Shotaro TSUDA(@brighthelmer)さんの人気ツイート(古い順)

76
早稲田の某先生。年齢を重ねて今のようになったのか、それとも若いころから強引な文章解釈をやっていたのか。前者ならまだ良くて、後者なら若いころの業績もすべて再検証の必要性が出てくることになる。文献紹介で著作を挙げるのも正直、ちょっと厳しい。
77
これは政治的党派性の話ではなくて、学術的な誠実さの話。研究者であっても、他人の研究で取り上げられている資料に全てあたるわけではないのだから「お互いに嘘やごまかしはしない」という信頼ベースの話に最後はなる。そこが揺らぐとかなり厳しい。
78
このツイート、すごく批判されているのだが、実際のところ、日本で暮らす外国籍の方々に対する人権侵害を阻止したり、制度上の不備を改めたりできるのは日本の有権者しかいない。国籍保持者には見えにくいことがたくさんあるわけで、このツイートをもって日本のことに口を出すなというのはおかしい。 twitter.com/yu_miri_0622/s…
79
相手からその呼称で呼ばないで下さいと言われているのに、そう呼び続けるというのは嫌がらせの一種だと思うが、そういうのに躊躇しない人たちばかりがその言葉を使うようになることで、結果的に差別語としての性格がさらに強くなっていく感がある。
80
ツイッターで衆院選候補者の殺害予告(削除済)をした人のホームを見ていたら、「自分たちは正義だという思い込み」を批判するツイートをしていた。そういう発想は頭にあっても、自分の「正義」の暴走をくい止めることはできないんだなあと思う。
81
結局のところ、「『正義の側に立った』と思ったときに人は加虐のブレーキが壊れるのだ!」的なネットミームも、自己相対化じゃなくて、他人の「正義」を攻撃するためだけに用いられるんだったら、たいした意味はないんじゃないか。
82
自分が試験に失敗したとして、ただでさえ凹んでいるところにそれを公共放送でニュースとして流されたら確実に病みそう。NHKは何を報道すべきで、何をすべきでないのか考え直した方がいいと思う。
83
「ジェンダー平等や気候変動の問題は社会的にきわめて重要である」という認識と「しかし、それを最初に掲げては選挙に勝てない」という認識は両立するわけで、後者を言うことで前者を否定しているように思われるのは、端的に言って書き方が悪いのでは。重要であっても選挙になじまないトピックはある。
84
「フェミニスト系アカウントはなぜ日常的なことをつぶやかず、政治的なことばかりをツイートするのか」という趣旨の揶揄に対する反応。このような脅迫がまかり通っているなかでの防衛策だという指摘には説得力がある。 twitter.com/naka___35/stat…
85
サッチャー氏の葬儀が行われたとき、ちょうど在外研究でロンドンにいたのだが、街頭にはたくさんの人が繰り出していた。「ありがとうサッチャー」と書かれた紙を掲げる人がいる一方、サッチャリズムがいかに英国を傷つけたかについて道端で演説している人もいる。その演説を聞いていたら、
86
聴衆のなかから、サッチャー氏の功績を評価して反論を始めた人がいた。その二人のあいだで論争が始まって、周囲の人たちはその様子を眺めている。ぼくはサッチャー氏は支持しないけれども、その様子を見て「民主主義というのはこういうものなのか」とつくづく思った。
87
人々のあいだに引き起こし、バッシングにつながりかねない。言い換えれば、同情が続くのは被害者がずっと下をむいて、憐れみの対象になる限りにおいてだということ。もちろん、みながバッシングに走るわけではないけれども、そういう動きは発生しやすくなる。
88
この間の授業で、犯罪被害者が被害者として世間から同情されるのにはいくつかの条件があり、その条件をクリアしたとしても、ずっと受け身の客体でない限り、同情がバッシングへと転じる可能性があるという話をした。主体的、積極的に発言を始めると「ずるい」「がめつい」という感情を
89
この点が議論を大変に難しくしている部分であって、議論の公共性を重視する側からすれば、被害者が「特別扱い」「批判されない権利」を求めているようにみえるのではないか。もちろん、被害者側が本当にそれを求めているか否かは別の話。
90
実際、被害の当事者が主体的、積極的な発言をするには相当なバッシングを覚悟しなくてはならないし、そのこと自体が沈黙を強いる圧力になりうる。他方、公共の場での理性的対話という観点からするなら、発言者が誰であっても批判は甘受せねばならないことになる。
91
要するに、実際にバッシングや時に嫌がらせを受けながらも、それでも発言している側と、公共性や理性的対話を掲げてあらゆる意見は批判に開かれているとする側。この両者のあいだで認識の相違が生まれるのは不可避なのではないかと思う。
92
つまり、「アッコちゃん」が受け身であったことが問題なのであり、周囲のせいにするんじゃないという指摘。しかし、直観ではあるが、そういう批判をする人が、「アッコちゃん」が主体的に行動し、周囲の歪みを告発できる人物であった場合、それを歓迎するかと言えば、そうでもないんじゃないか。
93
…という連続ツイートを午前中にしたのだが、たまたまTLで流れてきたこのマンガを読んだ。大変に重い作品ではあるが、コメント欄に「アッコちゃん」の主体性の欠如を批判するものが目についた。pixiv.net/artworks/94094…
94
主体的、積極的であるならば生意気に見えるし、おちょくってやりたい気持ちになる。他方、客体的、消極的であっても、それが悪しき帰結をもたらしたならば、その主体性の欠如を責める。そういうダブルバインド的構造になっている感もある。
95
大学院生のころ、学部生の後輩から「私の友達は高校時代からニーチェとか読んでいて、学問には飽きたって理由で大学院には行かないんですよね」と言われたことがある。その言葉からは「本当に頭がよい人は大学院などには行かないのだ」という含意が感じられて、嫌な気分になったことは覚えている。
96
この記事の途中に埋め込まれている動画が、あまりにひどくてちょっと見られない。news.yahoo.co.jp/byline/shivare…
97
慎重に書かれたよい記事と思う。「被害者の側にも『表現の自由』があり、その表現活動は社会に重要な影響を与えうるものである。そこに沈黙強制となる攻撃や、言論空間に参加できなくなるような社会的信用の貶めがあった場合には、こちらの『表現の自由』を守る必要が生じる」news.yahoo.co.jp/byline/shidayo…
98
学術的には問題外の本がヒットする一方、真摯な学術書が売れないのをみると、大変に残念な気持ちになったりするが、これはもう時間による淘汰を期待するしかないんだろうと思う。かつてのベストセラーが誰にも読まれなくなることは珍しくないし、売れなかった本が少しずつでも読み継がれることもある。
99
日本に入国できていない留学生を対象としたオンライン授業で、スケープゴーティング現象について説明した。受講者にスケープゴートの事例を何か思いつくかを聞いたところ、「日本に入国できない留学生」という見事な返答が返ってきて、何も言えなかった。
100
「この裁判で争われているのは、『表現の自由』ではなく、1人のマイノリティが出自を理由に職場で差別されず、安心して働き社会の一員として生きるという『人間の尊厳』そのもの」 news.yahoo.co.jp/articles/1af18…