大日本雄弁会講談社も負けちゃいません。1939(昭和14)年5月発行の講談社の絵本「感状に輝く勇士奮戦美談」。戦死者ばかりじゃないけど、命を的とするのが兵隊の本懐というのが伝わってきます。これが当時の普通の価値観でした。そこまで行ったらもう戻れないと肝に銘じて。
78年前の今頃、1944(昭和19)年11月23日、大日本帝国政府次官会議で松根油の緊急増産が決定されました。そしてこちらのポスターも作られたのでしょう。既に実働は女性と子供に頑張って貰わねばという絵柄。でも、敵をやっつける意思で爆撃機の編隊を描いたのでしょうが、空襲下のイメージが…(続)
自分も軍人精神注入棒の写真を提供していて、その過程で民間組織と市教委がしっかり話している感じがあったから、こういう取り組みが広がればいいと思っていただけに、尚更残念。
このツイを今しているのは、過去をしっかり知ることでこそ真の親善ができると思うから。そして今も当時と同様の蔑視感があるから。昔を掘り起こすな、韓国では国内で殺してる…違う。目の前の一人を大切に思えるかってこと。それで初めて前進できる。過去を知るのは未来のため。
新聞社は信濃毎日新聞でした。元学芸部の主筆は逮捕されませんでしたが反省文を書けと言われ提出、帰りに特高の担当と話して気分を損ねさせてしまったところ、帰社したら会社に電話があって、編集から主筆を外せと言われたと。従うほかなく、、図書館通いで日々を過ごしたとか。
戦前日本がおかしくなっていったのは満州事変辺りで、軍と官僚の独裁になっていってる。今危険なのは、政治家と官僚による独裁で、それを阻止するため、歴史が役立つと信じてる。
表紙見てつい、買っちゃった( ゚∀ ゚) 神の国として世界に恐れられているそうです。ちなみに発刊は1941(昭和16)年3月。蒋介石を倒しても、その後の国づくりをしないといかんという主旨だろうけど…(続)
政治家のツイは扱わない方針ですが、これは許されない事なので、広くお伝えさせていただきます。 twitter.com/miyamototooru/…
将来があったのは殺された側も同じ。何が同情だか。
過去を引きづると言えば、陸自の行進曲は抜刀隊で、西南戦争で西郷軍に殴り込みをかけた内戦の官側の兵士を讃える歌。海自は旭日旗に軍艦行進曲とまんま。軍艦行進曲には海ゆかばが組み合わさっている。そして防衛大では、日本すごいを教えているって…( ´・ω・`)
信州戦争資料センターの所蔵する、長野県を中心とした戦時下資料の展示会「戦争だ! カネ出せ!モノ出せ!ヒトを出せ! 展」を2023年8月8日から13日まで、長野市の「ギャラリー82」で開きます。入場無料。開催チラシはここから印刷できます。(続) drive.google.com/file/d/1vb4apX…
何しろ、収蔵品の1割ぐらいは、こうした寄贈の品々で、講談社の絵本とか、そうでなければ手に入らなかったし。地方のその時代の総合的な記録を、貴重な寄贈品が伝えてくれます。
権力者や権力に擦り寄る勢力が発信する「愛国」に注意していきたい。国の概念もそこへの思いも個人の気持ちから生まれるものであり、一定の『型』にはめるものではないでしょう。その差を見極める目と心を持ち続けたい。 twitter.com/himakane1/stat…
満州関連の事は余り扱わないのですが、当時のパンフレット2冊を入手。日中戦争の景気や徴兵で大人の移民計画が思うように行かなくなって、強調されるようになった満蒙開拓青少年義勇軍。長野県は教員赤化事件もあったことから、忠誠心を示すように義勇軍送出を図ります。多くはソ満国境近くに(続)
今日はこどもの日、端午の節句ということで、日中戦争開戦翌年、84年前の今頃の1938(昭和13)年の端午の節句用に作られたとみられる兵隊人形です。万里の長城風の絵をバックに、右大臣あたりがつけていたであろう刀を持って…。五人囃子からの転身でしょう( ´・ω・`) (続)
こういう嘘で誤魔化して広げようとする事自体、日本にも皇室にも敬意を持ち合わせていない事が明白ですね。 twitter.com/tetsuya8306/st…
さて、食糧増産と言えば肥料の問題があります。それまで化学肥料に頼っていましたが火薬など戦時関連製品製造優先で入手困難となります。そこで藁や肥による自家肥料生産が進められます。ところがそれで労力不足、藁不足で収穫物を入れる俵や叺が不足するのでそれを増産せよと。農家はいい迷惑です。
間違いないよう、かつての世界有数の首狩り族は日本人です。
3年前の4月1日、新型コロナ対策で1住所に2枚のマスク配布決定。これがマスク値下がりの要因と信奉される方は多いですが、実際はどうだったか。その前のマスク不足から安定への経緯を記録してあるので、よろしければどうぞ。解析した結論は、ほぼ影響なし。sensou184.naganoblog.jp/e2234849.html
太平洋戦争下、ガダルカナル島からようやく撤退した後の1943(昭和18)年6月に発行された「大日本資産家一覧鑑」。一応戦時標語をちょっと入れてあります。横綱は三井家9億円など億円単位が10人ほど。長野県では製糸の片倉氏が700万円と。並んでる福澤桃介は木曽川の電力開発で知られています。(続)
死を悼む人がいるのはもちろん問題ないし、国民の選挙で選ばれた代表に対するテロ行為も断じて許されるものではありません。しかし国葬は、国としてその人物を英雄化する行為だとあらためて分かり、やはり国葬は避けるべきではないかとの思いを強くしました。
85年前の1938(昭和13)年元旦を迎え、出征中の中国で皇居遥拝する長野県松本市で編成の歩兵第150連隊。南京攻略を終え、太湖付近に移動し新年を迎えますが帰国の目処は立たず。そしてこの正月に向けた餅つき。説明文から、国土を戦場にされた民衆の苦難を感じます。信濃毎日新聞のグラフより。
権力者の保証など、なんの当てにもならない。監視が無くなれば権力は暴走する。それは戦時下であろうとなかろうと同じ。
さすが信濃毎日新聞、性産業への差別に対し明確にNOと。法を守り税を納めている業者をさらに差別するのか。 「大多数の国民」の道徳観を持ち出して、分け隔てを正当化することは、少数者の排除につながる。法の原則を司法自らないがしろにするような判決である。 shinmai.co.jp/news/article/C…
そして長野県では桔梗ヶ原に女子拓務訓練所を設けて指導。そして大陸の花嫁として集団結婚で現地へ。そして生まれた大陸の子が、敗戦で集団自決や残留孤児に。何しろ日本政府は海外同胞に現地に値付けって敗戦後も言っていて、帰ってくるなと。政治の誤りのツケを払うのはいつだって国民です。