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貧困や差別や暴力によって人が排除される問題を「孤独・孤立」と言い換えて「孤立している人につながりと居場所を作ってあげましょう」で済まそうとしている諸々の「対策」は控え目にいってズルいしむしろ姑息だと思う。何があっても誰であっても飢えない怯えない家がある諦めない、そのための公助が先
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生活困窮する人の支援で各制度利用申請の予約入れる時かなりの確率で「まずは相談だけでよろしいですよね」「その日は申請されないと思うので」って言われるけど、いや待って
申請するから
申請させろ
なんで申請しないとか言えるの?切羽詰まってるから連絡してるんです。この他人事感よ
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「子どもの貧困という問題に関心があります。貧困の子どもたちの力になりたいので子ども食堂やりたいです」と見学やヒアリングに来る中高生がいます。関心を持つのは悪いことではありません。ですが「関心を持てる」あなたは今どこにいるか、当事者は「関心を持つ」ことができるか、少し考えてほしい
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そしてぜひ学校の先生方も生徒たちにまずそう問いかけてほしい。総合的な探求の時間を消化して終わり、AO入試でプレゼンして終わり、自分と切り離された「社会」に関心を持って終わりにならないために。それが「探求」だと思います。
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ついでに「子どもの貧困?なら子ども食堂だ」という文脈がすでにズレているので、そこから探求してほしいです。
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なぜ「貧困状態の子」がその「恵まれた環境にいる子」の関心を満たさなければならないのですか?
来るな、ではありません。うちも含めて多くのこども食堂は全ての子たちに開かれています。なので「関心がある私」と「こども食堂に来てる子たち」を切り離さず、ただのユーザーとして来ればいいんです twitter.com/osaki_0310/sta…
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そもそも「子ども食堂に来ている子たちは貧困の子に違いない」というラベリングをしている時点で「私とは無関係な場所」と切り離しています。そしてそのラベリング自体が間違いです。それに気づき行動を修正できることこそ探求だと考えます。
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だから「差別禁止」ではなく「理解促進」になっちゃう
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「何らかの逆境にある子を他の子の学びの素材にする」ってやり口の教育は昭和から令和に至るまで当たり前に続いてるけど、そもそもの人権教育がなおざりな日本でそれをやってしまうから「マジョリティに理解してもらうための努力やふるまいを当事者に要求する」空気が醸成されてしまうんだと思う
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いいなぁ。当地含めて多くの自治体が「出て行かないで」か「戻って来てほしい」という願望を露骨に目的にした取り組みになってるけど、行っといで!と自由への背中を押してくれる「地元」の方が(私なら)ずっと好きになると思うな。戻るかどうかも自由、でも自由が尊重された記憶はずっと残るはず twitter.com/16liana_n/stat…
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「当事者の声を聞こう」と言いながら「誰が”当事者”かは私が決める」って態度の支援者・活動家がわりといるなぁと
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10代で奨学金「借りる」時に「これは奨学金ではありません。ローンです。あなたはたった今から何百万円もの借金を背負います。卒業して就職できるか不明、就職しても充分なお給料がもらえない可能性も。返せなくなっても助けはありません。これはただの借金です」って説明された人少ないんじゃないかな
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出産云々関係なく減免措置の条件(やたらめったら厳しい)を緩和すれば済む話。もちろん給付型奨学金の受給条件の緩和もセットで。それが今ここにいる子どもたちのために必要なことでしょうに
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大抵の場合「これで大学なり専門学校行けるから!」「卒業してから返済だけどだいたいみんな就職できるしきっとなんとかなるから!」とか言われたり、大人からろくな説明なくなし崩し的に借りることにならなかった?それに10代、借金のイメージなんてぼんやりしかない。それを自己責任だと私は呼べない
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むしろ「ちゃんと返せた」「借金だと理解していた」「奨学金のおかげで助かった」という人たちの存在に、大人の都合で借りることになりどうしようもなく返せなくて苦しい人たちが「ひとくくり」にされて、自己責任だと責められているのが現状ではないでしょうか twitter.com/mirokumie/stat…
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乗り越えた人たちの努力や工夫は素晴らしいけれど、その乗り越えた人たちの物語に「ひとくくり」にされることで苦しい人が現にいるのでそのひとくくりをやめませんか?子どもに借金を背負わせるという制度によって苦難に陥る人たちが存在するわけだから制度そのもの是正しませんか?ということです
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教育や児童福祉、貧困対策を「未来への投資」と表するやり方にはかねてから賛同できなかった。投資は回収が目的になる。もし期待した通りに「回収」できなかった場合(例えば税収が増えなかったなど)教育も福祉も不要ということになる。易々と乗ってはいけない文脈だと思う
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医療(精神科医療)が必要な子を「病院につなぐ」ことも仕事のひとつだけど、近年やたらと増えた「(SCや教育相談の場で)死にたいと言ってるので受診を調整してください」というオーダーにはちょいと待ってくださいって保留かけてる。その子はあなたに/私たちに「死にたい」って言ってくれたんです→
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まず私たちが汲まなきゃ、です。もちろん自傷が深刻だったり他の症状・行動がある場合なんかは速やかに「つなぐ」が必要だったりするから丁寧な評価はマスト。でも「死にたい?なら病院に行こうか」と直結させるのは、その子がやっと伝えてくれた死にたいという言葉をたらい回しにするだけです
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それは子どもからの信頼を捨てる仕草です。それにその子が「死にたい(くらいしんどい)」理由は今・ここの現場、つまり学校や家庭にあるわけで、それは医療にかかったからって解決するわけじゃない。私たちにできることがもっとあるはず
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そもそも相談するってむちゃくちゃ難しい。どんなに困ってても、困ってるからこそ難しい。困りごとには恥のスティグマがある。それを資格と学歴のある立派(に見える)な人に打ち明けるなんて簡単にできない。相談しようと思っても直前で引き返したくなる。むしろドタキャンしたくなる心情が自然かと
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誰かを「信じる」って「この人は過ちを犯すはずがない」「私を裏切るはずがない」という期待や信念ではなくて、「この人が過ちを犯す/私を裏切る時はきっと事情があって苦しんでるんだろう」と想像できること、そしてその時私はその人を見捨てないし支え続けるだろうと「信じる」ことなんだと思う
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加害的で差別的な言動(セクハラ/ルッキズム/家父長制/パワハラetc.)に苦しむ子どもたちは、加害そのものに加えてそれを見過ごす大人、自分たちを守らない大人、そして理解があるふうな大人からの「辛いの分かるけど適応しないと生きてけないから上手にやり過ごそうね」的なメッセージに苦しんでます
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自身が直接加害されなくても「大人が加害を見逃した」光景が加害になる。適応を促す前に加害を止めること。そのためには、適応を促され続けた私たち大人は「何が加害か」のアンテナが鈍ってるかもしれないことを知った方がいい。知らないと磨けない。
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・不機嫌でコントロールする(けど子どもの不機嫌は許さない)
・取引する(〇〇してほしいなら/してほしくないなら××しなさい/するな)
明白な加害はない、なんなら子どもに「良いこと」してる、けど子どもが家(親)を苦しがって心身に深刻なダメージがある時、かなりの割合で親がこれをやってる