ネトフリ版新聞記者を一緒に観てる娘氏16歳。「政治ってどうせ全部上が決めるんでしょ?上が決めたって平和ならよくない?」というのが「若者の声」として描かれていることについて。「これって年配の人たちの考えだよね。勝手に若者像作って自分たちが延命させたものの責任を私らになすりつけないで」
むすめ氏が高校からもらってきたお便り。「新学期なんて怖くない!高校での友達の作り方」と題した記事の中に「話しかけられる努力をする」「キャラがわからない子が一番からみにくい」とあって高校生のリアル生きづらさに震えてる。こんなん書かれたら余計に新学期怖くなるよなぁ
こども食堂は社会的孤立という課題における制度の「隙間の居場所」です。サードプレイスとしての意義はありますが貧困対策ではありません。貧困対策にしてはいけません。私たちへの支援を「子どもの貧困対策やってる風」の宣伝材料にしないでください。ひとりのこども食堂運営者からのお願いです twitter.com/kishida230/sta…
小学生からダイエットして中学生で整形したいと訴える。「自分は醜い」「醜いから消えたい」と言葉を振り絞る子たちに「あなたはかわいいよ」と言うのはたとえ本心でもなんか違う。かわいいか・かわいくないかという軸を肯定してることになるから。「見た目なんて関係ないよ」なんてのも違う→
10代で奨学金「借りる」時に「これは奨学金ではありません。ローンです。あなたはたった今から何百万円もの借金を背負います。卒業して就職できるか不明、就職しても充分なお給料がもらえない可能性も。返せなくなっても助けはありません。これはただの借金です」って説明された人少ないんじゃないかな
大学に入って学食でひとりでごはんを食べて、周りにもひとりで食べてる人がいて、すごく安心したのを覚えてる。小学校や中学校の給食班も、週に1回設定されてた「好きなグループで食べる」も、高校の誰かと食べてなきゃ「おかしい」空気も、苦手で辛かったから。ひとりでいいんだって、安心した
性的同意について少しずつだけれど学校の性教育の中で触れられるようになってきた。けれど学校では「嫌だけど嫌と言わせない」がありふれてる。日常的に様々な場面で「嫌だけど嫌と言わせない」を生徒たちに強いておきながら性に関することだけ「同意を大切に」と言っても、難しいよね
容姿や体型にまつわること 性差によるステレオタイプなジャッジ 相手を「いじる」こと   それらができなくなると「何も言えなくなる」と思うなら、それは「社会が窮屈になった」のではなく、「あなたの世界がそもそも狭かった」のだと思う。誰かの痛みの上に築いた狭い王国で横暴に振る舞っていただけ
まだこんなことやってるの?貧困対策に必要なのは「やさしさ」ではなく国家予算です。そして貧困対策はこども食堂や学習支援団体の役割ではなく行政の仕事です。 twitter.com/asahi/status/1…
なんというか。アーティストの性犯罪にまつわる同様の事案と展開は多々あったけれど、久しぶりに、すごく久しぶりに、というか初めてなくらい、関係者によるとても真っ当で優しくて「逃げ」の一切ない説明を読んだ気がする。私はアクタージュ大大ファンだったけれど、その想いを弔ってもらえた気がする twitter.com/uszksr/status/…
何度か言ってるけど「子どもの貧困」って言い方そろそろやめたい。子どもはひとりで貧困になれない。それは親の貧困であり大人の貧困。「子どもの貧困」という独立した問題があるかのような言い方をすると「子どもを応援すれば子どもは自力で貧困から抜け出せる」って誤認が広まる。子どもの責任になる
もしもし生活保護担当の中の人。就職しろ仕事しろ自立しろって言っておきながら、頑張って仕事始めた人に突然「来週○日家庭訪問するから空けておくように」って一方的な手紙送りつけるのおかしくない?仕事休まなあかんよ?その時間の時給なくなるよ?せめてシフト確認してから日程決めませんか?
そうすると、彼らは尋ねてくれる。貧困や格差をなくすために私たちに何ができますかと。答えはいつも同じ。 「18歳になったら、必ず選挙に行きましょう」
「分断を許さない」「対立をやめよう」って、ぜひ分断や対立という構造を生み出している側に向かって大きな声で言ってください。分断も対立も、権威が生み出した構造です。それに抗う人たちに向かって「やめよう」と言うのは、「黙れ、服従しろ」と同義です。
どうぞ好きに来て好きにお話してみてください。もしお話しや歌が子どもたちの興味を引いたら、聴いてくれると思いますよ」というようなお返事をするのだけど、皆さんそこで「あ、じゃあいいです」と辞退する。 大人の命令や指示がないと聴いてもらえる自信がないものを、子どもたちが聴くわけないよ。
「困った時に助けてくれる人」とのつながりは大切だけど「困った時に助けてもらうためにつながりをつくる」のは苦しかったり、時に自分の中の何かが損なわれてしまったりする。つながりなくても困らない、なんとかなる、生きていける、その土台がほしい。それが福祉のはず
「日本に人種差別はない」と言う人に出会うたび、「ガイジン」「バイキン」「日本から出て行け」と言われ学校でいじめられたかつての私が「いじめられたのはお前に何か非があるからだ」と言われているような気がして、胸がひどく痛む。今でも。
ありがとう、の言葉が自分を助ける。笑顔が自分を助ける。努力が、自分を助ける。それはひとつの事実。否定はしない。でも「困窮しハンデを負うほどに努力や感謝の姿勢を要求される」という不均衡については、どう頑張っても筋の通る理由を捻り出せない。今もまだ。
むすめ氏が高校の面談で「学校を休まないようにしっかり体調を管理しなさい」と言われたそうなのだが、体調を管理するために時に学校を休む必要が生じるんですよとしか。
「はい」 「株式会社〇〇の〜〜と申します。電気料金がお安くなるプランのご案内でございます。奥様でいらっしゃいますか?」 「いえ世帯主です」 「…世帯主が奥様でいらっしゃいますか?」 「いえただの世帯主です」 「…奥様が世帯主?」 戸建て住宅の世帯主と女性が結びつかないバグ発生した模様
不登校児の親さんに「学校来ちゃえば大丈夫なんです。だから来させてください」って言う教師多いけど、学校で「大丈夫」に見えても行くまでに泣いて身体あちこち痛くなって落ち込んで眠れなくて、帰ったら疲れ切って何もできなくてイライラしてって、「学校で大丈夫」の代償が大きすぎるんだよね
炎天下でマスクつけた子どもに妖怪の絵を描かせる学校も、それを批判的に報じられないメディアも、どっちも終わってる。 twitter.com/nhk_news/statu…
その子たちの切実な痛みを軽んじることになるから。何も言えなくなる、難しい。ただ私たち大人にできることは、普段から容姿についての言及を避けること。自己批判(自虐)も含めて。自虐は他罰になるから。容姿や体型以外にも、子どもたちと共有できる話題はたくさんある。そっちを膨らませていきたい
「もし何かの被害に遭っても、どんな状況で何を着ていてお酒を飲んでたとしてもあなたは全く悪くない、悪いのは加害する方、だからすぐ相談や通報して。もし誰かに言うのが怖かったり相談先がわからない時は、とりあえず私に連絡して」とも伝えてる。シェルターや食堂を卒業する女の子たちにも、娘にも
zoom会議で「逆境乗り越えて活躍する物語の危うさ」について話してるのを横で聞いてた娘氏「みんな逆境を乗り越えて活躍する物語好きだけど、逆転話が人気なのはレアだからだよね。ありふれてたら人気出ない。そのレアケースを一般化しちゃって今苦しんでる人たちを追い詰めるの、相当身勝手だと思う」