戦前日本にどんどん近づいてる。誰だっけ、赤紙は拒否できたとか、軍隊経験者しか召集されないとか、必死に嘘で大日本帝国を擁護していたのは。 twitter.com/nhk_news/statu…
もちろん手元に毎日新聞があったから毎日新聞としましたが、当時のメディアが戦争の共犯者だったという事はあらためて強調しておきたい。ずっと言ってきたことだけど。
79年前の今日、1943(昭和19)年9月23日の毎日新聞。学徒の徴兵猶予停止を報じます。いわゆる学徒出陣です。また、半日休み廃止とか、根本を敢えて見ないようにしている感じです。そして政府の決定を後押しするように軍事の連載企画を開始して「兵役は輝かしい義務」だとか。共犯だった歴史です。
戦前日本がおかしくなっていったのは満州事変辺りで、軍と官僚の独裁になっていってる。今危険なのは、政治家と官僚による独裁で、それを阻止するため、歴史が役立つと信じてる。
長野県教委の姿勢も痛烈批判。大事な視点だ。「同じ内容の通知を(略)出した。無批判に文科省に追従するのでは、教育の独立を確保する教委本来の役目をなげうつに等しい」 〈社説〉図書館の自由 政府は踏みつけにするな|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト shinmai.co.jp/news/article/C…
こういうやり方で国は国民を操作しようとする。「依頼」と言っても、力関係(予算など)を十分考えに入れた強制でしょう。図書館の独立性ご存知ないか、考えさせないよう司書の予算減らしてきたか。 文科省、図書館に異例の要請 拉致関連本の充実依頼 | 2022/9/20 - 共同通信 nordot.app/94490299460517…
91年前の今日、1931(昭和6)年9月18日、日本放送協会のラジオが柳条湖事件事件発生を告げます。関東軍の自作自演で、鉄道の損傷をほっておいて、そこから500m程しか離れていない中国軍兵営を遅い、朝鮮にいる部隊の勝手な越境もう受けて奉天など主要都市を占領します。そりゃ中国との関係悪化するよ。
自分は言い換えで誤魔化す行為を政治がやったら、大きな禍根を残すと考えています。特に「敵基地反撃能力」への言い換え。戦闘能力が1つ加わるだけという程度に受け止められるでしょうが、実際は先に攻撃するという意味で政府は使っています。重大決断の責任の所在を曖昧にしてしまう用語でしょう。
日本の戦争は蔑視感を含んだ大衆の「やっちまえ!」という熱狂を利用して始まり、熱狂を制御できなくなって拡大し、熱狂が冷めても責任逃れのため誰もが引きずり回したんだなあと、散らばっていた資料を見てつくづく実感します。
誰も止めなくなる見本です。戦争は始まれば終わりなんです(´;ω;`)
軍需で市場は賑わい、まだ商品のストックもあって、イケイケの時期。愛国行進曲の全員合唱にも力が入ったことでしょう。 でも、戦場で敵味方問わず死傷者が出て、そして中国の人たちが普通に住んでいる街や村で戦争しているんです。そんな現実を無視するかのように祝賀…戦争は始まれば(続)
盧溝橋事件に端を発した日中戦争で南京が陥落し迎えた1938(昭和13)年の1月20日、三越ホールで取り引き先の集まりか、三正会総会と戦勝祝賀会が開かれました。展示会前に入手していたら絶対展示しました。オーケストラの演奏や長唄など楽しんで食事になだれ込みます。浮かれ気分が伝わってきます。(続)
ここまで急激に円安が進み、しかも定着しそうなのに、対策に動いている様子が伝わらない。金利政策とか大至急の話なのに、一生懸命なのが国葬だと? 戦争の話題で探すと、ミッドウェーで空母部隊の再建が急がれるのに防諜のため飛行士らを軟禁したようなものか。勝つ気がない、今だけってことか。
将来があったのは殺された側も同じ。何が同情だか。
関東大震災では、全てではないですが朝鮮人らの虐殺犯の裁判が行なわれていますが、ひどい一例を。1924(大正13)年4月13日の横浜毎朝新報、中国人を集団(最低11人)で殺した事件で流言がなかったら罪を犯さなかったと最も軽い求刑に。見出しも「誤殺犯」と、まるで事故のような表現。この蔑視感!
遺髪と遺言状。長野県南向村出身の兵士が、検閲を経ないで出したものです。両親に本当に恋した女性の事を打ち明けたり、近代戦への達観と、流されるニュースへの驚きと。。 若者がここまで追い込まれる、そしてひっそりこうした資料が消えていく。 いかにして残していくか悩む日々です。
「日本は凄い‼️」の危険性は「他の国も凄い‼️」という視点をかき消して、こじれた優越感や他国への蔑視感を育てる可能性があること。他人を下げて相対的に優位に立とうとしたり、単に他国を無視するならなおさら。
関東大震災と言えば、大日本雄弁会講談社のこの本の記事。流言の中で「地震を起こす機械」というのが出てきます。外国が日本で地震を起こしたと。こういう話も昔からなんですな。
心しておかねばならないのは、当時の「日本人」が朝鮮人を同胞というより蔑視の思いで見ていた事が明瞭であること。そして、その暴力性でしょうか。
9月1日となると、この関東大震災の信濃毎日新聞分析を出さねばなりますまい。どんな状況があり、どんな情報が伝わったか。反省も教訓も多数汲み取れます。sensousouko.naganoblog.jp/e2301006.html
現在の長野県佐久市にあたる野沢町の大日本国防婦人会資料です。展示会で示した戦争経済腰折れの後は、こうした組織が戦争を引っ張った様子が伝わります。 なお、当時の女性にとっては堂々と家を出て社会的な行動ができる側面からも人気で積極性もあり、軍部はそんな思いも戦争で消費したのです。
大日本雄弁会講談社も負けちゃいません。1939(昭和14)年5月発行の講談社の絵本「感状に輝く勇士奮戦美談」。戦死者ばかりじゃないけど、命を的とするのが兵隊の本懐というのが伝わってきます。これが当時の普通の価値観でした。そこまで行ったらもう戻れないと肝に銘じて。
そしてここでも日本が一番自慢。煙幕の起源を忍者にとか、タンクも日本の発明とか、中国戦国時代もローマ帝国も真っ青ですね( ゚∀ ゚) 宣撫写真は現代でも虐殺否定などを唱える方が使ってますね。最後に陸海軍の一日。もちろんビンタやバッターは出てきません。 こういう情報が溢れてました。
84年前、日中戦争開戦翌年の1938(昭和13)年2月に小学館発行の「支邦事変エマキ」。ひとの命の軽さを競うような内容が「感動」として消費されているようです。一方でキャラメルを配る宣撫の絵が戦争の本質を隠します。(続)
昭和初期ごろの日本って、ほとんどこの漫画の意識だぞ。そりゃ帝国主義時代だけど共存や民族自決って意識の共有が進んでいた時代に何周遅れだったんだろうな。