Shotaro TSUDA(@brighthelmer)さんの人気ツイート(新しい順)

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…という連続ツイートを午前中にしたのだが、たまたまTLで流れてきたこのマンガを読んだ。大変に重い作品ではあるが、コメント欄に「アッコちゃん」の主体性の欠如を批判するものが目についた。pixiv.net/artworks/94094…
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要するに、実際にバッシングや時に嫌がらせを受けながらも、それでも発言している側と、公共性や理性的対話を掲げてあらゆる意見は批判に開かれているとする側。この両者のあいだで認識の相違が生まれるのは不可避なのではないかと思う。
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この点が議論を大変に難しくしている部分であって、議論の公共性を重視する側からすれば、被害者が「特別扱い」「批判されない権利」を求めているようにみえるのではないか。もちろん、被害者側が本当にそれを求めているか否かは別の話。
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実際、被害の当事者が主体的、積極的な発言をするには相当なバッシングを覚悟しなくてはならないし、そのこと自体が沈黙を強いる圧力になりうる。他方、公共の場での理性的対話という観点からするなら、発言者が誰であっても批判は甘受せねばならないことになる。
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人々のあいだに引き起こし、バッシングにつながりかねない。言い換えれば、同情が続くのは被害者がずっと下をむいて、憐れみの対象になる限りにおいてだということ。もちろん、みながバッシングに走るわけではないけれども、そういう動きは発生しやすくなる。
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この間の授業で、犯罪被害者が被害者として世間から同情されるのにはいくつかの条件があり、その条件をクリアしたとしても、ずっと受け身の客体でない限り、同情がバッシングへと転じる可能性があるという話をした。主体的、積極的に発言を始めると「ずるい」「がめつい」という感情を
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聴衆のなかから、サッチャー氏の功績を評価して反論を始めた人がいた。その二人のあいだで論争が始まって、周囲の人たちはその様子を眺めている。ぼくはサッチャー氏は支持しないけれども、その様子を見て「民主主義というのはこういうものなのか」とつくづく思った。
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サッチャー氏の葬儀が行われたとき、ちょうど在外研究でロンドンにいたのだが、街頭にはたくさんの人が繰り出していた。「ありがとうサッチャー」と書かれた紙を掲げる人がいる一方、サッチャリズムがいかに英国を傷つけたかについて道端で演説している人もいる。その演説を聞いていたら、
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「フェミニスト系アカウントはなぜ日常的なことをつぶやかず、政治的なことばかりをツイートするのか」という趣旨の揶揄に対する反応。このような脅迫がまかり通っているなかでの防衛策だという指摘には説得力がある。 twitter.com/naka___35/stat…
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「ジェンダー平等や気候変動の問題は社会的にきわめて重要である」という認識と「しかし、それを最初に掲げては選挙に勝てない」という認識は両立するわけで、後者を言うことで前者を否定しているように思われるのは、端的に言って書き方が悪いのでは。重要であっても選挙になじまないトピックはある。
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自分が試験に失敗したとして、ただでさえ凹んでいるところにそれを公共放送でニュースとして流されたら確実に病みそう。NHKは何を報道すべきで、何をすべきでないのか考え直した方がいいと思う。
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結局のところ、「『正義の側に立った』と思ったときに人は加虐のブレーキが壊れるのだ!」的なネットミームも、自己相対化じゃなくて、他人の「正義」を攻撃するためだけに用いられるんだったら、たいした意味はないんじゃないか。
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ツイッターで衆院選候補者の殺害予告(削除済)をした人のホームを見ていたら、「自分たちは正義だという思い込み」を批判するツイートをしていた。そういう発想は頭にあっても、自分の「正義」の暴走をくい止めることはできないんだなあと思う。
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相手からその呼称で呼ばないで下さいと言われているのに、そう呼び続けるというのは嫌がらせの一種だと思うが、そういうのに躊躇しない人たちばかりがその言葉を使うようになることで、結果的に差別語としての性格がさらに強くなっていく感がある。
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このツイート、すごく批判されているのだが、実際のところ、日本で暮らす外国籍の方々に対する人権侵害を阻止したり、制度上の不備を改めたりできるのは日本の有権者しかいない。国籍保持者には見えにくいことがたくさんあるわけで、このツイートをもって日本のことに口を出すなというのはおかしい。 twitter.com/yu_miri_0622/s…
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これは政治的党派性の話ではなくて、学術的な誠実さの話。研究者であっても、他人の研究で取り上げられている資料に全てあたるわけではないのだから「お互いに嘘やごまかしはしない」という信頼ベースの話に最後はなる。そこが揺らぐとかなり厳しい。
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早稲田の某先生。年齢を重ねて今のようになったのか、それとも若いころから強引な文章解釈をやっていたのか。前者ならまだ良くて、後者なら若いころの業績もすべて再検証の必要性が出てくることになる。文献紹介で著作を挙げるのも正直、ちょっと厳しい。
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論破する/されるみたいなモードだと、間違えた情報を流すイコール敗北という感じになるので、間違いを素直に認めるのが難しくなってしまう。本当は「そこ間違えてますよ」「あ、ほんとだ、ありがとう」「いえいえ」ぐらいのコミュニケーションがいいんだろうけど。
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日本の政治報道は政治家の人間関係を扱う政局報道に傾斜しすぎていると何十年も前から言われていて、野党の側のイニシアティブでそれを変えるのは、おそらく至難の業です。 twitter.com/SentMantNamuB/…
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政治報道が政局報道に傾斜していれば、野党が何をやっても埋没するのは避けられない。政局で言えば、次の総理が誰かを決める人間ドラマ以上に盛り上がるものはないのだから。それを改めるには、政策ベースの報道が必要になるわけで、それには今の政治報道を根底から変える必要が出てくる。
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米国の名前のややこしい新聞(一部修正)。こうやって並べてみると、ニューヨークポストのロゴが分かりやすくタブロイド紙なので、ある意味では好感がもてる。
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こういう問題も、何十年か経ったら「実習生もちゃんと契約に合意しているのだから、問題はない」「いつでも逃げ出すことができた」とか言われちゃうのかなあ。www3.nhk.or.jp/news/html/2021…
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あと、補足として、第1〜4層は必ずしも時系列的に並んでいるわけではなく、第1、2層のものを読みながらも、第3、4層を読んだりするケースも多いはず。それを繰り返して、全てを網羅するのを「諦めたらそこで研究終了ですよ」みたいな。(おわり)
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第3層、第4層の資料をその背景まで含めて理解するのはかなり難しくて、第1層や第2層をすっ飛ばすと、逆に「分析者の思想に合致するよう、読みたいように読んでしまう」という可能性が高まるんじゃないかと思う。
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というわけで、何が言いたいかというと、「一次史料」に目を通しているからちゃんとした研究だというわけでは必ずしもなくて、むしろ先行研究をきちんとおさえているかどうかがより重要なのではないか、ということ。