原爆の直接の破壊力だけでこれ。バーナーで炙ってもこうはならない。どれほどの苦しみが広がったか。黙祷。そして伝える。
防衛費倍増とかなると、自主的にこういう事も復活するようになるのかねー。現在の長野県佐久市の方の日清戦争当時の軍事公債応募申込書。戦争はなんと言ってもカネがかかるのです。
法的手順を無視して、国民全員が弔意を示しているように演出する「国葬」に反対します。法の無視をする政権なら正統性もない。それは許されないこと。故人への思いだの敬意だのとは全く別物。
誰も止めなくなる見本です。戦争は始まれば終わりなんです(´;ω;`)
79年前の1944(昭和19)年1月26日発行の政府広報「写真週報」。児童も参加する厳しい実態を糊塗するような記事が続きます。そして国民には節約で兵器を生み出せるかのような数字のマジックで物不足への不満をそらします。(続)
関東大震災の朝鮮人虐殺を都が否定とは言語道断。裁判の記録もあるし、警察署に保護された朝鮮人が住民に引き出され殺された事件もあるし。 当時の様子を新聞記事で追っただけでも長野県での朝鮮人への暴行事件とか出てくる。それだけでも申し訳ないのに、許せんです。sensousouko.naganoblog.jp/e2301006.html
軍需で市場は賑わい、まだ商品のストックもあって、イケイケの時期。愛国行進曲の全員合唱にも力が入ったことでしょう。 でも、戦場で敵味方問わず死傷者が出て、そして中国の人たちが普通に住んでいる街や村で戦争しているんです。そんな現実を無視するかのように祝賀…戦争は始まれば(続)
太平洋戦争は日中戦争の延長上にある、という基本を押さえておきたいものです。
今回の選挙を歴史的感覚で見て感じるのは、国会の権威低下が急激に来たということ。内閣の権能強化と野党徹底無視が招き、マスコミとSNSが増幅した結果かなと。 この現象を加速させたのが安倍政権であり、擦り寄ったマスコミにある事は間違いないでしょう。
自分は日本の構成員なので日本の将来に関心が高く、将来を皆が選択する為のひとつの素材にしてほしいと思い、自分の暮らす国の過去の失敗から教訓を拾って発信しています。 欧米の植民地政策に関心がおありならば、その国を批判するか、問題点を将来の日本に生かす方向で発信されれば良いと思います。 twitter.com/74706957nippon…
昭和天皇の即位の祝いに便乗した森永キャラメルの広告。こうして天皇のありがたさを刷り込むので、儀式って馬鹿に出来ないのですよ。
90年前の今日、1932(昭和7)年5月15日。5・15事件発生。新愛知の号外は、まだバタバタ。翌日朝刊は首相重体とあるけど、亡くなっていました。 犯人たちは動機を褒め称えられてるんですよね。海軍側公判の号外。力を振り回す事こそ良しとして、議論し詰めることを否定する国民性に一番問題があったか。
実は1940(昭和15)年頃、真面目に陸軍省では撤兵論が出ていた。課長クラスでまとめたが、その内容は「戦争をしている理由が不明」( ゚∀ ゚) で、それは上官に退けられてるんだけど、その理由はアジア解放とか何とかじゃなく「兵士が血を流した場所を手放せるか!」。領土野心はなかったんじゃ…
77年前、1945(昭和20)年の今頃発行された主婦之友5月号。表紙は炭鉱で働く女性。必勝の戦場生活とし2.26の斎藤瀏の詩で鼓舞し、日本人は復讐心が旺盛と刷り込み、手榴弾の練習をしろと。婦人雑誌もここまできましたよ。
最近入手した、国際連盟成立記念の皿です。キズで未出荷だったせいか、絵柄はよく残っています。日本は常任理事国として設立当初から加わりましたが、その位置のまま満州事変を引き起こし、連盟を脱退することに。それまでの国際協調路線をしのばせてくれます。
さらに、戦場で捕まったからといってすぐ捕虜と認定される訳では無いという擁護も出てきました。日本も批准したハーグ陸戦条約でも捕虜の保護は言われてましたし、何をか言わんや。資料にも捕虜5人って日本軍が認識しているのも無視です。
それに、戦争を体験して、戦争だけはやるなよって言ってくれている先人への暴言でもある。実際戦争ばっかだった1945年までと、現在までを比較すれば、そういう共通の思いを持った人達がいっぱいいたから全然違うんだろう。戦争起こしてるのかよ。君は戦死してないだろう! twitter.com/hirk65828510/s…
特攻自体とんでもないけど、更に酷いのが雷撃特攻。普通に雷撃して、その後機体で体当たりをする。雷撃できればそれで本当は任務達成だし爆弾のない機体で体当たりする効果などわずか。それで機体一機と搭乗員3人死亡。愚かな。 不死身の特攻兵は8回の出撃機会があり、2度攻撃に成功してる。
戦争末期になると、軍隊でも物資不足があらわになってきます。こちら、軍隊の酒保で使った配給切符で、部隊の編成時期から1945(昭和20)年2月のもの。平時なら金さえ惜しまねばいくらでも食べられたうどんやぱん、菓子がこの枚数に制限され、しかも半月ごとに分けてある…。庶民は押して知るべし。
事実を直視しない社会は、また同じ間違いを起こしますよ。 twitter.com/himakane1/stat…
こちら、1941(昭和16)年1月1日発行の小学館「こくみん三年生」付録の興亜行進双六。興亜と言いつつ、外部への関心は大陸の子と仲よくしましょうとあるだけで、基本は子供への指示です。上がりの中心は日本男児で、中国の子供が手にする旗は汪兆銘の傀儡政権の旗。反共スローガンが象徴的です。
昨日は阪神・淡路大震災から28年でしたが、今年は関東大震災100年。被害もさることながら、朝鮮人虐殺も忘れてはならない歴史。当時の新聞報道で、どんな混乱が起きていたか、まとめました。各地でも調べていただくと、より良いかもです。 sensousouko.naganoblog.jp/e2301006.html
1年前の今日、2022年2月24日、信濃毎日新聞号外。ロシア軍がウクライナへの攻撃を開始したと。公式発表で死者27000人と昨日報道されていますが、実際の兵士、民間人の被害はもっと多いと。 ロシアは直ちに兵を引き上げ、停戦するべき! 犠牲はもうたくさんです! 死んだ人は帰ってこないんだよ!
64年前、1958(昭和33)年2月発行の月刊誌「丸」を入手。真珠湾攻撃の紹介の冒頭「…日本の奇襲が一応成功したのは、米国民を戦争に曳きずりこむために画策したルーズベルト米大統領の陰謀であった、等々といはれてはいるが…」とあり、そんな陰謀論がこんな昔からと驚く。逆に代わり映えもしないと。(続
102年前の今頃、1921(大正10)年1月6日夕刻、長野県南条村(現-坂城町)の南条小学校から出火。駆けつけた中島仲重校長は御真影室に向かって校舎に飛び込み殉職。享年38歳。天皇皇后の写真のため、命を落としたのです。学校に奉安殿が造られるようになったのは、こうした事件がきっかけでした。(続)