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今日は宮沢賢治の誕生日です。紫式部が亡くなってから千年近く経ちますが、千年後、もし日本や世界が滅亡していなければ、近代文学の代表とされている作家は誰なのでしょうか。漱石?谷崎?芥川?太宰?三島?もちろん正解を知ることはできませんが、賢治は最有力候補の一人だと思います。
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高齢の初版本コレクターがお亡くなりになって、遺言により処分を任されました。本には1冊ずつ購入した金額を書いたメモが挟まっていて、それを見た遺族の期待値はマックスまで高まり、先日は相続税の心配を。「今の売却価格の相場は買値の十分の一以下です」とはとても言い出せない雰囲気でした。
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谷崎潤一郎の命日にあたり、彼の言葉をいくつか紹介しましょう。谷崎の心の奥底が垣間見られる気がします。
「たとへ神に見放されても私は私自身を信じる」
「我といふ 人の心は たゞひとり われより外に 知る人はなし」
「僕は親子兄弟と云ふ血縁の関係にある者に対しても打ち解ける事が出来ない」
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さいたま文学館特別展「永井荷風」関連イベント「対談&ビンゴ大会<初版本>」(10月16日14時、無料)のお知らせ
山中剛史さんと初版本に関するお話をします。ビンゴ大会は参加者全員に文豪の初版本(署名本も)をプレゼント。申込は電話(048-789-1515)で今日から8月31日まで。定員を超えた場合は抽選です。
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今日は芥川龍之介の命日「河童忌」です。芥川は解剖されておらず、死因は永遠の謎。多量の睡眠薬の服用説が一般的ですが、衰弱した彼に飲むことができたのか。だが青酸カリ説は入手経路の問題があり(諸説あるも実証不可能)、夫人の証言とも矛盾します。ちなみに芥川の死亡診断書は見つかっていません。
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今日は芥川龍之介の命日です。今年の東京は、桜桃忌も河童忌も晴天となりました。ちなみに昭和2年7月24日も日曜日でした。 twitter.com/signbonbon/sta…
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芥川龍之介の家の手伝いをしていた森梅子によれば、芥川は死の前日の7月23日、「三年ぶり」という客2人と自宅で夕食を共にしたそうです(10時半頃帰る)。芥川が酒を飲み「大変元気にお話し遊ばされ」たという2人は名乗り出ておらず、いまだに特定できません。最後の晩餐での会話の内容が気になります。
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芥川龍之介の若手研究者のフォロワーさんが素晴らしい仕事をされました。「漱石や芥川、太宰などは研究され尽くしている」などという言葉がいかに妄言であるか明らかです。
芥川龍之介の取材手帳を復元 1921年、大阪毎日新聞の特派員時代 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20220…
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「森林太郎って誰ですか?」という記者の質問に学芸員は一瞬絶句したものの、「鷗外の原稿の多くは本名で書かれています。また永井荷風は鴎外全集ではなく森林太郎全集にしたかったそうです」と。見事な回答ですが、彼は荷風を知っていたのでしょうか。ちなみに彼の新聞に記事は掲載されませんでした。 twitter.com/signbonbon/sta…
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記者会見に参加した知人によると、今日の最大のサプライズは『渋江抽斎』の原稿の出現ではなく、「森林太郎って誰ですか?」と囲み取材で学芸員に質問をした新聞記者がいたことだったそうです。 twitter.com/signbonbon/sta…
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文豪 森鴎外の直筆原稿の一部 新たに見つかる | NHK www3.nhk.or.jp/news/html/2022…
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森鷗外「渋江抽斎」自筆原稿の一部見つかる sankei.com/article/202207… @Sankei_newsより
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明日の夕方、近代文学に関する重大発見のニュースが各メディアで流れるので、関心のある方はどうぞお楽しみに。
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今日は森鷗外の命日、鷗外忌です。芥川龍之介は夏目漱石を敬慕し、太宰治は芥川を敬愛していましたが、二人とも鷗外に対する尊敬の念はそれに劣らないものでした。他人への評価が厳しい永井荷風・日夏耿之介も鷗外信奉者。没後100年という節目の年に、この大文豪にもっと光が当たることを望みます。
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谷崎潤一郎は泉鏡花の文学を「しばしば異常な物や事柄が扱はれているにも拘はらず、そこには何等病的な感じがない。それは時として神秘で、怪奇で、縹渺としてはゐるけれども、本質に於いて、明るく、花やかで、優美で、天真爛漫でさへある」、そしてその世界は純粋に「日本的」だと。全く同感です。
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太宰治の墓前にいます(お供え物は『桜桃』初版本)。桜桃忌に来たのは久しぶりですが、日曜日ということもあってか既に混雑。もちろん、向かいにある没後100年の森鷗外の墓にも手を合わせました。尊敬する鷗外を喧騒に巻き込んで、太宰は恐縮しているでしょう。#桜桃忌
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芥川龍之介は小学生の時、「可愛いと思ふもの」と「美しいと思ふもの」を「象」と「雲」と答えたら、「雲などはどこが美しい?象も唯大きいばかりぢやないか」と先生が×印が付けました。正解がない問題こそ、教師は子供の自由な発想を否定しないでほしいものです。先生は忘れても、子供は覚えています。