異次元異次元って転生チート能力もののラノベ読みすぎか。今この世界に生きている生身の子どもたちを見て声を聴いてください。そして「対策」が必要なのは「不登校」に対してではなく学校です。学校復帰を目標にしないには賛成ですがそれだけでは公教育の意義が消滅します asahi.com/articles/ASR1J…
黙食が批判されてるけど「黙食がいい」ってぽそっと呟いてくれる子がちらほらいます。決められた班で向かい合って食べるのが苦しい子たち。そういう子は以前から潜在的にいたはず。私自身もそうだったから。それが「食事は向かい合って楽しく食べるのがよい」という大人のジャッジで黙殺されてきた
コロナでは「向き合わず黙って食べるのが正しい」という逆のジャッジに振れた。それがまた逆に振り戻されようとしてる。いずれにせよ、子どもの声は聴かれてない いじめや嫌がらせを受けてる 集団がしんどい 人の目がつらいetc. そういう子たちは決して「少数派」ではないよ。ただ声が届かないだけで
一定のルールは必要。でもそれは「黙食は良くない」という大人のジャッジによってのみ決められてはならないと思う。    マスクも同じ。黙ってひとりで食べる方がいい、マスクしてると安心する。コロナ禍でそれまで正しい・良いとされてきた世の中軸が逆に振れて、そういった子たちにとって
「好きな人と食べてください。ひとりでもいいです」だとそれはそれだ歪みが出るから(私もそうだった。班の給食も辛いしたまにあった「好きな人と自由に」も辛かった。どこにも入れないのが辛かったし、ひとりがいいのに「ひとりは惨め」な空気の中で可哀想な子扱いされるの辛かった)
「前よりマシ」になった。もちろんマスク苦しい黙食つらいって子もいる。ポストコロナにおける一定のルールは必要でも、どうか「黙食は良くない・正しくない」という一方的なジャッジでルール設定しないでほしい。それは「班になって向き合っておしゃべりつらい」子たちの存在をまた見えなくしてしまう
「是非を論じる」のではなく、子どもたちの声を聴きながら子どもたちの見ているものを見ながら、それぞれの場所や時間軸での最善を一緒に見つけていってほしい。そして揺れ幅を許容してほしい。是が非かの問いではないはずだから。
スマホゲーム批判と繋がる文脈で、コグトレや「愛着障害は愛情不足」や親学など科学の面を被って子の行動や子育てをジャッジ・コントロールしようとするイデオロギーが教育や子ども支援現場に蔓延っています。関連する各学会にはぜひともメスを入れていただきたい
>>スマホを使用すること、新聞を読まないことによって発達障害「的」な児童が増えると主張していますが、これは、科学的エビデンスに基づかない記述です。エビデンスに基づいた政策立案と運用が求められる行政府が、このような非科学的な主張をすることは断じてあってはいけません twitter.com/jssba_org/stat…
「能力を引き出す」なんて余計なお世話なので当たり前の権利を保障し差別撤廃と格差是正に取り組んでください 子ども関連政策は少子化対策という大人のニードから切り離し子どもの権利擁護を軸にお願いします 子育て支援はどう産ませるかでなく育てやすさを実現してください   取り急ぎ以上です twitter.com/kishida230/sta…
こどもがまんなかだったのに「家庭」が出てきてこどもをはじっこに追いやるの、ほんと「こども家庭庁らしい」って思いました。名称決定のプロセスそのものですね。「まんなか」じゃないじゃん twitter.com/KodomoKatei/st…
産休育休中は学ぶことを求められ、出産後はワンオペで、でも離婚したらひとりで子どもを育てて生きることが難しい(子育て中の女性が就ける仕事少ない給料少ない)世の中で、そこに放り込まれるシングルマザー限定出会い系アプリ。地獄。
子を産みなさい社会に貢献しなさい犠牲になりなさい自立しなさい。そう追い詰めて力と選択肢を奪いつつ「シングルマザーと交際したい欲求を持つ男性」とマッチングさせる。非常にグロテスクな芯が通っていると思います。
「差別禁止は分断を生む」誰かを排除することで特権を享受してきたこの方たちにとっては正直な感想なのでしょう。不当に偏って分配されるパイの大きさを正すのが差別禁止です。排除によって結束する権威を解体するのだから、あなたたちにとっては分断かもしれない。でも sankei.com/article/202302…
世の中は既に排除と差別によって分断されています。その分断が見えないこと、見ようとせずとも生きられることがまさに特権です。
誰かを見て「ズルい」と言う子がいたら、その子自身がその場にいることや自分の扱われ方に何らかの苦痛や不満や違和を感じてるかもしれない。「ズルい」と言う子を叱ることも、「ズルいと言う子がいるから」を理由に他の誰かを我慢させることも、どちらも子どもの苦しみを放置、抑圧することになります
いらんがな。お願いだから「こども」家庭庁の仕事をしておくれ。まず、今ここに生きている子どもたちのためにお金を使っておくれ。   >>こども家庭庁が結婚も支援…全国に「コンシェルジュ」、新婚家庭の家賃・引っ越し補助制度拡充 news.livedoor.com/article/detail…
今読んでる鴻巣友季子さんの著書『文学は予言する』にあるディストピア三原則のひとつ「国民の婚姻・生殖・子育てへの介入」を思い出す。生殖を前提として婚姻に介入しながら緊急避妊薬へのアクセスは制限し性教育をアップデートせず望まない妊娠をする未成年含む女性、その結果生まれる子は守らない
いくら当事者の友だちがいても、身内に当事者がいても、なんなら当事者でも差別します。「私は差別をしない」とは誰にも言えないし、その言葉は何の証明にもならない。だから法と制度によって差別という行動を禁じる、個人の「気持ち」を超えて人権を守ることが必要
「私は差別をしません」と言う人が増えても世の中から差別はなくならない。「私は差別をしてしまう」からその行動を抑制する手立てが生まれる。これ、学校の人権教育にまるっと欠けてる要素なんだよね
これ内閣官房が音頭を取ってる孤独・孤立対策官民連携プランの一部なんだけど「日本型食生活の普及・啓発などの食育の取り組みへの支援強化」がどうやったら孤立対策になるのかさっぱり理解できない。これに5億…
他にも「それじゃない」感すごい 住宅確保要配慮者への入居相談や見守り→公営住宅増やして入居要件緩和しない? フードバンクによるこども食堂への食品提供拡充→給食費無料化しない?子育て中の家庭に直接食料品届けるとかどう? 生活困窮者支援するNPO支援→それもいいけどまず直接給付じゃない?
どんな体型でも美しい ありのままの自然なあなたが素敵 そう思うこと、思えることは素晴らしいんだけど、そもそも「他人の容姿や体型をジャッジするな、口出しするな」なんだよね。どんなも美しいもありのままも自然も素敵も「あなたのジャッジ」に過ぎないのだから
だからわざわざ言わなくていい。言うとしても「相手はこの言葉を望んでるな」という確証の持てる相手と場所に限った方がいい。で、そういう関係性や場所を築くために容姿や体型の話題は必要なかったりする
「貧困の子どもたちのために子ども食堂増やしましょう」と同じくらい姑息。同じ政府がやってるんだからそうなるのは当然の帰結かもしれないけど。どうあっても当事者に直接届くお金の流れは作りたくないらしい