一億憤激米英撃砕運動資料を受けたとしか感じられない主婦之友1944(昭和19)年12月号。11月6日印刷納本なので、10月の資料のさっそくの反映です。米英は野獣とし、婦女子は皆襲われると脅し、「こうしてぶちころせ」と。各ページでも繰り返し、これが婦人雑誌かと思わせます。(続)
日本軍がどんな戦闘をし、戦地でどんな行為をしたかは、妄想の中ではなく体験者の声や書類などでいくつも裏付けられています。こちら長野県松本市で編成され南京に向かっていた歩兵第150連隊の戦闘報告。兵士5人を捕虜としますが、「直に射殺す」とあります。(続)
これ、昔ツイしたらハーグ陸戦条約の例外だの平服であったからだの、射殺を擁護するツイが次々寄せられたのですが、もし、捕虜を理由なく射殺する事が駄目な事と分かっていたら、当然、理由を書き込むでしょうが、それがない以上、丸腰の捕虜を射殺したというしかありません。
いくら南京事件を否定されたところで、この戦闘詳報の記述に何の影響も与えないんですが、何なんですかね。そこにしがみついてどうなるのか? 私は、戦争とは、こういうものだって事実を伝えて、そんな戦争を回避していきたいと思っているだけです。という訳で、粘着されている方はブロックします。
あと、当時の基準で考えろというのも毎度出てきますが、丸腰の捕虜を射殺するのは、当時だって非人道的行為。定型句をぶつけて、中身を見ない人に私の情報は不要でしょうから、ブロックです。
さらに、戦場で捕まったからといってすぐ捕虜と認定される訳では無いという擁護も出てきました。日本も批准したハーグ陸戦条約でも捕虜の保護は言われてましたし、何をか言わんや。資料にも捕虜5人って日本軍が認識しているのも無視です。
南京事件を否定すると全て日本の行為がないように考える方がまだまだおられますが、日本と中国の戦争は満州事変から数えると15年に及び、日本側から中国に与えた人的被害は軍民の死傷が日本側主張で1000万人、中国側で3000万人。どちらをとったところで、南京事件どころじゃない事は知っておきたい。
太平洋戦争は日中戦争の延長上にある、という基本を押さえておきたいものです。
私に貴重な遺品を提供してくれた方がおられます。その方は「おじいさんは人を殺したことがあるの?」と小さいころ尋ねたけど、何も話さなかったと。しかし死後、遺品の中にかごにきっちりと日中戦争当時の日記と勲章が入れてあったと。おじいさんは、凄惨な体験、加害者・被害者として―を残して(続)
あったのです。面と向かっては語れないが、死んだ後ならとの思いがあったのか、きちんと揃えて。写真ネガもまとめて。それらを託していただきました。いずれ、何らかの形でおじいさまの意思を生かしたいと思っています。
何しろ、収蔵品の1割ぐらいは、こうした寄贈の品々で、講談社の絵本とか、そうでなければ手に入らなかったし。地方のその時代の総合的な記録を、貴重な寄贈品が伝えてくれます。
78年前の今頃、1944(昭和19)年11月23日、大日本帝国政府次官会議で松根油の緊急増産が決定されました。そしてこちらのポスターも作られたのでしょう。既に実働は女性と子供に頑張って貰わねばという絵柄。でも、敵をやっつける意思で爆撃機の編隊を描いたのでしょうが、空襲下のイメージが…(続)
釜ができて、とりあえず抽出した松脂もドラム缶がないので運べないとか。とにかく松根を掘っている間だけは無心に「戦争やってる感」に浸れたのでしょう。合理的思考ではなく、ただただ、追随させるという効果は間違いなく発揮したでしょう。戦争やり続けている間だけは、軍部も官僚も安泰ですからね。
そしてトンデモ本に捕まらないための参考書には「昭和史がわかるブックガイド」が良いかと。選者が本を紹介するのに加えて概説を載せているので、通読するだけで基本が分かり、興味の湧いた分野を深掘りできます。更に先に行くには、その本の参考文献を調達していくと。立派な沼が待ってます(*^^*)
リットン報告書公表前の既成事実作りで、満州国と日本が日満議定書を交わした1932(昭和7)年9月15日。深夜から翌日未明にかけて撫順炭鉱がゲリラに襲撃されます。そして16日、ゲリラと通じていると見なされた平頂山の集落のほぼ全住民、約3千人が関東軍に虐殺されます。その生き残りと訴訟団の記録(続)
を一気に読みました。生き残りの方が望まれたのは、事件を忘れないよう日本政府が現地に碑を設けてほしいと。裁判で事実認定されましたが、いまだ、その思いは実現されず。 しかし、この本の核は、歴史の事実を掘り起こす過程での日中双方のわだかまり解消にあります。生身の人間同士、理解を深めて。
この平頂山事件、老若男女問わず、中秋の名月を家族揃って楽しんだ一般の住民を、何の調査もなく、近くの崖下に追い立て機関銃掃射などで虐殺したもの。その後遺体や集落を焼き、ダイナマイトで崖を崩して埋めてしまいます。戦後、それは掘り出されて、その時のまま保存されています。
世論調査だとだいたい6割ぐらいは反撃能力保持に賛成している。とても素朴な思いから抑止力になると思ってのことだろうけど、そこに、相手国内を攻撃すれば相応の反撃を確実に喰らうということ、先制攻撃になりかねない危うい運用が想定されること、もっと理解を深めて、その上ででしょう。
79年前の今頃、1943(昭和18)年12月発行の「主婦之友」。国土防衛号と題して防空関連の特集ですね。笑顔はイカンと指導を受けてこんな表紙絵に。冒頭でいきなり「戦争に強い日本婦人」と来た! そして敵は焦って短期決戦に出てきているという妄想を開陳して安心させようとする姑息さ。(続)
81年前の今日、1941(昭和16)年12月8日、日本海軍が米国ハワイの真珠湾を空襲。太平洋戦争が始まりました。既に日中戦争で疲弊していた中、日中戦争解決の狙いで先制攻撃で開戦。当日の臨時ニュースを、当時長野市内の家庭で伝えたとみられるラジオとともにどうぞ。
私も権力者に対して最大に警戒が必要なのが、国内を戦時体制に置こうとする動きだと思います。緊急事態条項など、その最たるもの。そして脅威を理由に防衛費倍増で国民の生活には目を向けない姿や、防衛省世論操作計画は、その前段階でしょう。 twitter.com/tabataminoru/s…
「軍の論理」が政治を覆い、文民統制が揺らぎつつある現状が危ういーと的確な警鐘。 〈社説〉防衛省世論工作 思想良心の自由を侵す|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト shinmai.co.jp/news/article/C…
戦争末期を感じさせる、和紙の慰問袋。色は写真より茶色っぽく、閉じるのは紙こより。慰問袋は衣料きっぷ無しで買えた布製品でしたが、品が無ければ入手出来ない。以前、紙製の慰問袋を入手しましたが、こちらは紙も払底してきて登場の感があります。資源ない国の戦争は、こんなモノを生み出します。
収蔵している戦費関係資料。支那事変(日中戦争)国債ポスターは絵柄は名作ですが、文もフォントも弱く呼び掛け風。大東亜戦争国債は強力に押し出していて絶叫系。そして1944(昭和19)年の労務報国会は憎悪の力で貯蓄運動。そして富くじまがいの福券…。金融機関が戦争推進で一番力を発揮した事は(続)