覚えておいてもいいでしょう。巨額の国家予算が動く時に、一番敏感なのは金融機関。防衛目的宝くじとか出てくるかもね。
国を守っているのは軍人だけと思ったら大間違いだ。戦争にならないように外交するのも、経済や学術で世界になくてはならない存在となるのも、貧困や格差を世界から無くす努力も核軍縮も、そして国内の産業や文化を維持発展させるのも、みんな国を守っていることだ。
日本の防衛予算は現状、世界でもトップ10に常に入っている規模。それでも足りない、倍増だというのは、つい、金の使い方を間違ってないかと言いたくなる。特に、小銃も制服もなかなか更新できず、隊員の宿舎の整備が後回しとか聞くにつけね。
81年前の今日、1941(昭和16)年12月18日発売のタバコ「鵬翼」。当時の新聞では、我が荒鷲の勇姿を表現というもの。威勢良い戦果報道と共に15銭で発売されますが、戦費を捻り出すためどんどん値上がり。1944年ごろには35銭と2倍以上になり、戦争に協力しているという意識を醸すため、戦時負担額表示も。
これも万札溶かした( ゚∀ ゚) 日中戦争中の「戦勝ゲーム」。昔からあるパズル「箱入り娘」の派生品で、説明文は「重慶攻略」とあるので、1939(昭和14)年から1941年ごろのもの。日の丸の日本軍の駒を軸に動かし、蒋介石を大陸(箱)から追放すると。竹と紙箱という構成から、木の利用も窮屈なのかと。
81年前の今日、1941(昭和16)年12月20日、絵本「日本ヨイ國」が発行されます。当時の日本の独尊感がよく伝わってきます。日本スゴイは、これを笑えない。誇るのはともかく、神話と現実を融合させて独尊感に浸っていてもねえ。そしてそれを信じようとしていたのが、一番苦労する庶民なんですよね。
絵本「日本ヨイ國」では、日本に産まれたから幸せだとし、そしてそんなヨイ國を守るため兵隊になってと。民間の一絵本の話ではなく、これが普通だった時代。そして権力者は決してそうは思っていない国。そこから生まれ変わろうとしたこと、忘れないでいたいです。
権力者や権力に擦り寄る勢力が発信する「愛国」に注意していきたい。国の概念もそこへの思いも個人の気持ちから生まれるものであり、一定の『型』にはめるものではないでしょう。その差を見極める目と心を持ち続けたい。 twitter.com/himakane1/stat…
85年前の今日、1937(昭和12)年12月22日の新愛知号外。毎年ツイしてますが、「合法左翼派に鉄槌」「合法手段で勤労大衆左翼化の裏面」という見出し、作っていて疑問に思わないのか。当局と一緒に興奮して、当局の一方的宣伝に終始。権力者の監視を忘れたマスコミの姿です。そして権力が増長するのです。
権力者の保証など、なんの当てにもならない。監視が無くなれば権力は暴走する。それは戦時下であろうとなかろうと同じ。
酷いと言えば、85年前の1937(昭和12)年11月13日の信濃毎日新聞の「首斬り免許皆伝」。当時北支に出征していた松本歩兵第50連隊所属の曹長が妻の実家に送った手紙を紹介した記事で、表現をそのまま見出しに。戦前の庶民的感覚か、中国への蔑視感か、こうした行為も表現も平気だったようです。
太平洋戦争下、ガダルカナル島からようやく撤退した後の1943(昭和18)年6月に発行された「大日本資産家一覧鑑」。一応戦時標語をちょっと入れてあります。横綱は三井家9億円など億円単位が10人ほど。長野県では製糸の片倉氏が700万円と。並んでる福澤桃介は木曽川の電力開発で知られています。(続)
豪雪地帯の環境を維持している人たちがいるからこそ、守られている都市部もある。ひとつながりの視点が欠けている。 古市憲寿氏、豪雪地帯での大雪被害に「大雪が降るような地帯にいつまで住むのかをある種、突きつけられている」(スポーツ報知) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/5a731…
@mou3dayo いえ、国の指示によって行っています。1944(昭和19)年末に軍需省の局長らが指示して全国で取り組んでいます。ただ、実際に役立てられたかどうかは地域差があったと思われます。sensousouko.naganoblog.jp/e2217566.html
戦時下の犬猫献納は、最初は自主的な小規模のものでしたが、1944(昭和19)年には、軍需省の局長らが通牒を発し、県単位で取り組まれました。 「よく分からない団体の実施」などと断定される方がおられましたが、当方は資料をベースに文献を調べ、聞き取りも行っています。 sensousouko.naganoblog.jp/e2217566.html
81年前の今日、1941(昭和16)年12月30日発行の大阪毎日新聞。フイリピンやマレーで激戦続き、現地の人たちの思いはいかばかりか(´;ω;`) 「『ゴムだ』『錫だ』に勇士もにっこり」の見出しが、太平洋戦争の侵略性を表してますね。「軍需も民需も万歳」って、勝手に持ってくの? (続)
圧政からの解放という大義名分がいかに空虚な宣伝文句だったかが明白です。 一方、明治神宮では時局に鑑み照明を付けられないので大晦日の夜間参拝を取りやめ、元日も日の出からと。燃料節約か。敏感な人は、こういう所から国情を感じたでしょうね。 広告ではレコード会社が戦意高揚で稼いでます。
81年前の1941(昭和16)年12月30日の大阪毎日新聞掲載の広告。赤玉ポートワインで有名な寿屋は、物価高と増税を背負いながら戦地を思い貯蓄し債券を買おうという政府広報のようなもの……あれ、もしかしてこれ、現在の予言( ̄▽ ̄;)
自分は日本の構成員なので日本の将来に関心が高く、将来を皆が選択する為のひとつの素材にしてほしいと思い、自分の暮らす国の過去の失敗から教訓を拾って発信しています。 欧米の植民地政策に関心がおありならば、その国を批判するか、問題点を将来の日本に生かす方向で発信されれば良いと思います。 twitter.com/74706957nippon…
▽ほかの国もやっていた ▽現在の価値観で過去を見るな 日本の戦時下を語るとき、よく出てくるテンプレ反応。 他がやっていたから問題なしとの主張は相対比較に過ぎず、免責にならないですね。そして問題視する事例は当時の価値観でもおかしい事がほとんどで、そういう視点で発言していきます。
@bluesmacky こういう感覚で満ちてたんですよね。 ( ´・ω・`)
81年前の今日、1941(昭和16)年1月1日の朝日新聞。真珠湾攻撃の写真解禁になり、紙面を飾ります。社会面ではバランスを取って陸軍のコタバル上陸作戦の特派員からの話題です。そして当時の特徴である皇室の特集も。広告も引き続き軍事迎合ものが出ています。そのうち、こんなのばっかりに。
85年前の1938(昭和13)年元旦を迎え、出征中の中国で皇居遥拝する長野県松本市で編成の歩兵第150連隊。南京攻略を終え、太湖付近に移動し新年を迎えますが帰国の目処は立たず。そしてこの正月に向けた餅つき。説明文から、国土を戦場にされた民衆の苦難を感じます。信濃毎日新聞のグラフより。
月刊誌「主婦之友」の新年号を並べました。1941(昭和16)年は340ページほどで笑みも感じられます。1943年、指導で歯を見せる笑顔が禁じられた影響が見えます。1944年、勤労女性にという指導を受け、笑みもダメなので顔を大きくする構図が無くなります。1945年は色もわずかで54ページまで減りました。
モノみな上がる昨今、我が家はプラケース入りの鏡餅購入を断念しました。その代わりに、戦時下の長野県須坂で売られていた陶器製鏡餅を使ってみました。1940(昭和15)年11月の米配給制(有料)導入を受け全国的に作られていて、長野県にもこの年の12月に登場します。中には餅を入れてあります。(続)