太平洋戦争は日中戦争の延長上にある、という基本を押さえておきたいものです。
南京事件を否定すると全て日本の行為がないように考える方がまだまだおられますが、日本と中国の戦争は満州事変から数えると15年に及び、日本側から中国に与えた人的被害は軍民の死傷が日本側主張で1000万人、中国側で3000万人。どちらをとったところで、南京事件どころじゃない事は知っておきたい。
さらに、戦場で捕まったからといってすぐ捕虜と認定される訳では無いという擁護も出てきました。日本も批准したハーグ陸戦条約でも捕虜の保護は言われてましたし、何をか言わんや。資料にも捕虜5人って日本軍が認識しているのも無視です。
あと、当時の基準で考えろというのも毎度出てきますが、丸腰の捕虜を射殺するのは、当時だって非人道的行為。定型句をぶつけて、中身を見ない人に私の情報は不要でしょうから、ブロックです。
いくら南京事件を否定されたところで、この戦闘詳報の記述に何の影響も与えないんですが、何なんですかね。そこにしがみついてどうなるのか? 私は、戦争とは、こういうものだって事実を伝えて、そんな戦争を回避していきたいと思っているだけです。という訳で、粘着されている方はブロックします。
これ、昔ツイしたらハーグ陸戦条約の例外だの平服であったからだの、射殺を擁護するツイが次々寄せられたのですが、もし、捕虜を理由なく射殺する事が駄目な事と分かっていたら、当然、理由を書き込むでしょうが、それがない以上、丸腰の捕虜を射殺したというしかありません。
日本軍がどんな戦闘をし、戦地でどんな行為をしたかは、妄想の中ではなく体験者の声や書類などでいくつも裏付けられています。こちら長野県松本市で編成され南京に向かっていた歩兵第150連隊の戦闘報告。兵士5人を捕虜としますが、「直に射殺す」とあります。(続)
一億憤激米英撃砕運動資料を受けたとしか感じられない主婦之友1944(昭和19)年12月号。11月6日印刷納本なので、10月の資料のさっそくの反映です。米英は野獣とし、婦女子は皆襲われると脅し、「こうしてぶちころせ」と。各ページでも繰り返し、これが婦人雑誌かと思わせます。(続)
日中戦争開戦間もなく、大阪毎日新聞と東京日日新聞が募集した懸賞歌で2位となった「露営の歌」の絵葉書。こうやってメディアが事業で煽った事は記憶しておきたい。それにしても「死んで帰れ」とか「東洋平和のためならば なんの命が惜しかろう」とか、当時の偏った使命感が切ない。(´;ω;`) (続)
関東大震災の朝鮮人虐殺を都が否定とは言語道断。裁判の記録もあるし、警察署に保護された朝鮮人が住民に引き出され殺された事件もあるし。 当時の様子を新聞記事で追っただけでも長野県での朝鮮人への暴行事件とか出てくる。それだけでも申し訳ないのに、許せんです。sensousouko.naganoblog.jp/e2301006.html
そして長野県では桔梗ヶ原に女子拓務訓練所を設けて指導。そして大陸の花嫁として集団結婚で現地へ。そして生まれた大陸の子が、敗戦で集団自決や残留孤児に。何しろ日本政府は海外同胞に現地に値付けって敗戦後も言っていて、帰ってくるなと。政治の誤りのツケを払うのはいつだって国民です。
結婚相手の女性を人間ではなく妻と母親として見てるっていうツイを目にして思い出したのが、昭和初期の満蒙開拓団募集の話。男性しかダメで女性が自分も開拓民として参加したいと声を上げたところ、将来、開拓男性に結婚という形で行ってくれと言われたとの新聞記事がありました。女性を自立させない…
自分が長野県の銃後の記録と庶民の生活を軸に収集、発信しているのも、戦争へ至る道も戦争も、庶民と無関係じゃない当たり前の事を伝えたいため。 展示会で出したビスケット、皇后の思し召しとかで作られたけど、メーカーは軍用乾パンしか作れてなかった。そんな時代を二度と迎えさせたくない。
政府の無為無策っていうのは、庶民をとことん苦しめ、どんなことにも飛びつく状態を作り出してしまうんだよね。 満蒙開拓で全国初の分村移民をした長野県大日向村は、役場も兵事係1人を残し全員辞職するとこまで来ていた。農村が本当に助かる為の予算は回って来なかったから、分村しかなく(´;ω;`)
相手の司令部を攻撃とか発射が確実とみたらとか誰が判定でき、そもそもその言い訳が国際社会に通じると考えるのがお花畑だね。1発打ったらそれを口実に100発返ってきても迎撃能力不足だって、ガダルカナル島などの戦訓も何もあったものではありません。 好きな時に相手を叩いて終了できる戦争は無い。
戦争は始めた側から終わらせるのは非常に困難。ロシアもその状態に陥っているのに、なぜ日本が先制攻撃に突っ込もうとしているかが分からない( ´・ω・`)
昭和天皇の即位の祝いに便乗した森永キャラメルの広告。こうして天皇のありがたさを刷り込むので、儀式って馬鹿に出来ないのですよ。
防衛費は「大幅に増やすべきだ」「ある程度増やすべきだ」が計56.3%、今のまま31%、ある程度減らすと大幅に減らすが計9.8%でした。 先制攻撃能力の新設を良しとするなら防衛費増は受け入れると。素朴に自衛と考えているのか、先制攻撃の姿勢を見せれば相手が何もしないとでも考えているのかな。
今日の信濃毎日新聞、共同通信の世論調査が載っているけど、岸田政権逆風の影に大変な数字が。外国から攻撃を受ける前に相手国の発射基地などを攻撃する、敵基地攻撃能力の保有に賛成53.5%、反対38.4%と、賛成が過半数だ。こういうのが先制攻撃じゃなく自衛だと考えているんですかね。(続)
満州事変を調べていて、偶然昨今の状況に対する警告とも取れる信濃毎日新聞の評論「議会政治の否認にあらずして何ぞ」を連ツイします。1932(昭和7)年3月16日掲載。関東軍の暴走などで若槻内閣が倒れ、少数与党で発足した犬養内閣の政友会が総選挙で300議席を超える未曾有の勝利を得たのに(続)
なかなか開かなかった臨時議会をようやく18日に開くことになったのを受けての社説で、桐生悠々の筆によるとみられます。表題は軍批判に思えますが、実は絶対多数与党の政友会の行為によって、政党そのものが見放されるとの危惧を述べています。次からが著作権切れを受けての引用になります。(続)
過去を引きづると言えば、陸自の行進曲は抜刀隊で、西南戦争で西郷軍に殴り込みをかけた内戦の官側の兵士を讃える歌。海自は旭日旗に軍艦行進曲とまんま。軍艦行進曲には海ゆかばが組み合わさっている。そして防衛大では、日本すごいを教えているって…( ´・ω・`)
日中戦争当時、1937(昭和12)年12月17日に長野県喬木村で行われた村葬の業務書。特に興味深いのが会場配置図。中央に位置するのが小学校生徒、男子青年学校生徒、中等学校生徒。つまり、小学生女子を除けば次世代の兵隊候補です。ここに、軍人の村葬の狙いが見えます。ただの追悼行事じゃないのです。
法的手順を無視して、国民全員が弔意を示しているように演出する「国葬」に反対します。法の無視をする政権なら正統性もない。それは許されないこと。故人への思いだの敬意だのとは全く別物。
安倍晋三元総理の国葬に断固反対します。