初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(古い順)

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芥川龍之介は、もし生まれ変わるとするならば「もう少し、頭が良くて、肉体が丈夫で、男振りが好い人間に生まれかはりたい」と語っています。肉体はよいとしても、残りの二つは「それは贅沢ですよ、芥川先生」と言いたくなりますね。
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文章を書く時に、読点(、)をどこに打つか迷うことも多いと思いますが、あまり悩まなくてもよいのかもしれません。芥川龍之介でさえ「読点はいかにうつべきか、といふ法則がないので、これが一ばん困りますね」と言っていますから。
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伊藤整は「鏡花を読みこなせなければ明治は分らなくなり、明治という時代の中に封じ込められた人間の生命が分らなくなる。やがて鏡花を読むために辞典が作られるような時があっても、鏡花が忘れられる時はないであろう」と。明治150年の今こそ、本格的な「鏡花を読むための辞典」がほしいものです。
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今日は泉鏡花の命日です。戒名は佐藤春夫が「妙文院水月鏡花居士」と「幻妙院鏡花日彩居士」の2案を作成。徳田秋聲が前者を「聊か通俗」と評し、後者になりかけたものの、日蓮宗では女性の戒名に用いる「妙」を男性には使わないと指摘され、「幽幻院鏡花日彩居士」に。最も鏡花に相応しい戒名ですね。
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谷崎潤一郎は北原白秋の雑誌追悼号で、「もう十年、氏を盲目の世界に生かして置いたら、どんな境地まで進展したであらうかと思つて、それを限りなく惜しむのみである」と語っています。追悼文としてユニークなこと他に比類なく、さすがは「春琴抄」の作者としか言いようがありません。
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梶井基次郎について、萩原朔太郎は「稀れに見る真の本質的文学者であつた」、横光利一は「静といふものをこれほど見極めて描いた作家は、まだ日本に一人もゐなかつたと思ふ」、川端康成は「その文業は不滅の輝き」と語っています。夭折が惜しまれる小説家は数多くあれど、樋口一葉と双璧でしょう。
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室生犀星は、いつも牛乳を飲むと「愛情を溶かしたものではなからうか」と感じ、「牛乳ほど愛情のこまやかな飲料は古今に稀であらう」と書いています。母乳の話ではありませんが、生後すぐに実母から引き離された犀星の悲しみを連想してしまうのは、思い込みが強すぎるでしょうか。
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三島由紀夫は谷崎潤一郎を「内心は王者をも挫ぐ気位を持つてゐたらうが、終生、下町風の腰の低さを持つてゐた人」と評し、三島が席に忘れたコートを、追いかけて渡してくれたことを回想。「文士の世界では、どんなヒヨッコでも一応、表向きは一国一城の主として扱へ」というモラルを教わったそうです。
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島崎藤村と北原白秋。『思ひ出』によれば、白秋は実家の火災の折「泥にまみれ表紙もちぎれて風の吹くままにヒラヒラと顫へてゐた紫色の若菜集をしみじみと目に涙を溜めて何時までも何時までも凝視めてゐた」そうです。時に詩王16歳。後に憧れの人藤村と会う日が来るとは、思ってもいなかったでしょう。
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坂口安吾と中原中也は酒場の同じ女給を好きになり、安吾によれば彼女は彼に好意を抱き、それを知った中也は「ヤイ、アンゴと叫んで、私にとびかゝつた」そうです。ところがこれが切っ掛けで二人は親密な中に。安吾は「彼は娘に惚れてゐたのではなく、私と友達になりたがつてゐた」と。本当でしょうか?
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芥川龍之介は室生犀星について、「僕を僕とも思はずして、『ほら、芥川龍之介、もう好い加減に猿股をはきかへなさい』とか、『そのステツキはよしなさい』とか、入らざる世話を焼く男」だが、「僕には室生の苦手なる議論を吹つかける妙計あり」と書いています。「僕を僕とも思はずして」がいいですね。
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志賀直哉と三島由紀夫が『斜陽』の敬語の使い方を批判したのは有名ですが、ドナルド・キーン氏は、外国語訳で読めばその「欠点」は消えてしまうから、二人も最後まで読んでくれたかもしれないと書いています。もっとも、三島は太宰治の「自己憐愍」を嫌い、太宰文学の英訳に猛反対したそうです。
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谷崎潤一郎は弟精二と絶縁状態にあった時、彼の妻の告別式に参列し、手紙の往復が復活しました。「他人でも、兄弟でも、喧嘩をしたらまづ目上の方から折れて出るものです。君もよく覚えておきなさい。」精二の早稲田大学での上司吉江喬松の言葉です。喧嘩の理由にもよるけれど、よい言葉だと思います。
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国木田独歩が島崎藤村に付けたあだ名はイソギンチャク。どうしてかは知りません。本人が聞いたら嬉しくないと思いますが、悪気はなかったようです。ちなみに、柳田国男によれば「国木田君は好く言へば無造作、悪く言へば無茶な男だつた」とのこと。「無造作」は決して褒め言葉ではないのですが・・・。
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三好達治『測量船』の梶井基次郎宛署名本。散逸した彼の旧蔵書の流転を、傷み具合が象徴しています。三好は刊行の翌月、病気療養中の梶井を見舞っているので、その時に手渡したのかもしれません。死の床にあった梶井は、自分の名前も出てくる親友の処女詩集を、どのような思いで読んだのでしょうか。
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梶井基次郎を見舞った三好達治は余命いくばくもないことを悟り、淀野隆三らと小説集の出版に奔走。彼らの友情により、梶井は生前に自著を手にすることができました。そして、その『檸檬』は「君の本が出る。永久の本、確かにこれは永久に滅びない本だ」と三好が語った通り、昭和の古典となったのです。
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夏目漱石は、卒論の口述試験が不出来だった森田草平に「口述試験に惨憺たるものは君のみにあらず」「試験官たる小生が受験者とならば矢張りサンタンたるのみ」「多数の人は逆境に立てば皆サンタンたるものだ」と書いています。落ち込んでいる時にこんな手紙を先生から貰ったら、泣いてしまいそうです。
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三島由紀夫は「何がきらひと云つて、私は酒席で乱れる人間ほどきらひなものはない」と書いています。三島が中原中也と酒を飲んだら、間違いなく大嫌いになっていたでしょう。ちなみに酒席で中也に絡まれ、三島にもその文学が嫌いだと言われた気の毒な作家は太宰治。それでも太宰は酒が好きでした。
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大笑いする谷崎潤一郎。文豪に恐縮ではありますが、可愛いですね。
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太宰治の第一小説集『晩年』の献呈署名識語入り初版本です。処女単行本を「唯一の遺著になるだらう」と考え『晩年』と名付けた太宰は、多くの献呈本に毒を含んだ言葉を添えて寄贈。先輩でも遠慮はありませんでした。どの言葉も太宰らしく、何冊でも欲しくなります。ちなみに新居宛はアンカット本です。
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「梶井君が、一人の三好達治君を親友に持つて居たことは、同君のために生涯の幸福だつた。」「梶井君は三好君に対してのみ、一切の純情性を捧げて、娘が母に対するやうに甘つたれて居た。おそらくあの不幸な孤独の男は、一人の三好君にのみ、魂の秘密の隠れ家を見付けたものであらう。」by 萩原朔太郎
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芥川龍之介が死の少し前に出席した日露芸術家座談会の写真です(前列右から2人目)。遅れて加わった芥川は一度も発言せず、話を振られても答えませんでした(画像2枚目)。末尾の手記(画像3枚目)を読んでも、既に精神をかなり病んでいることが窺えます。
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「若いころの室生君はおもしろかったよ、浅草の草津という料亭に僕を招いてくれた時のことだが、その席に侍った太っちょのロシア女の肌を見て、『君、君、君の肌は昆虫の羽のようだね、僕に触らせてくれませんか』などと大袈裟な物の言い方をするんだよ。」OKが出たかは存じません。「僕」は白秋です。
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芥川龍之介の3回忌法要の写真。遺族に寄り添うかのような菊池寛の姿が印象的です。掲げられた遺影は、書斎での有名な写真でしょうか。
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川端康成は、ある人物の作品を鑑賞し「私は遂に恐るべきものを見た。現代の日本に我々と共に生ける天才を見た」と絶賛しました。芥川龍之介?太宰治?三島由紀夫?違います。正宗白鳥です。もっとも「白鳥氏は邪神の眼鏡をかけてゐる。天才の業と云ふ外はない」そうだから、何だかよくわかりません。