Shotaro TSUDA(@brighthelmer)さんの人気ツイート(新しい順)

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加えて、自分が年齢を重ねて学生との世代差が開くほどに、関心の対象や面白さのポイントがズレていくということもあるんじゃないかと思う(自分がもっと若いころに面白い授業をできていたかどうかは別として)。というわけで、朝から本や論文を読んでいても、いまいち頭に入ってこない。
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自分としてはなるべく面白い話をしたいと思って授業をしているのだが、それはエンターテイメント的な面白さではないし、しかも自分にとって面白いと思えることが他人にとっても面白いとは限らない。というか、むしろそれが一致する可能性はかなり低い。
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先日、アマゾンプライムで映画をみていたら、主人公の大学生が、つまらない授業をする教員に詰め寄るシーンがあった。ネットフリックスの利用料より遥かに高額の授業料をとっているにもかかわらず、このつまらない内容はなんだ、というような抗議。そのシーンをみたせいで精神的ダメージが大きい。
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RT。パットナムの『われらの子ども』では、米国では学校での部活が縮小された結果、スポーツをするのにも家庭の経済力が反映されるようになり、低所得層の家庭の子どもたちが人間関係などのソフトスキルを学ぶのが難しくなってしまったと論じられていた。教員負担の問題は確かに深刻だが…
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自分は社会学者だとは言えないけど「オンライン授業をやるのは楽そうだ」→「だから大学教員はコロナでわざと大騒ぎするのだ」といった乱暴で通俗的な思い込みを覆すのに、社会学という学問はわりと有効だと思う。news.yahoo.co.jp/articles/c461d…
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ウクライナが「かわいそう」だから支援していると考えるか、それとも「軍事力で国際秩序を変更することを許さない」から支援していると考えるかで「感謝されないならもう助けない」となるか否かは違ってくるんじゃないか。
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いわば、表現の自由以前にその自由を行使する力をそもそも奪われている存在。だから、サバルタンという概念を否定するのであれば、表現の自由が平等に享受されていない現状を肯定し、自身を語れないのであればそんな人々は無視してよいという話になりうる。(続)
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そういう文脈を無視して、しょーもない敵対構造を作り出して「表現の自由」を唱えるとか、ちょっとどうかしているんじゃないか。(終)
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「表現の自由」を唱える政治家の漫画で、「表現の敵」が使う技の一つがサバルタンだというのに、ちょっと驚く。サバルタンとは、自身にについて自分たちの言葉で語ることができない人々を指す。彼ら、彼女らの声は往々にして先進国の知識人等によって都合よく代弁されてしまう。(続)
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いつものように昔の話をすると、1941年の大西洋憲章では、民族自決権の尊重が定められた。ところが、この権利を享受すると想定されていたのは、あくまでナチスの支配に置かれた諸民族でしかなかった。チャーチルはそれがイギリスの植民地支配下にある地域には適用されないと早々に明言した。(続)
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つまり、「国際秩序」というのが欧米+αにとってのご都合主義でしかないというように非西洋世界からはみえているのではないかということ。これはきわめて妥当な問題提起であって、どっちもどっち論などと矮小化するべきではないと思う。(おわり)
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酒井氏の記事中でも言及されている通り、難民の扱いをみても、ウクライナ難民と、中東やアフリカ、アジアから難民への対応に露骨な違いがあるのは明らか。で、こういうダブルスタンダードが放置されていると何が起きるかといえば、国際秩序が規範としての力を持ち得なくなってしまう。
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この記事で提起されているのは、ロシアとウクライナ、どっちもどっちみたいな乱暴な議論ではない。ロシアの行動が悪なのは当然の前提として、とりわけ非西洋世界からすると、過去の米国の対外政策との評価があまりに違うようにみえるという「ダブルスタンダード」の問題。
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毎日新聞の掲載された酒井啓子氏のコラムが「どっちもどっち論」だと批判するツイートが流れてきた(有料記事)。ぜんぶ読んだが、これを「どっちもどっち論」だと言うのは、かなり無理があると思う。mainichi.jp/articles/20220…
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おすすめツイートで、「社会を支配したいやつが社会学を専攻する」みたいなのが流れてきたのだが、そんなやつおらんやろ。
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政治部の記者が政治家の小間使いのように働くというのは昔からよく聞く話だし、信頼関係を築くためにはやむを得ない部分なのかもしれないが、オープンな場でああも開き直られると、メディアの信頼性にも関わる話になってくるのではないか。緊張関係にあるようにみえて実際は裏でつるんでるんでしょ的な
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この連続ツイート、いちおう大元のロシア国営通信社のサイトに行って、機械翻訳で読んでみたが、翻訳で書かれていることが主張されているもよう。すさまじい内容。 twitter.com/spearsden/stat…
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一つは、多くの人がなんとなく感じていることと、それを明確に言語化することの間には結構な溝があるということ。いったん言語化されると、すぐにそれが当たり前の話に聞こえるようになる。でも、言語化は誰にでもできるわけではなく、かなりの時間と努力が必要だったりする。
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概念や理論の概要だけ聞いて「当たり前すぎてつまらない」と思ったとしても、そこで引き返してしまうと肝心の面白い部分を見逃してしまう可能性が高いということ。概念や理論というのはゴールではなく、実はスタートにすぎない。(おわり)
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講義の準備をしていて思ったことなのだが、社会科学の概念や理論の多くは、アイデアだけみるとものすごくシンプルで、中学生でも理解できそうなものが多い。だから、パッと見、ごく当たり前のことを言っているだけのようにもみえる。でも、その見方には二つ、見落としがある。
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そうして、ドイツ人がいかに野蛮な存在なのかという著作がベストセラーになったりして、ドイツ人そのものが悪であり、ナチスの所業に対しては一般のドイツ人にも責任があるという論が展開されるようになった。(続)
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しかも、空襲にしても軍事施設だけをターゲットにするという建前はあったものの(実際には当時の技術では極めて難しかった)、英国本土での空襲被害が拡大するとそういう建前もどんどん形骸化していき、相手側の市民に死者が出ようが知ったことか、みたいな雰囲気になっていく。(続)
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まとめると、戦争時における憎悪のコントロールは至難の技で、長期化するほどに暴走しやすくなる。そうならないことを祈るよりほかない。(終)
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ようにドイツは内部崩壊するという期待があった。また、英国に亡命していたドイツ人が、ドイツ国内にも「良きドイツ人」は多数いるので、彼らに呼びかけるべきだという主張を展開したこともあったとされる。しかし、(続)
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一向にナチスの支配体制が崩壊しないことから、ナチスと一般のドイツ人とを区別することが難しくなっていく。つまり、ナチスに戦争の原因があるのではなく、ドイツ人そのものに戦争の原因があるという考え方がだんだん強くなっていった。(続)