Shotaro TSUDA(@brighthelmer)さんの人気ツイート(いいね順)

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主体的、積極的であるならば生意気に見えるし、おちょくってやりたい気持ちになる。他方、客体的、消極的であっても、それが悪しき帰結をもたらしたならば、その主体性の欠如を責める。そういうダブルバインド的構造になっている感もある。
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日記や回顧録に「本当のこと」が書かれているとは限らないというのは頻繁に言われるところだが、それでもちゃんとした研究書であれば、先行研究のほかに多くの日記や回顧録も参照されている。
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さいきん読んだ森政実『戦後「社会科学」の思想』(NHKブックス)のなかに、「なぜ新自由主義はそれによって不利益を被る人々にまで受け入れられたのか」という問いが出てきたのだが、その大きな要因としては、その思想が人々の生活実感や処世訓と非常に親和的だったからではないかと思っている。
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大学でのジャーナリズム教育とメディアへの就職とが強く結びついている米国ならではの指摘という感はあるけど、あちらを立てればこちらが立たず、という感じだろうか。
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この記事で提起されているのは、ロシアとウクライナ、どっちもどっちみたいな乱暴な議論ではない。ロシアの行動が悪なのは当然の前提として、とりわけ非西洋世界からすると、過去の米国の対外政策との評価があまりに違うようにみえるという「ダブルスタンダード」の問題。
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「誰も指摘しない」って…この手の話、教育社会学ではめちゃくちゃありふれたトピックなのでは???むしろ、「ポリコレのせいで表現の自由が制約されている」という筆者の従来の主張から無理やりひねり出した記述なのではないかと思う。president.jp/articles/-/601…
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さきほどのRT。伊藤昌亮先生の『炎上社会を考える』(講談社現代新書)での指摘そのままなので、ちょっとびっくりした。同書によると、右派からみればリベラル派というのは「えこひいき」ばかりしている気に食わない教師みたいな存在で、マイノリティばかりに肩入れしているようにみえるという。
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こういう視点に立つと、欧州で王室の実質的権力が失われていく一方、王室関連の儀式が「伝統」として以前よりもはるかに大きな規模で執り行われるようになった過程や、明治期に初めて皇族の結婚式がとりおこなわれ、庶民のあいだに神前結婚式が「伝統」として新たに広まっていった過程が視野に入る。
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人間というのは本来、曖昧さも矛盾もごく自然に抱え込んでいるものだと思うが、ネット上では過去の発言が蓄積されていくのに加えて、他人の信頼性を壊すもっとも手っ取り早い方法が「ダブルスタンダード」を指摘することになってしまったので、曖昧さや矛盾が許されない状況になってしまった。
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尋ねたりしていた。いくつか指摘されると、刊行された著作ではちゃんとそれが反映されてもいた。研究者として見習うべき姿勢だといまでも思っている。
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この記事の途中に埋め込まれている動画が、あまりにひどくてちょっと見られない。news.yahoo.co.jp/byline/shivare…
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ふと思いついて、読売新聞で「貧困」という言葉を使っている記事のうち、日本に言及しているものと、海外に言及しているものとの比率をみてみた。1989年12月と2019年12月との比較。なお、1989年の日本の2件は「映画企画の貧困」と「哲学の貧困」に言及した記事。
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まとめると、戦争時における憎悪のコントロールは至難の技で、長期化するほどに暴走しやすくなる。そうならないことを祈るよりほかない。(終)
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佐々木氏に限らず、ネットでの言論が重く見られ過ぎなのではないか。ネットで主張が少し取り上げられただけで、社会的承認があったものとしていきなり「上級弱者」扱い。新自由主義を告発するていでいながら上部構造しか見てない感じ。
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ついでに言えば、皇族の葬儀も江戸時代までは仏教の僧侶によって行われていて、新たに生み出された神道形式の葬儀が行われるようになったのは明治以降。
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たとえば、本論によると「からかい」の背景には、からかう側の独りよがりな「親密性」の現れがあるという。真面目な主張に対して本気で反論したり、敵意をむき出しにするのではなく、親しくもないのに相手を愛称で呼んだり、「こわいこわい」でやり過ごそうとするのは(3)
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人々のあいだに引き起こし、バッシングにつながりかねない。言い換えれば、同情が続くのは被害者がずっと下をむいて、憐れみの対象になる限りにおいてだということ。もちろん、みながバッシングに走るわけではないけれども、そういう動きは発生しやすくなる。
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チェンバレンの宥和政策が「弱腰」の外交姿勢を責めるさいの常套句として日本でもしばしば用いられるが、歴史家のアーネスト・メイによれば、その「教訓」がアメリカをベトナム戦争の泥沼へと突入させるうえで一役買ったという(『歴史の教訓』)。歴史の教訓は慎重に使わねば、という話。
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声を大にして言いたいのは、朝日でも読売でも毎日でも産経でも地方紙でもいいので、どこかの新聞の有料会員に多くの人になって欲しいということ。新聞社がダメになると、必然的にネット上の情報も激しく劣化する。続
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@kondohi ウヨサヨ対立に持っていけば、朝日や毎日の側に立ちたくない人を取り込みやすくなるので、潜在的な批判勢力を分断できます。だから、記者による偽情報の入力なんてのは批判の口実でしかなくて、報道によるいたずらの増加すらそうなんじゃないかと疑ってしまいますね。日経を外してるのを見ると。
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日本に入国できていない留学生を対象としたオンライン授業で、スケープゴーティング現象について説明した。受講者にスケープゴートの事例を何か思いつくかを聞いたところ、「日本に入国できない留学生」という見事な返答が返ってきて、何も言えなかった。
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米国では共和党支持者と民主党支持者が単に政治的な意見が違うというだけではなく、人間的に嫌い合うようになっているという指摘はかなり前からなされているが、Pew Research Centerの調査によると、最近はその傾向がさらに強まっているらしい。続
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この件を伝える新聞記事。google.co.jp/amp/s/amp.theg…
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「フェミニスト系アカウントはなぜ日常的なことをつぶやかず、政治的なことばかりをツイートするのか」という趣旨の揶揄に対する反応。このような脅迫がまかり通っているなかでの防衛策だという指摘には説得力がある。 twitter.com/naka___35/stat…
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ステレオタイプは往々にして対極的な二つのイメージによって形成される。イメージが一つしかないと、現実との対応関係の維持が難しい。今回の件でいえば、熱意のあるデモをみれば前者のイメージを、落ち着いたデモをみれば後者のイメージを召喚すれば、ステレオタイプは傷つかない。