nikov(@vh7fiap)さんの人気ツイート(いいね順)

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今回のパンデミックで、いかに医療、福祉、教育、保育、公衆衛生等、人々の生活を支える事業に、公的財源を正しく使わないといけないかが明白になったと思う。保健師や医療職が疲弊し離職休職に追い込まれ、教員に感染対策を丸投げし、福祉施設がリスクを抱え、保健所が公衆衛生を守れない事態は異常。
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何回かつぶやいてるけど、娘が生まれるとき、周りの20代〜30代女性に父親との関係をリサーチしたんですよ。そしたら、大人になっても父親と関係がよい人は、かなりの確率で父母の仲が良い。女性陣いわく、自分のことをいくら可愛がっても、自分の母親(妻)をないがしろにする父親は信用できない、と。
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前職幼稚園教諭の派遣女性がきて、だらだら働く男性を褒めそやしたら、業績があがったって話、優秀な社員(この場合、派遣女性)のリソースが、非効率で無能な社員(この場合、働かない男性)に割かれるという、立場の弱い人のケア労働が軽視され搾取される社会の縮図って感じで、笑えない話だと思う。
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脳みそ疲れてるときとか、アドレナリン出まくってテンションハイなときとか、メンタルやられて鬱っぽいときとか、とにかく脳みそが正常じゃないときは、「大事なことは今決めない」って結構大事だと思う。多くの場合、後悔する。
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いつも100%で頑張ってると、それが当たり前になって、次は120%求められる。120%頑張ってるとそれが当たり前になって、できないと評価が下がる。60%ぐらいの頑張りで、120%頑張ってるように見せるスキルって、長い人生生き抜くのに重要だと思う。誰にも教えてもらえないことだけど。
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意見が違うことと、敵対することは違う。子どものころから「自分はあなたとは意見は違う、でもあなたを尊重する。じゃあこれからどうしようか」という姿勢と議論の方法を学ぶ機会があったらいいなと思う。大人が、意見が違うとねじ伏せるか殴りつける姿を見せてたら、子どもはそれを学習すると思う。
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妊娠中、一日家事も何もできなくて横たわっていたら、仕事から帰ってきた夫に、「一日何してたの?」って言われて、罪悪感で辛いっていう妊婦さんの話に、ベテラン保健師さんが、「何してたの?って聞かれたら、お腹で子ども育ててた」って胸張って答えたらいいって言ってた。
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対人援助の現場って、得てして「強い人」か、「鈍い人」が生き残りやすい性質がたしかにあって、人の気持ちに寄り添い、共感性が高く、感受性が豊かな人ほど、バーンアウトしてしまう傾向はあると思う。それを防ぐには、ちゃんと組織が個人を守る、育てる仕組みが必要だと思う。個の力では限界がある。
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嫌な人に遭遇したとき、反撃する、相手より嫌な人になる、我慢する、逃げる、選択肢は色々あると思うんだけど、いい人ほど反撃したり嫌な人間になるのは自責感が生まれてしまうから「我慢する」を選択しがちになる。我慢の限界で、声をあげたら、「そんなに怒らなくても」と言われることさえある。
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自分の気持ちを言葉にする作業ってすごく大事なんだけど、言葉にするということは、自分の気持ちに向き合わないといけなくなるわけで、その作業ってすごくしんどい。安心できる環境と、信頼できる人と、向き合えるまでの時間が揃わないと難しい。言語化することでさらに傷ついてしまう可能性もある。
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感染爆発している中で、オリパラ強行し、PCR検査を優先的にまわし、東京マラソンまで開催している中で、子どもたちは、給食は黙食、遠足や修学旅行、行事は延期や中止、たくさん我慢させられてきた子どもたちは、いまの大人の背中や政治をどんなふうに見ているのだろうと暗澹たる気持ちになる。
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子育てに限界が来てる人に必要なことって、まず1番に子どもと離れて休養休息できる環境なのは明白なのだけど、もっと大事なことは、「子どもと離れて休む」ことに、罪悪感自責感を覚えさせないことだと思う。家族にしても社会にしても。
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心を病まないために、ポジティブな生き方が推奨されがちだけど、「ポジティブ」と「無神経」の境目って曖昧だし紙一重な気がする。
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日本では「たった一人で反対したら、袋叩きにされるかもしれない」から、「なんか変だな」と思っても声をあげられない。たった一人の「なんか変だな」が社会に反映されたら、みんなが生きやすい社会になるかもしれないのに。
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子どもを肯定するというのは、子どもの存在そのものを認める、尊重する、できていることや挑戦しようとしていることを褒める、大人が手を貸したり環境を整えればできるようになることは、大人が手助けしたり、方法を教えたりする。その繰り返しの中で、子どもは自分自身が肯定されている感覚を育てる。
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罰としてのトイレ掃除の是非はともかくとして。
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学校って本来失敗する練習をするところで、失敗してもやり直せる、助けてもらったらなんとかなる経験を、学童期で積み重ねておくと、大人になってから、失敗しても簡単には折れなくなるように思う。ただ、どうしてもいまの日本の教育体制や人員配置だと、失敗させない教育が優先されているように思う。
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社会に出たら、よくコミュニケーション能力というものを求められるけど、自分からコミュニケーションをとっていく力と同じぐらい、「わざわざ言わなくてもいいことを言わない判断力」というのも、結構大事ではないかと思う。
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慕われている、信頼されている「おじさん」は、自分が踏み込んで欲しくないラインを守ってくれる。この人と話していて、自分は何も脅かされない、プライベートなことに不当に踏み込まれない、雑に扱われたり、茶化されたりしないと思わせる何かがある。まぁもちろんおじさんに限らずなんだけど。
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メンタル回復には、「ストレス源から離れる」が一番有効なのだけど、同居家族や身近な人に、「支配」されていて、かつ逃げる先がない、もしくは逃げる選択肢を取るだけのパワーが当事者にない場合、最もストレス源である他者に取り込まれるほうを選択してしまうこともある。
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想像でしかないけど、ウィルスミスは自分が平手打ちすることが悪いことも、その結果を自分が引き受けなければいけないこともわかった上で、差別や侮辱に対する怒りの表明をしたのではないかと思う。暴力はもちろん否定されるべき。今回の件は、尊厳を守るためなら暴力をしてもいいとイコールではない。
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疲労がたまると、雑音や周辺の話し言葉が耳から脳みそに刺さってしんどい。わかってくれる人いるかな。
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ぼーっとする、休憩する、寝る、疲れをとる、無駄な時間を過ごす、意味のないことにエネルギーを割くなど、本来、自分のこころとからだを回復させるはずの行動が苦手なタイプの人っていて、何故か自責的になったり罪悪感に襲われたりする。常に生産的な行動をしないといけないという呪いが漠然とある。
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「自分はもうおじさんだ」という言葉は、自己卑下でも、何かの免罪符にしたいわけでもなく、「自分の気づかないところで、相手を脅かす距離に踏み込んでしまっているかもしれない。それを指摘してくれる人がいない可能性がある」という自覚をもったおじさんでありたいという意思表明(?)です。
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西松屋の障害児向けの服の話、なぜ、自分が直接損したり不利益をこうむったりしないのに、誰かが配慮されたり生きやすくなるのを無遠慮に批判するのかって考えると、現代社会の「誰かが生きやすくなることはずるいと感じる」ことの根深さを思う。