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彼氏の鈍感なところが嫌いだった。髪型を変えても気づかない。手の込んだ料理を作っても「普通に美味しいよ」以外の感想がない。悪気がないのは分かっているが張り合いがない。ところが今は変わった。私にしわが増えても気にせず、レトルトカレーだけの夕食でも礼を言う夫に、幾度となく救われている。
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人生で一番好きになった人にふられた。涼しい夏の夜だった。「ごめんね」と言われた瞬間、埋まらない距離ができてしまった。空っぽの心で失恋を癒すと評判の本を手にとる。『苦しい恋があなたを成長させてくれたはず』その一文で涙が溢れた。ちっとも成長できなくていいから、あの人の隣にいたかった。
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彼女は泣かなかった。五年も付き合った僕が、晴天の霹靂のように別れを告げても。正直、こちらの方が驚かされた。清楚なワンピースを着た彼女は最後に手を振る時まで優しかった。「今までありがとう」駅に向かっていく僕に、怒るどころか礼を言った。「幸せになってね、私と別れたことを後悔しながら」
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結婚する前に聞きたいことがある。私は彼と向かい合った。「子供のことだけど……」彼は目を伏せた。やはり、子供は望まないのだろうか。「怖いんだ、どうしても」「父親になるのが?」彼は首を横に振った。「俺の誕生日が、母さんの命日なんだ」私は人生で一番泣いた。彼の苦しみを何も知らなかった。
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「僕の好きなタイプ……ですか」部活帰り、この頃気になる後輩は夕暮れの空を見上げながら唸った。「うーん、心を許せる人が好きですね。二人だけの内緒話ができるような」真面目な彼の性格がよく出ている答えだ。それから私の目をじっと見て言った。「この話、他の人には秘密にしてくださいね。先輩」
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君にふられただけで駄目になってしまう自分にがっかりした。昨日までなら綺麗に巻いていた髪は起き抜けでうねったまま。メイクもストレッチもやる気が出ない。薄暗い部屋でだらだら動画を見ただけで一日が終わった。君に恋をして変わったんじゃなくて、君の恋人になるために積み重ねていただけだった。
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年下の彼氏ができた。二歳しか変わらないのに、待ち合わせの公園でソワソワしているその姿が愛おしくて仕方ない。「お待たせ」私が声をかけると、嬉しそうに振り向いた。「あ、今日の服可愛い、ですね」ありがと、と言いながら、にやけないように必死だった。がんばれ、後少しでタメ口になりそうだよ。
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余命宣告を受けた親友は病室のベッドの上で頭を抱えた。「俺、間違ってたのかな」彼は本当のことを言わずに恋人を突き放した。生まれ持った優しさ故の選択だった。かつての恋人は彼の元を去り、先月別の人と結婚した。彼の表情は複雑だ。「まさか完治するとは思わないじゃん……」今日は彼の退院日だ。
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彼女の誕生日に素直な気持ちを伝えた。「誕生日おめでとう。朝ご飯を作ってくれるところ、気遣ってくれるところ、よく連絡をくれるところが大好きです」喜んでほしかったのに彼女はなぜか浮かない顔。ついには一粒の涙が落ちた。「私が好きなんじゃなくて、私がしてあげることが好きなんじゃないかな」
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彼女が亡くなってから五年が経った。泣き崩れ、空っぽな頭でトーク履歴ばかり見ていた僕も、もうすぐ大人になる。この冬、新しい恋人ができた。優しい君のことだ、きっと空から祝福してくれているだろう。君が遺した手紙を読み返した夜、僕は消された文字の跡があることに気づいた。「私を忘れないで」
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恋人からネックレスをもらってわんわん泣いた。私の誕生日、せっかく丁寧にメイクをしたのに台無しになってしまった。恋人は私の涙を拭きながら、ちょっとだけ自慢げな顔をした。「絶対似合うって思ってたよ」首元で小さなダイヤが光る。単なる幼馴染だった頃、いつか欲しいなと話していたものだった。
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『結婚おめでとう』花嫁である私へのサプライズとして、父が書いた手紙が読み上げられた。会場はしんと静まり返る。幸せになってね、ではなく『お母さんのこと頼んだよ』の一言で締め括られているのが父らしい。いつもは気丈な母が泣き崩れた。二年前に亡くなった父が闘病中に用意していた手紙だった。
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「彼、髪を乾かすのが上手いんだ」初夏、大学の友人はポニーテールを爽やかに揺らした。「私の髪も、彼がやった方がはやく乾くの」学生で混んだカフェテリアの中、恋する彼女の笑顔はパッと輝く。「すごいね。器用なんだろうね」一口飲んだコーヒーは苦かった。すごいね。私といた頃は下手だったのに。
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推しはいても彼氏はいたことがなかった。そのせいか、ここ最近は驚きっぱなしだ。「その髪型可愛い」課金もしていないのに褒めてくれる。こんなにファンサを貰っていいのか。ツーショット撮り放題、無料。遠征するどころか会いに来てくれる、当選確実イベント。どこにお金を注げばいい、恋愛は難しい。
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私達は最後まで恋人にならなかった。大学の友人で、一晩中話しても話題が尽きなかった人。映画やライブにも行った。一度だけ手を繋いだこともあった。けれどお互い不器用で、言いたいことは言えないまま社会人になった。ドライブに誘われた夜、すっかり大人びた友人は言った。「俺達さ、結婚しない?」
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「私にスマホ見せられる?」先日同窓会に行ったという彼にそう質問した。「もちろん」彼はスマホを手渡した。「どうせくだらないやりとりしかしてないし」彼の言った通りだった。浮気の痕跡はない。地元の女友達と毎日ゆるい会話が続いているだけ。それが嫌なの、とは言えずに彼の澄んだ瞳を見つめた。
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バイト先の先輩に一目惚れをした。関わる機会は少ないけれど。「あの子、今週でバイトやめるよ」店長からそう聞いて、思いきって告白した。「ごめん。てか、よく告白したね。話したことあったっけ」先輩はクスリと笑う。恥ずかしかった。真面目に恋をしていた。人の勇気を笑える人だと知らないままで。
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彼が私の容姿をばかにした。聞き間違いだと思いたかった。頭の中で硝子の割れる音が響いた。鞄の中から合鍵を引っ張り出して、別れよう、と机の上に置いた。「待ってよ。三年も付き合って、それくらいで……」彼はまだ笑っていた。恋愛ほど繊細なものはないのに。私達、恋心でしか繋がっていないのよ。
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言葉だけの恋人が嫌で別れた。私がいなくても平気な気がして。でも優しい人だった。喧嘩している時ですらどこか穏やかで、私はそれを、本気の恋じゃないからだと考えていた。最後のLINEを受け取るまでは。「ごめんね、俺ばっかり幸せだった」何気ない日常を愛する彼の隣で、私はいつも求めすぎていた。
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両親が離婚した。「お母さんとお父さん、どっちと暮らしたい?」そう聞かれた私はお父さんと答えた。母はいつも顔色が悪く、毎晩のように酔い潰れていたので二人になるのは不安だった。その日から半年。久々に会った母は別人のようだった。穏やかな笑顔を見て、誰がその顔を暗くさせていたのか悟った。
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彼の財布から名刺がはみ出ていた。名刺入れは別に持っているはずなのに。「それ誰の名刺?」机の上に置かれた財布を指差すと、彼は分かりやすく狼狽えた。「こ、これはお守りというか」まさか何か隠しているのか。問い詰めると、渋々こちらに渡した。数年前の、ただの取引先だった頃の私の名刺だった。
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「距離を置こう」彼はそう言って少し泣いた。「ごめん、全然好かれてる気がしない」その背中を見て子どもの頃枯らしてしまった花を思い出した。きっと私は愛の注ぎ方も下手なのだ。自己満足でしかなかった。できたての料理は彼に差し出して、冷めた方を食べる習慣も。彼が泊まる時は、早足で帰る夜も。
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妻がまだ恋人だった頃、よくマックに行った。夕方になると「小腹が空いたな」と言って僕の袖を引っ張るから。でも今は寄り道をしない。「もうマックは飽きた?」買い物帰りに聞いてみると「あれはね、話し足りないって意味」と妻は答えた。そして僕の腕をそっと掴む。「なんか今日は小腹が空かない?」
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『明日告白する』好きな人のストーリーを見て悲鳴を上げた。聞いてない。というか、こんなことを書いたら大騒ぎになるのでは。その予想を裏切り、翌日の教室内は至って平和だった。放課後、たまらず好きな人に声をかけた。「昨日のアレ、限定公開だったの?」「うん。相手にだけ予告しとこうと思って」
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花火大会に行った。今夜で別れる約束をした彼女と。この頃喧嘩ばかりだったから、最後は楽しい思い出を作ろうと提案された。夜空に光が弾け儚く消えていく。人が多くても蒸し暑くても幸せだった。普段は怒りっぽい彼女も穏やかで。「やっぱり別れる?」僕の言葉に彼女は頷いた。「そのために来たから」