Shotaro TSUDA(@brighthelmer)さんの人気ツイート(いいね順)

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上野千鶴子さんが結婚していたというのが話題なのだが、『おひとりさまの老後』(文春文庫)は別に「一人でいること」を薦めている本ではない。たとえば、こんな一節がある。(続)
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災害時に被災地の首長がどこの党に近いかで中央の対応が変わることを示唆するというのは、国家の大前提そのものを否定しうる発言であるわけだが、大丈夫なのかな。
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ちょっと前に「憎悪クリエイター」というのが話題になった。要するに、集団間の憎悪をわざと煽る記事を書いてPVを稼ぐという話。1996年に出版された本(翻訳の出版は2003年)を読んでたら、米国ではその手の話はかなり以前からあったことが分かったので、ちょっと紹介。
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ぼくが大学院生のころには、神田や早稲田の古本屋を1日かけて行ったり来たりしていたが、たしかに効率という観点でいえば大変によろしくない。今ならネットで欲しい本がすぐに手に入る。でも、古書店めぐりに意味がないかといえば、そうでもないんじゃないか。続
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学術的には問題外の本がヒットする一方、真摯な学術書が売れないのをみると、大変に残念な気持ちになったりするが、これはもう時間による淘汰を期待するしかないんだろうと思う。かつてのベストセラーが誰にも読まれなくなることは珍しくないし、売れなかった本が少しずつでも読み継がれることもある。
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おすすめツイートで、「社会を支配したいやつが社会学を専攻する」みたいなのが流れてきたのだが、そんなやつおらんやろ。
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いわば、表現の自由以前にその自由を行使する力をそもそも奪われている存在。だから、サバルタンという概念を否定するのであれば、表現の自由が平等に享受されていない現状を肯定し、自身を語れないのであればそんな人々は無視してよいという話になりうる。(続)
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これは確かにNHKの誤訳っぽいな。「当時の鳩山総理大臣について、『硬直化し、迷走した日本政治の象徴だ』と記す」。原文をみると「硬直化し、迷走した日本政治の象徴」というのは首相が頻繁に交代することを指していて、鳩山さん個人についての言及ではない。www3.nhk.or.jp/news/html/2020…
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そういう文脈を無視して、しょーもない敵対構造を作り出して「表現の自由」を唱えるとか、ちょっとどうかしているんじゃないか。(終)
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授業準備をしていたところ、こんな文章を読んだ。「中高年男性の友人づきあいが希薄なのは、『男性は人と繋がる時、何かの媒介、(中略)一緒にスポーツをする、ゲームをするなど、何かの物理的なきっかけを要する』ためだという指摘がある」続
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そこで男性のなかには、自分の思い通りにならない女性とのコミュニケーションが面倒くさくなってしまい、そういう負荷のないバーチャルな女性とのコミュニケーションにのみ耽溺する人がでてきたという。最初の引用部分が続くのは、その話の直後。だから、上野さんのこの論を否定するのであれば、
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な人々の大多数は犯罪に手を染めないし、富裕な層が差別思想や犯罪に加担しないなどということは全くないというのは大前提。
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正直、ツイッター上の有名人が何人も無理くりの論理で、誹謗中傷をかました某氏を擁護したり、問題を相対化しようとしているのを見ると罪が重いなあと思う。当の本人は強がってはいても、かなりしんどい状況だろうから、藁にもすがる思いでそういうのにしがみつく。
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酒井氏の記事中でも言及されている通り、難民の扱いをみても、ウクライナ難民と、中東やアフリカ、アジアから難民への対応に露骨な違いがあるのは明らか。で、こういうダブルスタンダードが放置されていると何が起きるかといえば、国際秩序が規範としての力を持ち得なくなってしまう。
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論破する/されるみたいなモードだと、間違えた情報を流すイコール敗北という感じになるので、間違いを素直に認めるのが難しくなってしまう。本当は「そこ間違えてますよ」「あ、ほんとだ、ありがとう」「いえいえ」ぐらいのコミュニケーションがいいんだろうけど。
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男性は女性に幻想を押し付けてきたわけではないとの歴史の話をするか、リアルの面倒さを避けてバーチャルに行くオタクは存在しないと主張するか、それとも上野さんの議論の前提を受け入れたうえで、女性は男性をとにかく褒め称えるべきと主張するか、ぐらいではないか。あるいは、
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@kondohi 特命チームを立ち上げてプロジェクトX風に自衛隊の大規模接種を政権の成果としてアピールしたかったのに面子が潰された形になったので、それをごまかすのに朝日と毎日だけをピックアップして、いつものウヨサヨ対立の構図に持っていき、ダメージコントロールってところじゃないですか。
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毎日新聞の掲載された酒井啓子氏のコラムが「どっちもどっち論」だと批判するツイートが流れてきた(有料記事)。ぜんぶ読んだが、これを「どっちもどっち論」だと言うのは、かなり無理があると思う。mainichi.jp/articles/20220…
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つまり、「国際秩序」というのが欧米+αにとってのご都合主義でしかないというように非西洋世界からはみえているのではないかということ。これはきわめて妥当な問題提起であって、どっちもどっち論などと矮小化するべきではないと思う。(おわり)
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オリンピックはナショナリズムを煽るという意見がある一方、むかしある先生が「戦争を始めるぐらいなら、スポーツでいがみあってエネルギーを発散する方がずっと良い」と言っていて、未だに自分のなかでは決着がつかない。
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一つは、多くの人がなんとなく感じていることと、それを明確に言語化することの間には結構な溝があるということ。いったん言語化されると、すぐにそれが当たり前の話に聞こえるようになる。でも、言語化は誰にでもできるわけではなく、かなりの時間と努力が必要だったりする。
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もしかすると、このあたりの違いがデモに対する見方に影響を与えているのかもしれない。政治的有効性感覚が低ければ、デモそのものに批判的になるのかも。ちなみに、先の違いが論じられているのは樋口直人ほか『ネット右翼とは何か』(青弓社、2019年)に所収されている論文。
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猪瀬さんに限らず、「メディアに煽られて事前には反対と言いつつ、開催されたらそれをすっかり忘れてオリンピックに熱狂する愚かな大衆」というイメージを持っている人がいるように思うのだが、世の中の人びとはもうちょっとしたたかだと思うんだけどな。
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「国をあげて盛り上がっているときに、しらけるようなことはやめておけ」という発想を「宴会同調主義」と呼んだ研究者がいたのだが(浅見克彦『批判のエロス』青弓社)、今度のオリンピックは日本社会でこの宴会同調主義がどれぐらい強いのかをみるうえでいいバロメーターになると思う。
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右に行くほど秩序や静穏を「平和」とする発想になるという。左側の「平和」は、正義の実現のためには積極的行動が必要とされるため、「平和のための戦争」にも接近しうる。他方、右側の「平和」は武力衝突のない状態を平和とするため、不正義をも見過ごすことになりうる。