツイッターでよく槍玉に上がるのだが、あれは議論の前の部分を意図的にか省略した、非常によろしくない切り取りだと思う。
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あの議論で上野さんが語っているのは、多くの男性が「何の努力もしなくても自分を認めてくれる女性」としかコミュニケーションできないという問題。ところが、そういう女性を演じてくれる女性が減ってきた。
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そこで男性のなかには、自分の思い通りにならない女性とのコミュニケーションが面倒くさくなってしまい、そういう負荷のないバーチャルな女性とのコミュニケーションにのみ耽溺する人がでてきたという。最初の引用部分が続くのは、その話の直後。だから、上野さんのこの論を否定するのであれば、
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男性は女性に幻想を押し付けてきたわけではないとの歴史の話をするか、リアルの面倒さを避けてバーチャルに行くオタクは存在しないと主張するか、それとも上野さんの議論の前提を受け入れたうえで、女性は男性をとにかく褒め称えるべきと主張するか、ぐらいではないか。あるいは、
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現代ではコミュニケーションの負荷が非常に高まっていて、その面倒さに耐えきれず一人を選択する人が増えているのであり、それを男性だけの問題へと還元してしまうのは単純化だという指摘も可能かもしれない。この最後のやつが個人的にはまだ説得的ではないかと思う。
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チェンバレンの宥和政策が「弱腰」の外交姿勢を責めるさいの常套句として日本でもしばしば用いられるが、歴史家のアーネスト・メイによれば、その「教訓」がアメリカをベトナム戦争の泥沼へと突入させるうえで一役買ったという(『歴史の教訓』)。歴史の教訓は慎重に使わねば、という話。
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ルッキズムというのは外見や容姿といった基準を「本来持ち込むべきではないところに持ち込む」ことであり、基準自体を全面的に否定するのは難しいように思う。それをもっとも持ち込むべきではないのが教育機関であり、たとえば教員は肯定的な意味でも学生の容姿に言及するのは避けるべき。
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そういえば、今年亡くなった母も、自分の外見に強いコンプレックスを抱いていて、認知症を発症してからも幼いころに実兄から容姿のことでなじられたと繰り返し言っていた。だから、ルッキズムという問題提起自体はやはり必要なのだと思う。
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高校生のとき、同じ部活だった奴から「お前はなんでそんなにブサイクなん?」と言われて、けっこう傷ついたことがあった。今なら「別にアイドルを目指しているわけでもないんだから余計なお世話だ」と言い返せそうだけど、思春期の高校生にはけっこうきつかった。
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残念ながらそうではない女性もいるだろう。だから、美醜という基準を持ち込むべきではないところで、たとえ肯定的であっても容姿に言及する発話がさかんになされてたら、それはやっぱりマズいんじゃないですかね。
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重要なのは、社会に多元的な評価軸があるということで、自分などは外見や容姿しか評価軸がなければさぞしんどい状況になったことだろうと思う。傾向的には女性のほうが外見という一元的な評価軸に晒されやすいという傾向はおそらくあって、それでメリットを享受する女性もいるだろうけど、
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この話。特定政党から資金を一時的でも受け取っておいて「公共メディア」を名乗るというのは、やはり問題だだろう。フェイクニュースの氾濫に問題意識があったとのことだが、結果としてメディア不信をさらに強め、フェイクニュースへの対抗をより難しくしたと言えるのでは。buzzfeed.com/jp/yoshihiroka…
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ぼくが大学院生のころ、当時の流行テーマをやっていた年長の院生が、とある年輩の研究者を指して「あの人、時代からズレちゃったんだよな」と評していた。それから約20年、その「ズレちゃった」とされた研究者の昔の論文を読むと、その年長の院生が書いていたものよりも現代性があったりする。
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流行りを無視するというのは難しいのだが、流行だけを追いかけて、ちゃんと基礎を固めておくことをしないと、気がつけば「ズレちゃった」のは自分ということにもなる。なんてことを思った。
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相棒のお正月スペシャルでのデモ描写も、今回のNHK大阪の件も、メディアが社会運動をどう描くかという問題に関わっている。フィクションとノンフィクションという違いはあるけれども。
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相棒ではヒステリックに、熱意が過剰なものと描かれているのに対して、NHK大阪ではカネによって動員され、言われたことをやるだけという受動的な人物描写がなされていた。ある意味では対極的な表現。
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ステレオタイプは往々にして対極的な二つのイメージによって形成される。イメージが一つしかないと、現実との対応関係の維持が難しい。今回の件でいえば、熱意のあるデモをみれば前者のイメージを、落ち着いたデモをみれば後者のイメージを召喚すれば、ステレオタイプは傷つかない。
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ナショナリズムが同胞を支える原理になるかどうかは、それがどういうイデオロギーによって支えられているかによる。ナショナリズムは別のイデオロギーと結びつくことが多いので、たとえばネオリベ的な思想と結びつけばむしろ福祉の切り下げと親和的になる。 twitter.com/ShinHori1/stat…
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子どもが通う中学校で「それってあなたの感想ですよね?」が流行っているという話を聞き、やや暗い気持ちになる。そこから主観性と客観性について議論しようかという話になるわけはなく、単に相手を言い負かしたつもりになるだけの言い回しだろうし。
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正直、ツイッター上の有名人が何人も無理くりの論理で、誹謗中傷をかました某氏を擁護したり、問題を相対化しようとしているのを見ると罪が重いなあと思う。当の本人は強がってはいても、かなりしんどい状況だろうから、藁にもすがる思いでそういうのにしがみつく。
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でも、有名人らにしたって持論の展開に便利だから某氏を「使って」いるにすぎない。だからこの先、某氏が困っても別に助けてくれるわけはない。本当に彼らがすべきは、このままいくとキャリアが台無しになりかねないからもうやめておけと諫めることなのに。彼らの言葉ならまだ届くかもしれない。