バイト先の先輩に一目惚れをした。関わる機会は少ないけれど。「あの子、今週でバイトやめるよ」店長からそう聞いて、思いきって告白した。「ごめん。てか、よく告白したね。話したことあったっけ」先輩はクスリと笑う。恥ずかしかった。真面目に恋をしていた。人の勇気を笑える人だと知らないままで。
彼は元カノとの思い出が詰まったものをほとんど片付けた。私のためなのか自分のためなのかは分からない。けれど、一つだけ手放せなかったそうだ。「こういうの気にする?」「ううん。大丈夫」嫉妬する、なんて言えるはずもない。強くなりたい。ゆるやかに泳ぐ金魚の尾ひれに、君の愛した夏が見えても。
「見て。この帽子」彼は店の棚に飾られていたお洒落な帽子を手に取り、私に見せた。「すげえ似合いそう」珍しい。いつもは私を褒めないのに。しかしまだ続きがあった。「俺に」その自信の欠片でいいから欲しい。彼は自分が大好きなのだ。ため息をつく私に彼は帽子をかぶせて笑った。「俺より似合うわ」
二十歳になった。尊敬するミュージシャンは、同い年で大ヒット曲をリリースしている。だけど僕は趣味も勉強も中途半端な凡人のまま。ネットで二十歳から音楽を始めた有名人のインタビューを見て気持ちを落ち着かせた。あれから十年。三十歳になった僕は、仕事の休憩時間に遅咲きの天才について調べた。
部活のメンバー全員から無視されている。だけど根っからの悪人ではないらしい。部活終わり、私のロッカーに折り畳まれた紙が入っているのを見つけた。『みんなに同調してごめん。でも私だけは味方だよ』同級生の一人からの手紙だった。ふうとため息をつく。これで全員からの謝罪文が出揃ってしまった。
「恋人ができたんだ」信号待ちで君は早口に言った。昼下がり、強い日差しが肌を焦がしていく。「ふーん」心配そうな君の顔を見て、恋人ができた嬉しさで報告したのではないと確信した。どうしても祝ってほしいのだ。「おめでとう」許すように呟く。信号が青に変わり、先月告白したことをまた後悔した。
毎日飲まなきゃいけない薬がある。飲むと胃がムカムカしたり熱が出たりして嫌だった。そんなある日、お医者さんから「薬はもう飲まなくて大丈夫」と言われた。嬉しくてお母さんに抱きついた。「よかった。あれ嫌いだったの」そうだねと抱きしめ返すお母さんの肩が震えていて、なぜだか泣きたくなった。
妻がまだ恋人だった頃、よくマックに行った。夕方になると「小腹が空いたな」と言って僕の袖を引っ張るから。でも今は寄り道をしない。「もうマックは飽きた?」買い物帰りに聞いてみると「あれはね、話し足りないって意味」と妻は答えた。そして僕の腕をそっと掴む。「なんか今日は小腹が空かない?」
「お手紙をくださいよ」私がそう頼むと、夫はいつも困った顔をする。「いいのか?せっかくの誕生日なのに」「ええ」それでも夫は下を向く。「俺は文章が下手だし」「構いませんよ」年に一度のわがまま。好きだなんて言わなくなった貴方が、手紙の最後には必ず『ずっと一緒にいてください』と書くから。
君にふられただけで駄目になってしまう自分にがっかりした。昨日までなら綺麗に巻いていた髪は起き抜けでうねったまま。メイクもストレッチもやる気が出ない。薄暗い部屋でだらだら動画を見ただけで一日が終わった。君に恋をして変わったんじゃなくて、君の恋人になるために積み重ねていただけだった。
十年間の片思いが終わった。一番の友人だった君に『ずっと前から好きでした』と送ってしまった夜に。家族にもできないような話をする仲で、近くて眩しくて、もう気持ちを隠すことはできなかった。返事を見て美容院の予約をとりたくなった。君とは何度も出かけたけれど、初めてデートしようと誘われた。
「世界一好きなんていい加減な言葉はいらないから、今日の服似合ってるって褒めてよ」彼女の言葉はどれもこれも本の中から抜け出してきたようで、面倒なこだわりごと愛していた。別れた後もその輝きが消えなくて。だからSNSはもう見ないと決めた。昔のままでも変わっていても傷ついてしまう、きっと。
キッチンに立つたびに昔の恋人のことを思い出してしまう。大げさに褒めてくれるから、いつの間にか料理が好きになった。本当は面倒臭がりだったのに。置きっぱなしだった服も歯ブラシも処理したけれど、思い出は戸棚の中に詰まったまま。ばかだなぁ私。一人じゃ使わないのに、こんなに調味料を買って。
彼は私とは正反対だ。林檎の皮を丁寧に剥く私の隣で、赤い皮にがぶりと齧りつく。彼の部屋では常に音楽が流れているけれど、私はわりと無音が好き。友人からは上手くいっているかとよく聞かれるが、心配無用だ。大切な話をする夜はそっと音を止めて、私が風邪を引けば林檎の皮を剥いてくれる人だから。
思い出が詰まったコンビニの前で別れた。「また会おうね」君は最後にそう微笑んで去っていった。家までの道をひとりで歩くのは変な気分で、明日にはこれが寂しさに変わるのだと確信していた。君はいつも通り優しかった。もう会う気なんかないくせに。嘘の甘さに恋をして、嘘の儚さでさよならを決めた。
好きな子からライブに行こうと誘われた。知らないバンドだったが結構聴くよなんて嘘をついた。ライブまでの二週間、毎晩聴いたがあまりハマれなくて焦った。当日は炎暑の駅前で待ち合わせ。演奏が始まっても中途半端にしか乗れない僕に「無理に誘ってごめんね」と君が謝る、間違いだらけの初恋だった。
私の中には二つの人格がある。子供の頃からもう一人の私とは日記帳でやりとりをしていた。案外仲は悪くない。けれど働き始めてから『やっぱり一人として生きていかない?』と提案された。いつかこんな日がくると思っていたが、友人を失うようで少し寂しい。『いいよ』と書くと、意識が遠のいていった。
最近ときめいていない。恋人は返信が遅くなったし誕生日のサプライズもなくなった。変わってしまったのだ。私とは違っていつも幸せそうに見える友人に聞いた。「最近恋人といてキュンとしたことある?」友人は答えた。「週末に会うたびにキュンとする」その表情を見て、変わったのは私もだと気づいた。
僕の好きな子は香水集めが趣味らしい。話を広げたいが、正直香水の類は苦手だ。けれどある日、珍しく好みの香りが漂ってきたことがあった。「新しい香水買っちゃった」その笑顔を見てつい「この香り好きだな」と口に出してしまった。だから近頃すれ違うたびにどきっとする。いつもあの香りがするから。
「付き合う前の方が好きだった」別れ際、彼が呟いた一言が忘れられない。雨の夜道をふらふら歩く。付き合う前の私ってどんな人間だったっけ。街灯の下で立ち止まり、スマホを取り出して昔の写真を見た。短い髪と濃いメイクが懐かしい。初めての恋が不安な私は、ネットや周りの声ばかり取り入れていた。
たばこはやめたんだ、と君は飲み会の席で言った。新しい彼女の影響らしい。私や友人達が何度禁煙を勧めても駄目だったけれど、ようやく重い腰を上げたようだ。「やるじゃん」と褒める私に君は「ごめんね」と小声で言った。その声の温度で、このままやめないなら別れると泣いた夜を思い出してしまった。
「付き合ってもいいけど一年だけね」告白に対する返事は予想外のものだった。死ぬほどモテる先輩の恋人になれたのは嬉しいけれど、まさか期限つきとは。一年はあっという間だった。このまま付き合っていても幸せそうなのに、やはり先輩は今日までと言った。早く結婚したいというのは本心だったらしい。