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ひろしまタイムラインの件、朝鮮人に対する差別感情と自尊心の崩壊、これまで見下してきた対象から復讐されるのではないかという不安が理不尽な恐怖心に収斂していた当時の人たちにはありがちな感情の吐露なのかもしれないが、そういう「前提」を欠いた状態でツイートが拡散されてしまうのは恐ろしい。
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ひろしまタイムラインの件、はだしのゲンにも描いてあるじゃないかという人がいるが、それこそはだしのゲンが「何を描いているか」を見ない擁護である。例えば、いじめに遭っていたゲンを気遣って声をかけた朴さんに対し、朝鮮人と一緒にいると馬鹿にされるからやめてくれ、というゲンが描かれていた。
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また、朴さんが中岡家に訪れた時にも、ゲンは当時の子供たちがそうしていたのと同じようにおどけながら朝鮮人を見下すセリフを吐き、父から叱責される。要するに、はだしのゲンの中には、当時から朝鮮人を差別し、迫害し、見下してきた「普通の」日本人の姿、日本の加害性が描かれていたのである。
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戦後まもなく、日本人に対し横柄な態度をとる朝鮮人が一部にいたということを描くにあたって、日本の加害性を描いた上でそれを描くか、日本の加害性には触れずに描くかでは全く違う。はだしのゲンの作者は少なくとも、そうした歴史的な前提を読者に共有させた上で描いている点を見過ごしてはならない。
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ひろしまタイムラインの一件は、日本社会が日本の加害性について公教育等で教えることを避け、差別の存在を「なかったこと」にしてきたことの結果なのだと思う。自分たちの加害性に無自覚なまま、朝鮮人に狼藉された、という被害者意識だけを抱いたシュン少年は、現在を生きる我々の鏡像に他ならない。
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安倍晋三の健康不安説については、健康不安を打ち消して求心力の低下を防ぎたいものの、病苦の中でも職責を全うする安倍というヒロイズムを喧伝しつつ、持病を抱えた人間を批判するな労われ働かせすぎるな的な批判封じにもつなげたいというご都合主義的な臭気が不快でつい鼻をつまんでしまう。
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同性カップルを婚姻制度から排除しているのは他ならぬ政府であるのに、制度から排除されているから実態把握はしなくていいというのも、随分と循環した論理ではないだろうか。確実に存在するものを、あたかも存在しないかのようにネグレクトするのも、差別の一形態だろう。 this.kiji.is/67083304889499…
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なぜ、ゴミのような不合理な校則が存在するのかといえば、それはおそらくは、ゴミのようなクソくだらない規則を金科玉条のごとくに守るような、権威に対して従順かつ依存的な精神を涵養するためなのである。
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小泉純一郎が辞めたからといって、富裕層優遇で格差を拡大させ、労働者から収奪し自己責任論で弱者をバッシングする新自由主義はなくなっただろうか。安倍晋三が辞めたからといって、何も変わりはしない。今のままではあいかわらず、富める者はより富み、貧しい者がより貧しくなる社会は続くだけだ。
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安倍晋三が辞任しようが、こうした問題が有耶無耶にされたままでは、次の権力にも公文書廃棄などの隠蔽スキームが引き継がれていくだろう。あまりにも長すぎたこの政権が残した負の遺産の一つが、官僚組織を「嘘をつく者だけが出世する組織」にしてしまったことだと思う。 mainichi.jp/articles/20200…
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安倍晋三が病気を理由に辞任するニュースが流れて以降、病気に優しい(というか、病気の安倍晋三を絶対に批判してはいけない)空気を醸成しようとする人たちがいる。そして、彼らはまた、不摂生な奴らの医療費を健康なおれたちが払うのはアホらしい、と主張する麻生太郎に同調してきた人たちでもある。
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「後世、歴史が評価する」にあたって必要な行政文書を廃棄、改竄することが常態化した政府では、歴史の検証に耐えることすら難しくなる。後世の評価に耐えうる資料を残すという未来への責任を果たさず、公訴時効を迎えた逃げ切れたラッキー的な政治がまかり通ってきたのが、安倍政権の最大の罪である。 twitter.com/Akira_Amari/st…
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「権力者も権力者である前に一人の人間である」という論理と、「お辞めになる」だの「辞任されるご判断」だのといった敬語表現が自然と身について出てしまうワイドショーの話法との間には深くて暗い川がある。
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まずはお疲れさまというべき、などという奇妙な言説がでてくるのも、権力(権力者)に対する距離感が狂っているのだと思う。お疲れさま、などという言葉は、彼の側近や家族、親族がプライベートにかけてやるべき言葉であって、パブリックな言葉として、市民一人一人に要請されるような言葉ではない。
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「権力者である前に一人の人間だ」言説が同時多発的に噴出しているが、現実には、私たちの社会では、権力の側にいる人間だけが、一人の人間としての尊重を受けているのである?貧しい者や持たざる者、差別される者や不可視化されたマイノリティは、「一人の人間」としての尊重を受けることがない。
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近年の水害の際に、ダムのお陰で被害が食い止められた、ダムで沈んだ村に感謝しよう、という奇妙な言説を見たが、こうした「感謝」は、自分たちを含む都市の人間が村落をダムに沈めた側であることを隠蔽し、自分たちの加害性を薄め、後ろめたさを消去する。英霊に感謝、なる言葉もこの近縁種である。
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また、アベノマスク配布という施策に対する批判に対して、まずはアベノマスクを配達する郵便局員に感謝すべき、といった反論があったこともあった。権力に対する怒りや不満の感情を鎮め、呑み込ませるためには、まずは「感謝」の感情を持つことを要求するのが手っ取り早い、というわけである。
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「感謝」はしばしば政治的に要請され、利用される。たぶん我々は「感謝」に絆されやすい心理的傾向を有している。従業員から搾取する時の奇貨として、「ありがとう」を利用する企業もあった。そして、次は、疑惑を晴らすことなく辞任する最高権力者に対する「感謝」を、我々は要求されているのだ。
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我々が7年超の長期政権を通して身につけたのは、「批判からは何も生まれない」的な箴言調の言葉を呟きつつ、何かに反対する人たちの態度を冷笑しつつ、「どうせ変わらないこと」「押し切られること」を確認し、予言者にでもなったかのような薄ら甘い恍惚に身を委ねるような振る舞いではなかったか。 twitter.com/kinkuma0327/st…
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消費税の害悪の一つは、「税は悪いもの」という意識を広く広げたことだと思う。税は本来、所得の再分配を行い格差を是正するものであり、社会正義を実現するための手段の一つであるはずだ。そうした大義は富裕層優遇税制により薄められ、福祉給付は削減され、税は悪いものという観念は一層広がった。
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私の考えでは、そもそも自助だの共助だのは、国が口を出すべきことではないんですよ。少なくとも自助は個人の生き方、考え方に属するものであり、こんなふうに自助しろ、自助とはこういうものだ、みたいなことをお上から言われる筋合いはないんですよ、「自」助なんだから。
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権力への従順さ、忖度といった権威主義的態度と、礼儀だの感じの良さだのを求める日常的なマナーみたいなものが結合した先に、「臣民」の完成があるのですね。「失礼」「感じ悪い」みたいな批判は、それこそ麻生太郎みたいな傲慢な人間にこそぶつけるべきだと思いますけどね。 news.livedoor.com/article/detail…
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「自助、共助、公助」ではなく「公助、共助、自助」の順番で行うのが正しい、というのは当たり前の話なんですよね。まず自助だ、などといって借金を重ね、病気になっても金 共助の医療保険も使わず、最後に公助が入ったときには借金苦と病苦で貧困が困難化している、みたいなことにならないためにも。
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自助の励行って、結局は格差の固定化だと思いますよ。自助を禁止しろ、みたいな過激なことまで言うつもりはありませんが、自助ができる人間だけがスタートダッシュの圧倒的な速さだけでトップを走り続ける社会にしてはならない、という前提も、仮にも政治を志すような人間には必要だと思います。
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記事の最後、新井さんは「若者に迎合している」と批判していますが、その後に出てくる「行軍」に対する見方の違いの話は、今回の企画(そして、最近の「戦争」に対するアプローチ)に通底する思想に対する違和感の表明なのだと思う。重要な発言だと思うので、引用します。
asahi.com/articles/ASN95…