じこぼう(@kinkuma0327)さんの人気ツイート(新しい順)

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ネット論客に顕著な冷笑仕草の根幹には、「間違いたくない」という精神性もあると思う。「座り込みの辞書的意味」みたいなものには正解を求めたがるが、何が正解かわからない問題では、それを問う人たちをこれ見よがしに冷笑する側に回る。そうすることで、少なくとも「間違えない」自我を担保できる。 twitter.com/kinkuma0327/st…
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冷笑家というのは案外傷つきやすい性質の人間で、まじめに何かを主張して周囲から批判されたり孤立したりするのが怖い、という気持ちがあって、後からそれはネタだから、本気でないからという留保をつけていないと不安で、つい諧謔的態度をとってしまうような凡庸な精神性から発するのだと思っている。
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ネットの論客が冷笑混じりに「リベラル批判」することがやめられない理由はよくわかります。取巻きがイイねボタンを連打してくれるし、中立な立場で物を言っているアピールもできるし、反論に対しては、批判的意見を認められないリベラルは多様性がない、みたいなことをいってヘラヘラしてられるから。
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これが、結局何をやっても、どんな抗議方法を選択しても、パフォーマンスと嘲笑って無視し続けるサイレントマジョリティの最も醜悪なサンプルの一例です。相手の犠牲の上に成り立つ利益だけは享受しつつ、こういう醜悪なことをし続けているのが私たちだ、という認識は持ちたいものですね。 twitter.com/umi_tweet/stat…
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座り込みから住民投票まで。どんな「やり方」をしても、抗議の声は無視され続けるし、無視をしているのは他ならぬ我々本土の人間です。そのことを忘れて、「座り込みのカジュアル化」だの「やり方が悪い」だのといってられる「やり方評論家」の精神が批判されている、ということがなぜ分からないのか。
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辺野古の座り込みを「方法が悪い」的に嘲笑う言説が蔓延っているが、最も分かりやすい住民投票という方法により沖縄の住民が本土に対して意思表示をしたときですら、政府も我々本土も無視したのですよね。結局、抗議する側がどんな方法を採ろうが無視し、冷笑するサイレントマジョリティの問題ですよ。
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ひろゆきの行動で辺野古問題に関心が向けられた、というのは虚偽です。彼は我々が真剣に考えるべき沖縄の犠牲という問題を、「座り込みの辞書的意味」などというクソどうでもいい問題にすり替えたのです。ひろゆきは我々に、「考えることを放棄させようとしている」のです。 sponichi.co.jp/entertainment/…
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ひろゆき如きに本気で対応したり、正面から接したりしたところで、こちらが払った「誠実さ」に対するコストが無駄になるだけだし、「24時間いなければ座り込みじゃないってあなたの感想ですよねぇ」「うそをうそと見抜けない人は辞書を使うのも難しいですねぇ」などといってニヤニヤしておけばいい。
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海に落ちたミサイルに色めきだち、落下ではなく着弾といえだの、敵基地攻撃だ反撃だだの、宣戦布告だ戦争だだのと喚いている連中を見ていると、いずれコロナも物価高も五輪汚職も「国葬」も統一教会問題も、あらゆるものを吹っ飛ばしてくれる「戦争」への欲動が止まらなくなる未来が見えるようで怖い。
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臨時国会を前に、ミサイルが飛んできてるのに統一教会問題なんかやってる場合かの大合唱を始めよ、と打ち鳴らされるアラート。
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「五輪」も「国葬」 も、茂木健一郎は必要かつ重要と思ったから、わざわざ言論で「支持」を表明したのではないのか。それを、事が終わり、批判的な検証が行われる段になって突然、そんなこと大したことじゃない、みたいな冷笑の表情に仮面をすげ替えるその芸風には、控えめにいって反吐が出ます。
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そういえば茂木健一郎氏は、五輪の裏金問題についても、もう終わったことだ、みたいなことをいっていました。五輪が開催される前は五輪開催を国家の重大事として称揚し、河瀬直美の記録映画を観て感動し、東京五輪を「失われた時」にするな、みたいなことを言っていたのにね… daily.co.jp/gossip/2022/09…
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「国葬」とやらをぶち上げるときは、岸田首相の決定を支持するだの、外交的な意味合いが…だのといってその意義を強調しておきながら、終わった後は、「国葬」なんて1%以下の重みしかないなら議論などいらない、みたいなことを言い放てる二枚舌が私にも欲しい。 twitter.com/kenichiromogi/…
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一方、今、介護保険が1割負担の低所得者層は、2割負担になったらサービス利用を控えることになる。ケアプラン作成に自己負担を導入されれば尚更だ。「親の面倒は子が見るべき」という保守派の価値観が制度化されれば、貧しい親を持つ子が家族ケアラーとして「家」に縛り付けられることになる。
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高齢者の中にも、親の面倒は子(あるいは子の妻)が看るべきだ、という価値観の人間はたくさんいる。そういう自民党的保守的な家族観を持った高齢者にしてみれば、介護保険の2割負担化などは痛くも痒くもない(さらに、その人たちは現段階でも収入があるから、そもそも負担増にならない人たちだ)。
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介護保険にしても後期高齢者医療保険にしても、政府は今後、あらゆる方途を用いて「高齢者/現役世代(若者)」という図式を煽り、高齢者の負担増を画策してくるだろう。ここでくれぐれも肝銘すべきなのは、政府与党の政治家の大半は「親の面倒は子が見るべき」という家族観を持っているということだ。
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もはや、政治権力にモラルを求める者は少なくなり、かわりに政治「批判」にこそモラルが求められる時代である。「モラル」という言葉のイメージそのものが、「お行儀のよさ」だとか「作法」だとか言った意味に差し替えられたからだ。そして、政治や権力への反抗は「お行儀が悪い」行為とされたわけだ。
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権力者や強者には「法を犯さなければ何をやってもいい」という倫理を適用しつつ、権力を批判する者や社会的弱者に対しては、「多数者や権力者の気分を不愉快にしないよう、お行儀よく世を渡る作法」という奇妙な倫理的態度が要請される。要請される倫理のレベルが、完全に逆転しているように思う。
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権力者は公正を疑われる行為はすべきではないし、公費を支出する以上は説明責任を果たすべきだし、嘘を言ったり文書データを隠蔽改竄してはいけないといった高次の倫理はまるで理解できないくせに、お葬式に反対するなんていけないことですぅ、なんていう倫理だけは高々と振りかざすカマキリだらけだ。
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好きな政治家ではないが、例えば法的根拠のない「国葬」は欠席したが、個人的交流もあったので増上寺での葬儀には参加したという前原誠司のような態度は、私は誠実だと思う。少なくとも、公私の分別がついている。ここぞとばかりにエモ全開に振り切る玉木雄一郎の小賢しさよりは、よほど成熟している。
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エモーションに依拠した統治が、当たり前に幅を利かせているのが日本の現状だろう。憲法改正もきっと「エモい」感じで進められるだろうし、なんなら核武装だって戦争だって、「エモい」感じで進められていくだろう。大衆と権力が醸し出す「エモさ」の前に、言語による批判は無力となるのである。
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立憲主義も三権分立も説明責任も、およそ権力を保持する側が守ってしかるべきリーガルなタテマエはことごとく放棄しつつ、死んだ人を貶めるな、厳粛に静かに追悼しろ、みたいなエモーショナルなタテマエだけは轟然と主張して憚らないのだから、確かにそれは厚かましいくらいに「エモい」のである。
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菅義偉の弔辞を「エモい」と評した芸能人の発言は、ある意味で正しい表現だと思う。国会での真摯な答弁やメディアの批判への丁寧な応対といった言語によるコミュニケーションを軽視し、感情(エモーション)に直接訴求するコミュニケーション方法を重視してきたのが安倍晋三であり、菅義偉であった。
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行政データは改竄するわ、行政文書は隠蔽するわ、事実に対して1ミクロンも誠実さを見せることなく、やりたい放題にやってきた上に、最後は「国葬」とやらまででっち上げて、「安倍晋三は素晴らしい政治家だった」などという真っ赤な虚偽を広めようとする。ある意味、彼らしい「最期」ではある。
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「国葬」などという愚かしい茶番劇が終わっても、これで全てが終わるわけではない。それどころか、むしろこれは茶番の始まりである。「国葬をされるくらいなのだから、安倍晋三は立派な政治家だった」というマッチポンプ的虚偽を強行しようという茶番中の茶番が、もうすでに同時進行で始まっている。