もちろん女→男の加害もある。男→男も、女→女も。「被害に遭わない」教育は「加害しない」教育でもある。「何がいけないか」の軸は同じだから。でも男→女の加害が圧倒的多数な現状なのに女の子サイドへの教育の熱量が男の子サイドへのそれを上回ってる不均衡はなんとかならんものかな、ということ
夜7時まで遊んでいたその子には家に居づらい、安全でない、ひとりぼっち等の事情があるのかもしれません。ガツンと叱れば公園という逃げ場所を失うことになるかもしれません。もし見かけたら「どうしたの」と声かけ、あるいは警察等に「相談」をお願いしたいです。それが教育であり福祉だと思います twitter.com/senseiwakame/s…
黙食が批判されてるけど「黙食がいい」ってぽそっと呟いてくれる子がちらほらいます。決められた班で向かい合って食べるのが苦しい子たち。そういう子は以前から潜在的にいたはず。私自身もそうだったから。それが「食事は向かい合って楽しく食べるのがよい」という大人のジャッジで黙殺されてきた
娘氏はお菓子作りが得意で料理もそれなりにする。今日も色々作ってくれたのでつい「あなたと付き合える人は幸せだね」と言ったら「誰かと付き合ったからって私が料理を引き受けるわけじゃないしもしママが相手を男性だって想定してるなら私が将来一緒に暮らす相手は男性とは限らないよ」と即カウンター
今までろくに関心を向けてこなかった事柄に対して、その事柄に「無関係でいられる特権」を持つ人が、突然「そのやり方じゃ理解されませんよ」「アップデートしましょう」と言い出す。そうやって当事者の、現場の声が軽んじられ捻じ曲げられ続けてるんですよ
まるで箱庭を眺めていじるかのように「貢献したい」と言う、その立ち位置はいつか必ず揺らいで崩れるし、それはたぶん早い方がいい。だから私なりに、ちゃんと答える→
何にも怯えず一人暮らしができて好きな服装ができて夜を歩けて遊べる世の中がはやく当たり前になってほしい。それが実現しないから、私たちは女の子に「自衛」を教え続ける。それが必要だから。危機感があるから。でも被害に遭うことへの危機感と加害することへの危機感は、まだ釣り合ってないと思う
ボランティアや「社会貢献」活動は必ずしも「社会(構造)を変える」こととイコールではないし、ともすると不均衡な構造を温存することにもなる。そのことを説明する。それが例え彼らが求める答えでなくても→
多様性の象徴という役割を、私たち「外国にルーツのある存在」に求めないでほしい。多様性は、その軸そのものが多様。容姿や肌の色という要素が「わかりやすい」からといって利用しないで。だって私たちの多くはこれまで散々「多様なバックグラウンド」を理由に疎外され誤解を受けてきたんですよ
もちろんそれ以外にもいろんなアクションがある。でもまず投票。それが誰にでもできる、いちばん大切なアクション。軽んじては絶対にダメ。
保健室って学校の中のクリニックだと思うの。だから「授業に戻らないと単位やばいよ」とか「休んでばかりだと勉強遅れちゃうよ」とか、そういうの要らないんです。病院で「通院なんかして仕事大丈夫ですか?」「病院に来たら出世に響きますよ」って言われたら苦しいですよね。要らないんです。
「こども食堂を増やせば貧困問題は解決されると思うか?」とも問う。返事に詰まる。   こども食堂と「子どもの貧困」を紐付けしてしまうのはメディア(と、子ども食堂で運営者のファンドレイジング戦略)によるミスリード仕方ないのかもしれない。でも「社会」と自分自身を切り離して→
だから怒ることにした。叩かれたら叩き返すことにした。でもその繰り返しを経験したことのない人は「いくら怒っているからといってそこまで言わなくても」「相手も悪いけど叩き返したら相手と同じ」と思うかもしれない。うん、私もそう思ってた。そうして叩かれ続けてきたんだよ。
防御に徹すればより強く殴られる。でも無視をすれば「対話に応じないのか」と冷笑される。反撃すれば「分断に加担するのか」と責められる。でもその「分断」って、まず誰が作ったの? 泥試合を不快だと思える人が羨ましい。でもそんな「お気持ち」なんて知ったこっちゃない。だから私はわきまえない。
貧困問題に関心があります メンタルヘルスをテーマに起業したいんです 大学入試でこども食堂についてプレゼンしたいです そんな学生さんたちが日々連絡をくれる。彼らと話したその数時間後、私は貧困のど真ん中にいて虐待を受け学校との繋がりが絶たれ「将来を選べる」機会から程遠い子たちを訪ねる
約束を守らない、容姿をからかう、人前で貶める、勝手に私物を捨てる、嘘をつく、無断でプライバシーを他者に晒す、他人には絶対にやらないことを「親子だから」で許されると思ってる。それは支配。「親子だから」で許されると思ってる「よくある子育てトラブル」も、ニュースになるような虐待も、
例えば「社会貢献って何?」と問うと「こども食堂やりたいです」という答えが返ってくる。そんな子はすごく多い。「なぜ?」と問う。「子どもの貧困が深刻だからです」と答える。「あなたは?あなたも子どもだよね。あなたの目からはどう見えるの?」と問う。返事はない→
構造的に差別/搾取されている側が抵抗する時に権威を持つ側を脅かさない・怒らせない・不快にさせない物言いを当然のように要求されるの、ほんとしんどい。穏やかに「やめてください」と99回言っても通じなければ100回目にはブチギレる。でも権威側には最後の1回しか聞こえず「やりすぎ」と責められる
この地域には「大学に進学する」という選択肢がほとんど生まれながらに人生から除外されている子たちがいる。たくさんいる。親含め身内に大卒者がいない、身近に大学もない、周りの大人と同じように高校(時に中卒)で働くことが既定路線。大学という存在は知ってても、自分の選択に紐付けできない→
子どもに「将来の夢」を書かせたり言わせるの、子どもにとって何か良い影響があると思えない。限られた知ってる職業の枠に可能性を押し込める必要ない。せめて「将来の夢」として特定の職業を書かせるのはやめてほしい。私ら生きるために仕事してるんであって、仕事するために生きてるわけじゃないよ
不登校の子に「別室でいいよ!週1回からでいいよ!放課後でもいいよ!家庭訪問するよ!文通からでも!」って選択肢を並べると、かえって追い詰めてしまうことがある。選択肢があっても辛くて怖い気持ちは消えない。そして「選択肢があるのに選べない、期待に答えられない自分」がますます苦しくなる。
産休育休中は学ぶことを求められ、出産後はワンオペで、でも離婚したらひとりで子どもを育てて生きることが難しい(子育て中の女性が就ける仕事少ない給料少ない)世の中で、そこに放り込まれるシングルマザー限定出会い系アプリ。地獄。
貧困は思考し判断し対話するエネルギーを奪う。そして貧困だからこそ「モノが無い・買えない」ことを強く恐れる。貧困故に「子どもに惨めな思いをさせたくない」と願い、子どもの要求にNOと言えなくなってしまう。「子どもの期待に応えられない自分」を不甲斐なく感じ、その葛藤から逃れるために→
「人を支援する」界隈での性加害がぽつぽつと表面化してる。「人を支援する立場なのにどうして」と思われるかもだけど、誰かの人生に関与することは他者をコントロールしたいという欲求のスイッチになる。「人のため」は権力。支援と支配は合わせ鏡。対人支援職はむしろ加害リスクの高い層かもしれない
子どもにモノを買い与えてしまう。 「けしからん貧者」の内側には、貧困故の複雑な葛藤がある。ここに書いたのはただの一例。だから「けしからん」ように見えても、その怒りや嘲りを文字にする前に、一寸「私には分からない何かがあるのかもしれないな」と指を止めてみてほしい。