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KANを大衆迎合的な応援歌の作り手だと思っているひとは、彼の自分史的な名曲「めずらしい人生」のなかの一節に震撼するがいい。<すばらしい人生/今うたをうたってる/そして多くの人々が泣き笑う/めずらしい人生/そんな多くの人を/裏切らないとぼくの明日はないのも知っている>
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「愛は勝つ」を「それが大事」と一緒にされてはひじょうに困るし、さらにKANの音楽的才能に敬意を抱く者の一人として言わせてもらうが、「愛は勝つ」のイメージが先行しすぎたためにKANのあまたある名曲の数々が本来聴かれるべきひとたちに聴かれていない状況は日本のポップシーン最大の不幸である。
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橋下氏は、政治について云々するなら(少なくとも一度は)政治家にならなきゃいかん、と本気で考えているふしがある。学者や評論家を「気楽な稼業」などと嘲るのもつまりはそういうことなのだろう。「発言する資格があるのは実行者だけ」というこの選民思想はとても危険だ。 twitter.com/TomoMachi/stat…
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文藝別冊『大杉漣』校了しました。来月発売です。詳細はまた後日。 kawade.co.jp/np/isbn/978430…
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山口敬之氏もそうだが、「首相に直接話せる」ジャーナリストが「敏腕」「最強」とみなされる国家は、その時点でジャーナリズムが正しく機能していないということである。 president.jp/articles/-/349…
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松井大阪市長の性差別発言を指摘した記者はえらい、というかこれがあたりまえの姿勢になってくれなければ困る。たとえば麻生太郎のように他人を侮辱することで悦に入っている人間の話をハイハイと頷いて聞いていてはいけない。
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その結果、一人の評論家がある政治的振舞い(たとえば政権批判)を公にしたとして、それはそのひとの評論とまったく関係がないはずはなく、むしろ、主体的な表現としての「作品」に「私」はどう対峙するか、という、評論といういとなみの根源の部分にかかわる意思表明にほかなるまい。
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作品の評価と政治性の評価は必ずしも一致するとはかぎらないが、その二つを明確に峻別できるとする考え方は、僕には映画のみならず、あらゆる芸術を軽んじているように思えてならない。さらに踏み込めば、社会的存在としての「私」を埒外に置いておこなわれる映画評論とやらも僕は信用しない。
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観客はともかく映画評論家が、大林宣彦監督の映画について「尾道三部作、せつなくていいですよね」で済ませたり、宮崎駿監督の映画について「あのシーン、すごい迫力でしたね」で済ませたりしてはいけないと思う。映画を語ることは政治を語ることであり、政治を語ることは映画を語ることにつながる。
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映画評論家は政権批判でなく映画を評論しなさい、というツイートを目にしたが、映画評論もして政権批判もすればよいだけのこと。映画も映画評論もジャーナリズムなのだから。
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怒りをもって伝えなければ伝わらないことが、確実に、ある。ヒューマニストといわれた黒澤明の映画の根底には、つねに強烈な怒りが渦巻いていた。大林宣彦監督の遺作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』もまた、わたしたちに「正気で怒る」ことのたいせつさを教える。怒ろう。そして正気でいよう。
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『時をかける少女』における高柳良一の「棒読み演技」を指摘するひとは多いが、実際には高柳はヴォイス・トレーナーの指導のもと、わざわざ「棒読み」の訓練をさせられたうえで演じていたことは意外と知られていない。 twitter.com/torusano1124/s…
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「いろいろな人がいる」からこそ「補償しない」のではなく「補償する」と考えるのが普通ではないですか。このホステスさんが言う「本当に困っている方」のなかには「本当に困っているホステスさん」も入ると思います。 twitter.com/arimoto_kaori/…
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なんと、志村けんは四谷のイメージフォーラムにまで足を運んでいたのか。「アーキビストとしての志村けん」で本一冊つくれると思う。 blog.seven-chances.tokyo/entry/2020/04/…
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もしいま淀川長治が生きていたら、その「事実誤認」を糾弾されたかもしれない。伝道師的なイメージが先行するあまり誤解されがちだが、淀川さんの批評はかなりの頻度で実際の映画と食い違っている。間違いだらけと言ってもよい。しかし急いで付け加えればそれは間違いでありながら間違いではないのだ。
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「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」と「志村けんのだいじょうぶだぁ」は、サイレント喜劇からジェリー・ルイス、ザッカー兄弟ら同時代のコメディ、カートゥーン、スプラッター、日本の時代劇やホームドラマ、R&Bやラテンといった音楽の布教にいたるまで、趣味性が炸裂した壮大な実験場だった。
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子どもの頃から接してきた創作物に差別的・抑圧的な表現が内在していることをなぜ簡単に認められないのかというと、それを問い直すことは個人の人格や価値観が形成されていった過程、つまり「なぜ私が私になったのか」を問い直すことに等しいからである。
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有本氏の誘導の仕方もひどいが、高橋洋一は本当に最低な人間だと思った(山本太郎は二度とこんな人間を重用しないでほしい)。ご機嫌取りだか知らないけれど、この話題を笑って盛り上げようとする居島一平の神経も理解しがたい。 twitter.com/takedasatetsu/…
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良心の呵責に耐えかねて命を絶たれた方を「実行犯」呼ばわりし、能力がないくせに無理をするから追い込まれるのだと言って大笑い。地獄に落ちるぞ。 youtube.com/watch?v=kNkNzT…
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相澤冬樹記者の功績は、森友問題の本質から目をそらせるために一役買ってきたメディアや御用言論人の悪質さを浮かび上がらせたところにもあるのだが、さんざんお先棒を担いできた連中が、今頃なにくわぬ顔で「真相を明らかにしなければなりません」などとコメントしているさまは実に醜悪である。
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「森友問題は朝日と野党がつくりだした冤罪」などと主張していた小川榮太郎氏や青山繁晴氏には言論人としての責任を厳しく問う必要があると思う。
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ひょっとしてもなにも僕は『新聞記者』に対しても批判的なのだが……映画の評価を左右対立の図式に当てはめることじたい本当にバカバカしい。 twitter.com/jda1BekUDve1cc…
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ところで、件の記事では「著名人からの絶賛コメント」の一部が紹介されているが、こうしたコメントは初めから宣伝活動の一環であり、先行試写への招待という「依頼」を通じて引き出されるものであることは知っておく必要がある。
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折角なので、今回の産経の取材に対して返信した内容を以下にアップしました。ここでも僕は、映画の評価が政治的対立にのみ落とし込まれる危険性を考慮し、慎重に問題点を指摘したつもりです。 note.com/torusano1124/n…
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産経の記事によると、『Fukushima 50』の原作者である門田隆将氏は、この評価を評者の政治的主張の表れであるかのように受け止めておられるようですが、僕が評のなかで「(この作品は)動揺や怒りや対立を呼びおこす」と書いたのは、まさにこうした言説が出てくることを危惧したためでした。