日中戦争下、木綿の利用が制限されて代用品として推奨されたのが化学繊維の一種スフ。しかし水を吸うと強度が低下する問題があり、ゴシゴシ洗いはいかんと。そこで登場したアイデア商品「トゥニチ圧洗器」! 木製の本体の中にガラス玉が底から少しだけ出てコロコロ動くというものです。(続)
フォロワーさんが16000人を越えました! 3年前の展示会の時、5000は行っておりませんでしたが、フォロワーさんが何人も来てくださいました。今回は1日あたり来場者数が前回の2倍以上、いつもツイッター見てますよと声がけしてくださる方も急増し、苦労してまとめた展示も報われました。(続)
自分も軍人精神注入棒の写真を提供していて、その過程で民間組織と市教委がしっかり話している感じがあったから、こういう取り組みが広がればいいと思っていただけに、尚更残念。
地元に元731の人がいて、その人が貴重な品を残して証言もしているんだから、せめて市民の証言ぐらい守ってやれないのか。 市教委はいろいろな議論があるからって逃げてるけど、ネットの妄想と生涯かけた研究者を同列に扱うようなもの。腹括っていこうよ。松代の説明文書き換えと同じじゃないか。
これだから行政に任せちゃあかんのよ。視察した議員絡みで補助金など盾にされたのか、電話1本だけで面倒くさいと避けたか? 731部隊元隊員の証言、飯田市平和祈念館が展示せず 市教委「事実関係に議論」|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト shinmai.co.jp/news/article/C…
戦争で負けると植民地になるんだから戦争システムが必要とドヤって靖国の引用リツした人がいたが、第一次世界大戦の結果、力での現状変更を認めない不戦条約も中国の主権を尊重する九カ国条約もあったし、満州事変当時にはフィリピン独立が決まるという中、逆行したのが日本だったのは間違いない。
私は靖国神社へ行かないという発言に、戦死した叔父の本当の気持ちが分からないのだろうとのリプ。こうした空気をつくるためにも、靖国というシステムは必要だったのかなと想像する。
85年前の今日、1937(昭和12)年8月15日の読売新聞第二号外。海軍機による中国の首都南京への渡洋爆撃を報道。宣戦布告もせず、戦線後方への爆撃で攻撃準備中だから爆撃したと。 国会議員、よく見てください。これが先制攻撃ですよ。これでもう、引けなくなったんですよ!
私の叔父2人は戦死していますが、私は靖国神社へは絶対に行きません。生前の父は、自力で地元に墓を建て供養してきました。靖国神社は戦争ができるようにするための国家のシステムであったのですから、それを認めて足を運ぶのは、叔父たちに申し訳ないのです。
来場された94歳の方に「確かにこういう時代だった。よく集められた」と言われたのが本日一番の喜び。 twitter.com/himakane1/stat…
展示品は、意図して行政や団体、隣組の資料を組み込みませんでした。その結果、民間レベルの戦争イケイケが日中戦争2、3年で折れるのがよく分かりますね。自分も並べて初めて実感しました。会場でご確認を。 twitter.com/himakane1/stat…
本日から始まりました。軍と民間レベルの親しさ、それをベースにした日中戦争初期の商業、新聞、金融のイケイケ具合、1939(昭和14)年あたりのポッキリ折れていく感じがよく分かります。疎開児に配られたビスケットという珍品も花を添えていますので是非!
展示会、始まりました。まずは家族と関係者に感謝。そして朝からご来場いただいている皆様に。
信濃毎日新聞デジタルの記事です。登録だけで読めますので、是非! 「イケイケ!」から「アレアレ?」へ 「戦争トイウ流行」を読み取る 長野市で9日から戦争資料展|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト shinmai.co.jp/news/article/C…
原爆の直接の破壊力だけでこれ。バーナーで炙ってもこうはならない。どれほどの苦しみが広がったか。黙祷。そして伝える。
戦争が起こる時、政府や軍を後押しする国民が必ずいる。そして軍や政府を支持する人がいる限り戦争は続く。戦争を独裁と置き換えてもいい。どちらでも肝心なのは、国民が判断して行動するための情報を徹底的に追求し提供するメディアがあるかどうかだ。 自分も情報を提供出来る国民であり続けたい。
政府は年金を65歳からじゃなくて、受け取り開始を70歳とか繰り下げを盛んに勧めています。手取りが増えて長生きにお得とし70歳だと42%増とか。 一方手取りが支給額通りに増える訳では無いと昨日の信濃毎日新聞。税や社会保険料の負担や医療介護の自己負担増える可能性があると。 ヤベエなあ。
国葬が話題なので、79年前、1943(昭和18)年6月5日から6日にかけての各紙をどうぞ。戦時下、戦死の国葬は初めてでしたが、国葬が国家に民衆を集約させるシステムであると、明確に感じ取れます。 塩沢司祭長は長野県の出でした。
死を悼む人がいるのはもちろん問題ないし、国民の選挙で選ばれた代表に対するテロ行為も断じて許されるものではありません。しかし国葬は、国としてその人物を英雄化する行為だとあらためて分かり、やはり国葬は避けるべきではないかとの思いを強くしました。
「国葬は、むしろ民主主義の精神と相反する制度である。国家が特定の人間の人生を特別視し、批判意見を抑圧しうる制度など、民主主義のもとで成立しようはずがない。」以上はプレジデントの記事より。(続)
「表面上は、民主主義を守ると言っているが、多数残されている安倍元首相の疑惑を覆い隠し、安倍政権の評価を固めて自民党政権を守ろうとしているのではないか、と。」(続)
これも読まねばならぬか。
これは本当に何度でも強調してほしい。しかも「こんな紙くず」に実は価値があるんです。公文書館や地域の歴史資料施設に相談するとともに、行政はぜひ保管庫を大きく設計してもらいたいです。そしてさまざまな分野の学芸員を雇ってください。必ず百年後の人が助かります。庶民の普通の記録も… twitter.com/gunmasiryonet/…
今回の選挙を歴史的感覚で見て感じるのは、国会の権威低下が急激に来たということ。内閣の権能強化と野党徹底無視が招き、マスコミとSNSが増幅した結果かなと。 この現象を加速させたのが安倍政権であり、擦り寄ったマスコミにある事は間違いないでしょう。
正直、今回の選挙で一番ヤバイことです。10代の参政党投票率は平均の2倍といいますし。