初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(古い順)

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恋愛小説に対する批判は昔からあったようですが、泉鏡花は「恋愛小説を陳腐だと云つて攻撃する者がありますが、地球の形だつて何時も円いではありませぬか」と反論しました。さすがは鏡花小史、「地球の形」を例に挙げるとはスケールが違います。
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芥川龍之介「僕の佐藤春夫評は当てにならん、概して佐藤の書いたものを悪かつたと思つたことは稀だからな。」田山花袋「そんなに好いですか。」芥川「ちよつと気持ちが贔屓なのですね、だから公平な判断は外の人から聞いた方が好いかも知れない。」これを読んだ春夫は、さぞかし嬉しかったでしょうね。
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泉鏡花は森鷗外への追悼文の冒頭で、「先生と言はなければならないのでせうけれど、私には唯一人、紅葉先生がありますから、これは笑つて御免下さい、未だ嘗て誰方をも先生と呼んだことはありません」と断り、以後「森さん」「鷗外さん」で通しています。こういう鏡花がたまらなく好きです。
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「金色夜叉」の新聞連載を愛読していた若い女性が死に際し、続きを墓に手向けてと遺言。それを泉鏡花から聞いた尾崎紅葉は「あゝ、然ういふのは、作者の守り神といつていゝな。疎かに思ふなよ、お前なぞも」と教えました。「七たび生れかはつて文章を大成せむ。」鏡花が伝える紅葉の臨終の言葉です。
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武者小路実篤は「夏目さんを一番敬愛」し、大学では学科が違うのに漱石の講義を2回聴講しました。『白樺』創刊号の「『それから』に就て」を褒める漱石の手紙に大喜びした実篤は、志賀直哉に電話をかけ、文面を読み聞かせたそうです。ちなみに漱石宅に電話が付いたのは2年後。さすがは実篤であります。
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リクエストにお応えして、谷崎潤一郎愛用のバスローブを初公開します。来歴がはっきりしており、真贋の問題はありません。サテンのような生地で、本来ナイトガウンではないかと思いますが、天才のやることはわからないです。画竜点睛を欠くのは洗濯してあること。DNAの採取は不可能でしょう。
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谷崎潤一郎は芥川龍之介の依頼により、『新小説』臨時増刊「天才泉鏡花」に「二月堂の夕」を寄稿。芥川によれば、鏡花は自分から谷崎に頼みづらかったそうです。それほど親密ではなかったし、自分の特集号だったこともあるのでしょう。後に鏡花は谷崎の娘の媒酌人を務め、借りを返した形になりました。
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太宰治は「いちばん高級な読書の仕方」を「鷗外でもジツドでも尾崎一雄でも、素直に読んで、さうして分相応にたのしみ、読み終へたら涼しげに古本屋へ持つて行き、こんどは涙香の死美人と交換して来て、また、心ときめかせて読みふける」と語っています。「涼しげに古本屋へ持つて行き」がいいですね。
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武者小路実篤は夏目漱石と親しく交流していましたが、あることを契機に疎遠に。しかし漱石死去の報に「本当にがつかりした」実篤は、滅多に行かない葬式に参列しました。「僕は今でも夏目さんのことを思ふと、何となく愛されてゐたような温い気持ちを受ける。」実篤らしい、漱石没後23年目の言葉です。
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萩原朔太郎は谷崎潤一郎の妹(末)とそれとなく見合いをしたものの、その先に進みませんでした。佐藤春夫によれば、朔太郎は「ドイツの少女のやうな趣は悪くなかつたが、何しろあまりに潤一郎と似てゐるのがいやであつた」そうです。確かに子どもの頃の写真ですが、面差しが谷崎に似ている気がします。
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坂口安吾が語る永井荷風。「荷風の部屋へ行くと惨憺たるものださうだ。二ケ月くらゐ掃除をしてをらんのだ。それでずゐぶん散らかつてゐる中に住んでゐて、部屋がない、部屋がないといつて、部屋を探しに歩いてゐるさうだ。さういふのは趣味だと思ふね。」荷風も安吾にだけは言われたくないでしょうね。
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泉鏡花と志賀直哉が一度だけ将棋をした時、駒を並べて始めようとしたら、飛車と飛車、角と角が向き合っていました。志賀が遠慮がちに注意すると、鏡花は慌てて置き直しましたが、実は間違って置いていたのは志賀の方でした。二人ともへぼ将棋だったのかもしれませんね。ちなみに勝ったのは鏡花です。
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太宰治・坂口安吾・織田作之助の3人は、織田が亡くなる2か月前に対談しています。その最初の話題が「小股のきれあがつた女」。「小股といふのはどこにあるのだ?」という安吾の問いに、太宰は「アキレス腱さ」と答えています。今はほとんど使われない表現ですが、興味のある方は調べてみてください。
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第2位 萩原朔太郎『月に吠える』無削除版 ネットで「月に吠える、無削除版」を検索したら、近代文学専門ではない仙台の古本屋の目録がヒット。安すぎるけれども注文すると、確かに本物でした。しかもカバー欠なのに完璧な極美本。近代詩書の横綱が出会いを待っていてくれました。#私が掘り出した初版本
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志賀直哉が若い頃に夏目漱石の小説を愛読したことは有名ですが、泉鏡花の小説にも熱中する時期がありました。志賀は「自分が実母を失つた経験から鏡花の亡き母親を憶ふ物語には心を惹かれた」と回想しています。鏡花が母を亡くしたのは9歳の時でした。名はすゞ。奇しくも生涯を共にした妻と同名です。
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第1位 石川啄木『一握の砂』署名本 ヤフオクで商品説明に「見返し紙が表紙の裏に貼付」とあったためか、格安で落札。剥がしたら憲政の神様尾崎行雄宛献呈本でした。啄木の署名本は超稀で、『一握の砂』は3冊のみ現存を確認。署名が姿を見せた瞬間の感動と興奮は忘れられません。#私が掘り出した初版本
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太宰治・坂口安吾・織田作之助の対談より(「どんな女がいいか」) 太宰「おれは乞食女と恋愛したい。」 安吾「ウン。さういふのも考へられるね。」 織田「もう何でもいいといふことになるね。」 これが無頼派らしい会話なのかはよくわかりませんが、志賀直哉が読んだら不快感を催すのは確実でしょう。
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泉鏡花によれば、小説を初めて褒めてくれたのは樋口一葉で、作品は「夜行巡査」でした。人づてに「近頃にない大変面白いと思つて読みましたつて、お夏さんが賞めてましたよ」と言われ、「半分夢中で聞いた位、其時、嬉しかつたの何んの」と回想しています。「何んの」に実感がこもっていて可愛いです。
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泉鏡花は日本でラジオ放送が始まった大正14年に出演しています。鏡花曰く「どうもあの器械の前に立つと、声が吸ひとられて了ふようでうまくゆかぬ、やつぱり腹から声を出さず、咽喉から声を出すのでいかんらしい。」この時の写真を見ると少し緊張しているようですね。残念ながら音声は残っていません。
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夏目漱石が "Ⅰ love you."を「月が綺麗ですね。」と訳した根拠となる資料は未発見ですが、松山中学の教師時代に「睾丸」の英語を生徒に聞かれ、即答したことは教え子が証言しています。ちなみに、漱石は学生時代に野球をやってボールを取り損ね、睾丸に当てて頻りに「痛い、痛い!」と叫んだそうです。
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@asahisan0101 素晴らしい発見ですね!リツイートさせていただいても、よろしいでしょうか?「いいね」が沢山付いてしまいますが。ご迷惑であれば、ご放念ください。ちなみに下編の背の絵柄は「魚」です。
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芥川龍之介は「創作を書き出す前は、甚だ愉快ではない。便秘してゐる様な不快さである」と語っています。お上品ではありませんが、これほどわかりやすい譬えもないでしょうね。ちなみに一年では冬から春にかけての季節、一日では午前が最も創作気分に合っているそうです。
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伊藤左千夫『野菊の墓』の初版本(明治39年、俳書堂)です。発表当時、左千夫は無名でしたが、流石に具眼の士である夏目漱石は絶賛しました。初版は日本近代文学館が復刻原本を探すのに苦労したほど極稀。しかも破損・褪色しやすい装丁です。恐らくこれが現存する最善本でしょう。
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川端康成は「日本の小説は源氏にはじまって西鶴に飛び、西鶴から秋聲に飛ぶ」と語りました。前段は菊池寛の言葉の引用で、後段が川端のオリジナル。秋聲をいかに高く評価していたかわかります。ちなみに「西鶴から」を受ける作家として、川端はもう一人の候補者を挙げています。谷崎潤一郎です。